冥界都市の死殺者

黒鉛筆

一章 死殺者

第1話

 陽ノ谷ひのたに市は日本で一番嫌われている街だ。

 

 例えば、ニュースメディアが「住みたくない街」アンケートを取ったとしよう。

 陽ノ谷市の名前がランクインすることはない。あまりにも自明過ぎるので誰もが二番目に住みたくない街を口にするからだ。

 

 犯罪の認知件数は全国一だが、検挙率は全国最下位だし、警察が確認できていない犯罪が相当数あるのは間違いない。

 行政サービスは充実している面もある。陽ノ谷市に住んでいるというだけで市民には国から補助金が出る。逆住民税だ。

 しかし、公共設備に関しては壊滅的と言っていいだろう。陽ノ谷市のような危険な場所で作業する業者は非常に限られているからだ。

 

 危険。陽ノ谷市が嫌われる理由は、結局のところその一語に尽きる。

 それは犯罪件数が多いから――ではない。それすらも、本来の危険に付随して発生したものに過ぎない。

 

 それでも、金枝春かなえだはるはこの街を愛していた。


 街並みすら灰色に見えてくるような曇天の寒空の下、アスファルトが罅割れた路地を走りながら、インカムに向かって叫ぶ。

 

「今、『魔法の鍋』の辺りです! 目標、近いです!」

 

 手に持った青銅の円盤が進行方向やや右から中心に向かって黒ずんでゆく。進む程に、黒ずむ速度が上がっている。『敵』が近い証拠だ。

 

〈けほっ……『魔法の鍋』? なんで街中にダグザの大釜があるのかな。それとも、エルドフリームニル?〉

「カレー屋さんの名前ですよ! 辛いの苦手なわたしでも、たまについ食べたくなって来ちゃうくらい美味しいんですから!」

〈けほっ、なるほど。えーっと……花台かだい二丁目か……〉

 

 神話に出てくる魔法の鍋の名前を挙げてとぼける咳き込みがちな上司に、カレーの感想を添えて指摘して、路地を右に曲がる。

 市の中心部に近い通りだが、人通りは少ない。この辺りは中心部よりやや南寄りに位置する。『冥界』との距離は比較的近い。進入禁止区画ではないが、自然と人の足は遠のく。

 

〈けほっ……分かってると思うけど、増援が来るまで交戦は避けるんだよ。出動の許可も出てないのに勝手に飛び出して……〉

「あはは……始末書は書きますよ」

 

 本来ならば、今日来る新人に教育係として春が付いて一緒に行動する予定だった。しかし、新人の到着よりも早く『敵』が現れた以上、春には一人現場に出ずじっと待っていることはできなかった。

 職業意識から来る義務感ではなく、この街に住む人を『敵』の魔の手から守りたいという使命感故に、春自身が選んだ行動だった。

 報告によれば、既に『敵』による犠牲者が出ている。報告では死体が三人分見付かっている。損傷が激しく、現状死因は不明。


 ――と、そこで春の目が異変を捉えた。

 少女だった。見たところ春と同年代……高校生だろうか? デートにでも行く予定だったのか、おしゃれに疎い春には洒落た服の名前は分からないが、そんな春にも分かるくらい気合いの入った可愛らしい服装をしている。

 しかし、そんなめかし込んだ服を台無しにしているものがあった。

 

 血。

 

 少女の左肩から夥しい量の血が流れ、だらりと垂れ下がった左腕が真っ赤に染まっている。

 いや、その表現は正確ではない。

 右手で押さえていたので一目見ただけでは分からなかったが、よく見れば彼女の左肩は

 異常な力で握り潰されたかのように、抉り取られていた。右手で押さえているのも、痛みや出血を抑える為というより、皮一枚繋がった左腕が胴体から外れてしまうのを恐れて支えているように見える。

 

「負傷者発見。保護します。――大丈夫ですか!」

「ひっ、ぃ、ぁ……ぁあ……っ」

 

 できるだけ威圧感を与えないよう気を付けて駆け寄ったつもりだったが、少女は膝から崩れ落ち、地面に額を押し付けて震えだした。

 無理もないだろう。彼女は命の危険を辛うじて逃げ延びて、肩を失った激痛に絶えながら走ってきたに違いないのだ。ほんの少しの刺激でも、容易く心の均衡が崩れてしまうのは当然のことだった。

 こんな少女の有様すら、『敵』と遭遇した人間としては命があるだけ幸運な部類だろう。しかし、この出血ではそれもごく限られた時間の束の間の幸福になってしまう。


「大丈夫。もう大丈夫です。『H.E.R.M.E.S.ヘルメス』です!」

 

 春は長方形の革製のケースを開いて少女に見せた。

 ケースを開くと春の顔写真や名前などが印刷されたカードが見えるようになっている。警察手帳に似ているが、長い方の辺から開くので、イメージとしては海外ドラマなどでお馴染みのFBIのバッジカードの方が近いかもしれない。

 そこには、春個人を示す情報の他にも、組織を示すエンブレムと『H.E.R.M.E.S.』の文字があった。


 『H.E.R.M.E.S.』。

 端的にその組織を表現するならば、世界最大の魔術結社。

 古来より歴史の裏で魔道を探求していた魔術師達の集団であり、密かに表の権力者と繋がりを持ち、人類の『敵』と戦い続けてきた者達。

 彼らは、突如として『敵』が溢れ出した陽ノ谷市に現れ、歴史の表舞台に立つと同時に、この街の守護者となった。


 初めこそ、魔術結社を名乗る者達に対して冷ややかな目で見られることもあったが、政府の支援もありつつ、十年以上陽ノ谷市を守り続け、戦い続けたことで、『H.E.R.M.E.S.』は『敵』の出現やそれに伴う治安悪化に対応できなかった警察以上に、市民達からの信頼を勝ち得ていた。

 その証左として、がたがたと震えていた少女が恐る恐るといった様子ではあるが、『H.E.R.M.E.S.』の名に反応し、ゆっくりと春の顔を見上げた。


「ぇ……ぅあ……?」

「大丈夫。もう安心ですよ。大丈夫……」


 できる限り少女の恐怖と不安を取り除こうと、繰り返し声をかけながら、懐から一枚の薄い青銅の板を取り出し、少女の傷口に翳す。

 徐々に抉り潰されていた少女の肩の傷が塞がり、みるみるうち肉が盛り上がり、骨が補填され、新たな肩を形成してゆく。

 完全に元通りとまではいかないが、肩と呼べる状態には戻っている。少なくとも、肉や骨が露出したりはしていないし、出血も止まっている。


「ひとまず傷を塞ぎました。まだ痛みはありますか?」


 春の問いに、少女は呆然としながらも首を横に振った。


 春の用いる魔術による治療だった。

 その青銅板には、八芒星が刻まれている。『敵』を探知した青銅盤にも同じ刻印が刻まれていた。

 青銅はギリシャ神話における冥界の最奥にある牢獄タルタロスを守る門の材質であり、八芒星は冥界下りの逸話を持つイシュタル神を象徴する。

 それらの神話的な要素と人々の集合無意識を紐付けて、死と親和性を持ちながら死を遠ざける魔術。死者を蘇らせるとまではいかないが、傷を癒やすくらいの使い方はできる。


「ゆっくり深呼吸して。自分の名前は言えますか?」

「そっ、そんな場合じゃない! は、早く逃げなきゃ……く、来る……!」


 春の問いかけに、少女は半狂乱になりながら反駁する。

 少女は竦んで動かない足を責めるように、何度も拳で叩いた。その目からは涙が溢れているが、少女は拭うこともしない。


 ――かつ、かつ。

 背後――少女が走ってきた方向から、何の変哲も無い足音がした。

 酷く落ち着いた歩調だった。少女と同様に『敵』から逃げてきた者にはあり得ない足音だ。


 自らの足を殴り付ける少女の手が止まった。呼吸すら止まっているように感じた。

 静寂の中で、足音と春自身の心臓の鼓動だけがはっきりと聞こえた。

 振り返る。


 黒い女だった。

 光を吸い込むような長い黒髪に、黒一色で統一した服装。長袖でパンツスタイルであるのに加えて黒手袋までしている徹底ぶり。

 ただ、病人のように白い顔と、血のように赤く鋭い双眸だけが浮いていた。


「――増えている」


 無感情に女が呟いた。

 何気なく呟いたような言葉が、ぞっとするような響きを伴っていた。

 この女は、春と少女をただ殺すことしか考えていない。


「ひっ、ぃやあああああああああああ――!」

「っ、待って!」


 突き動かされるように走り出した少女の手首を、春が掴んで制止する。今、春から離れるのは逆に危険だ。

 逃げることに全力を懸けていた少女は腕を引かれ、つんのめったように前に倒れる。

 それが、幸運だった。


 黒い女は春や少女からは数十歩分は離れた距離にいる。そこから、こちらへ向けて手を伸ばしていた。

 そのまま虚空で何かを掴むように、掌を閉じた。


 それと同時、前傾に倒れた体に追随して靡いた少女の後髪が一房、空中で消失した。

 まるで、離れた空間自体を女が握り潰したかのようだった。

 そして――そこは転んでいなければ、少女の頭が存在した座標だった。

 頭を潰されれば即死だ。春の魔術でも、死人を蘇らせることはできない。


「外した」


 大した感慨もないように、女が呟いた。

 その態度に対して、怒りや嫌悪は湧いてこない。は、そういうものだと春は知っているからだ。

 ただ、駆逐せねばならないという事実があるだけだ。


 こそが、『敵』だ。

 『冥界』より溢れ出した、死の化身。

 人類の集合無意識に眠る死への畏怖と憧憬が具現化した存在。

 物質化し、人の姿を得た死そのもの。

 ただ、人を殺す為だけの本能と能力を持つ殺戮者。

 人類は、にエフィルという名を付けた。


「《圧殺》ってところかな……」


 目の前のエフィルの持つ能力を推察する。

 エフィルは、一体につき一種、特定の殺害方法に特化した能力を持つ。

 《焼殺》のエフィルなら炎を生み出し、《毒殺》のエフィルなら毒を撒き散らす。


「そこから動かないで。あなたはわたしが守ります!」


 交戦は避けるよう言われていたが、こうなれば仕方ない。

 地面にうつ伏せになった少女に、努めて明るい声音で笑いかけて、《圧殺》のエフィルから少女を隠すように立ちはだかり、腰に佩く武器を抜き放つ。

 青銅製の片手剣。鉄に比べれば強度や切れ味に劣り、祭器や美術品のように見えるそれは、とてもではないが実用的な武器には見えない。


 黒い女の表情に変化はない。

 脅威を感じていないのか、そもそもそのような情緒を持たないのか。

 しかし、女は少女ではなく春へと視線を向け、その掌を伸ばした。


 彼我の間合いは数十歩離れている。およそ二十メートル強。

 数秒で詰められる距離だが、こちらが接近する必要があるのに対して、敵はその場で手を握るだけで攻撃が完了する。


 しかし、春は間合いの不利を覆す策を講ずることなく、ただ真っ直ぐに走り出した。

 女が掌を閉じた。

 ゾン、と微かな音がした。空間自体が死に絶える音。

 しかし、春の頭蓋が消し潰されて、首から噴水のように血が噴き出す結果には至らなかった。他に体が欠損した訳でもない。


 無傷。

 春を狙っていたはずの《圧殺》の力は、見当違いの場所に作用し、交通標識のポールを半ばで握り潰し、折り倒す。

 女は何度も掌を握る。その度に塀が、建物の壁が、電柱が、縁石が、何もない空間が、女の拳の形に刳り抜かれてゆく。

 だが、春の体には傷一つない。


 春の冥界下りの魔術は、死を遠ざける。

 服の下に仕込んだ青銅の護符が効力を発揮し、死の具現であるエフィルの力を逸らしていた。


 春の魔術は対エフィルに特化して組み上げたものだ。

 『H.E.R.M.E.S.』のエフィルと戦う魔術師は、春を含めて人類の天敵を殺すだけの力を備えている。故に、死を殺す者――死殺者と呼称される。

 この程度の相手に後れを取る理由はない。そのことに女が気付いた時には、既に春の間合いだ。踏み込みと同時、青銅剣を振り下ろす。


「――そうか」


 ゾン、とまた一つの空間が握り潰された。

 それはやはり、春の体を傷付けることはなかった。だが、これまでの攻撃とも違っていた。

 女が狙っていたのは、春の足元。踏み込んだ瞬間に、その地点のアスファルトが消失した。


「これ、くらいで――!」


 バランスを崩しながらも、青銅剣を振り抜く。

 対エフィルに特化した春の魔術を受けた剣は、エフィルに対しては絶対の攻撃力を持つ。

 強度も切れ味も実戦に向かないはずの青銅の剣が、女の体を素振りをするのと変わらぬ抵抗のなさで斬り裂いた。


 しかし同時に春は自らの失敗を悟った。

 青銅剣は女の左腕を斬り落としたが、ただそれだけに留まった。

 人類の集合無意識から生まれた故か、エフィルの身体構造は基本的には人間のそれと同じだが、殺戮の本能に支配されたエフィルが痛みで怯むということはまずない。

 そして、バランスを崩した春は、即座の追撃ができない状態に陥っている。


 この隙を利用して春に反撃をするのなら怖くはない。少女を狙われても問題ない。走り出す前に彼女に護符を渡しておいた。ある程度は身を守ってくれる。

 だから、《圧殺》のエフィルが取った行動はこの場での最善手だったのだろう。


「オレは、まだ弱いな」


 自らの敗北を認めるような言葉だった。

 だが、戦闘能力で劣ることなどエフィルにとっては敗北ではなく――そのエフィルが取ったのは潔さとは無縁の行動だった。


 踵を返しての、逃走。

 春にも少女にも目もくれず、黒い女は反転して走り出した。


「待――ちなさい!」


 バランスが崩れたと言っても、一呼吸で体勢は立て直せる。相手は片腕を欠損した手負い。即座に追いかければ追い付けない道理はない。

 このまま黒い女を放置しても、あの出血量では間もなく息絶えるだろう。しかし、それまでに新たな犠牲者が出るかもしれない。

 それは、尊い人命が失われるという意味でも最悪だが、大局的な視点で見ても最悪の展開だ。


 エフィルは、人を殺すという行為そのものを自らの力に変える。

 あの程度の傷ならば、一人でも殺せば致命傷ではなくなるし、数人殺せば全快だ。

 更に、その殺戮能力も強化される。特に、最初の一人は重要だ。誰も殺したことのないエフィルと一人殺したエフィルでは、その危険性は比較にもならない。


 だから、ここで逃がす訳にはいかない――と考えたところで、春は違和感に気付いた。

 黒い女は、一般人にとっては脅威だとしても、春からすればはっきり言って弱い。一人でも人を殺したエフィルが相手では、ここまで容易く追い詰めることはできない。

 だが、報告によれば既にエフィルによる死者が出ているはずだった。


「ぁ――危ない……!」


 少女の声が聞こえた気がしたのと同時――世界がぐるりと回転した。

 衝撃を感じたのは、視界が揺さぶられた後からだった。痛みは、更に遅れてやってきた。状況を理解したのは、最早遅きに失したと言っていい。


 気付けば、春は少女のすぐ近くに倒れていた。吹き飛ばされ、アスファルトの上を二十メートルも転がって、全身が擦り傷だらけだ。

 それとは別に、脇腹から出血がある。どこからか飛来した、何か鋭い物が凄まじい速度で掠めたのだ。その余波を受けて、春の体はこの距離を吹き飛んだ。


「迂闊だった……少し考えれば思い至れたのに……!」


 首を巡らせて、現れたそれを見る。

 全身が黒尽くめの男だった。

 ただ、その病的な白い顔と赤い双眸だけが、異様に浮き上がって見える。


「エフィルはもう一体いた……!」


 報告にあった犠牲者三人は殺したのはこの男なのだろう。

 今の一撃だけでも、先程の女よりも強力な個体だと分かる。春の魔術でも完全に逸らすことはできなかった。


「何故死んでいない?」


 怪訝そうに尋ねる男はしかし、返答を待たず次の行動に出た。

 右手を前に突き出し、春に向けて人差し指を伸ばした。


 また、鋭い痛みと衝撃が走った。

 先程の体勢が崩れた状態での不意打ちと違い、来ると分かっていたので辛うじて吹き飛ぶことは避けられたが、今度は掠めた程度では済まなかった。

 右肩に、深い刺し傷ができている。


「《刺殺》のエフィル……」


 あまりの速度に、目で捉えられたのは幽かな残像だったが、それでも敵の攻撃手段は理解できた。

 人差し指が目にも留まらぬ速度で伸びて、春の肩を刺し貫いた。春の魔術で逸らしていなければ、もっと致命的な急所を一突きされ、絶命していただろう。


「逸らしているな。ならば、逸らしても意味の無い方法で殺す」


 こちらが敵の力を推察したのと同様に、敵もこちらの魔術を分析している。エフィルは殺戮の本能に従う存在だが、決して知性のない獣ではない。

 人間と同等の知性と、人智を超えた力で人を殺し続ける災害だ。


 春は、致命的な攻撃の気配を感じ――敵に背を向けた。

 少女に覆い被さるように抱きかかえ、自らを盾にするように敵に背を晒した。


「え――」


 少女が何かを言う前に、それは来た。

 横殴りの雨。そう表現するのが適当に思えた。目にも留まらぬ速度の刺突が、数え切れない程に間断なく連続で繰り出されていた。

 魔術で逸らしても、数十数百の刺突が春の体を掠め、時に刺し貫いてゆく。


「ぁ……っが、ぐ……ぅ!」


 鋭利な痛みが絶えることなく春を襲った。魔術によって、一つ一つの傷は致命的とは言えないが、それが無数に重なれば危険な量の出血を伴う。

 無論、治癒の魔術を使用して傷は塞いでいる。しかし逸らす魔術と違い、治癒にはある程度の集中力を必要とする。この痛みの中ではその効力は半減し、高速の連撃は傷が治る以上の早さで春の体を突き刺していた。

 春は徐々にだが確実に死に向かっていた。しかし、滝のような汗を流しながらも表情としては痛みを隠して、春は少女に笑いかけた。


「大丈夫……です! きっと『H.E.R.M.E.S.』の仲間が駆けつけてくれます! あなたは、死にません!」

「どうして……笑えるの? わ……私がいるから……私のせいで、あなたは死にそうなのに……!」

「どうして……ですか」


 陽ノ谷市は日本で一番嫌われている街だ。

 『住みたくない街』アンケートでは殿堂入りだし、犯罪も信じられない程多いし、施設も充実していない。

 何より、エフィルなどという死の危険が常に日常と隣合わせに存在している。冥界都市などという不名誉な呼び名すらある。

 それでも。


「わたし、この街が好きなんです」


 刺突が皮を裂き、肉を抉る。鮮血が飛び散る。


「こんな酷い状況でも、この街の人はみんな頑張って生きてるから。あなたも、今は台無しになっちゃったけど、こんなに可愛い服を着て――それって前を向いて生きてないとできないでしょう?」


 血を失い、その顔色は蒼白になりつつある。だが、笑顔は崩れない。


「この街の人を守るのが、わたしのやりたいことだから笑うんです」


 まだ殺人を行っていない第一段階のエフィルに対しては魔術師一人、殺人によって成長した第二段階のエフィルに対しては複数人での対処が必要とされている。

 その為、基本的に死殺者は二人以上のチームで任務に当たる。


 春の魔術は特に対エフィルに特化したもので、単独で第二段階のエフィルを討伐したこともある。けれど、その時は守らなければならない市民もおらず、不意を打たれるようなこともなかった。


(とはいえ、もう少し上手くやれるつもりだったんだけど……まあ、仕方ないか)


 反省すべき点はあれど、後悔はない。

 春の命も魔術のリソースとして使えば、あと十数分は保つ。その頃には他の死殺者も到着するだろう。少女の命は助かるはずだ。


〈――けほっ……まったく、ようやく交戦許可が出せると思ったら先走って……〉


 インカム越しの咳混じりの声が耳朶を叩いた。


〈待たせたね……増援の到着だ〉


 轟音と衝撃が、背後に迫っていた死を吹き飛ばした。

 背後で爆発と聞き紛う衝突音がしたかと思うと、春を襲い続けていた刺突が止んだ。

 振り返ると、視界は舞い上がった粉塵で判然としなかったが、路地側面の塀が崩れ、《刺殺》のエフィルがそこに埋もれるように倒れていた。


「……あんたが、おれの指導役だな」


 エフィルが立っていた場所には、一人の少年が立っていた。

 年齢は春と同じか少し下くらい。背はあまり高くない。死殺者に支給される戦闘用ジャケットの、マッドな黒と対象的な、色のない真白の癖毛が目を引いた。


「助けに来てやったぜ、先輩」


 笑み一つ浮かべず、その死殺者は冥界都市に降り立った。

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