第17話 老人

      ◆


 座りなさい、と促されたのにおとなしく従ったのは、老人の言葉に不思議な迫力があったからだ。

 どこからその気迫が生じているのか、不思議に思いながらも、いつでも動ける姿勢で椅子に落ち着いた。

「ナクド殿の道場にいる、アイリ先生というのはきみのことか」

 確認するような内容でも、老人の中では確信があるようだ。

「はい、アイリと申します。ミズキさんは、どちらに?」

 そのことだが、と老人の顔に苦いものが走った。

「孫は、夕方、店に押し込んできた男たちにさらわれてしまった」

 さらわれた?

 とっさには事情が理解できなかったが、考えても理解できるものではない。

「何故ですか?」

 他に聞きようもなく、単純な質問を向けてしまったが、老人はもう落ち着いた雰囲気、泰然自若のそれに戻っている。

「クズリバ様の指図だろう」

 素っ気ないほど簡単に言葉にされたが、僕からすると不穏な内容だ。

 クズリバ氏の指図。

 つい昨日、僕を切ろうとした連中がいた。二人を切って、リリギは逃げた。僕は彼らに、クズリバ氏の指図かと問うたが、答えはなかった。答えはなかったが、答えがないことが答えのようなものだ。

 ミズキがさらわれた理由がクズリバ氏なら、その理由の大元は僕にあるのか。

 僕がミズキと知り合いだから?

「気にやむことはない」

 僕が口をつぐみ、思考を巡らせているところへ老人がやはり簡単に言葉を向けてくる。

「やはり、僕のせいでしょうか」

「誰のせいでもない。あの子の不運はあの子の不運。私の不運は私の不運だ」

「つまり、僕の不運は僕の不運、だと」

 そういうことだな、と初めて老人が笑みを見せた。自分の弟子が正解を口にしたのを見る師のような。

 やっと僕も少しずつ状況に慣れてきた。老人は孫であるミズキの身に悪いことが起こるのに怯えているようでもない。よく分からないが、揉め事に巻き込んだ、もしくは揉め事の中心にいる僕を咎めるようでもない。とにかく冷静で、鷹揚に構えている。

「お孫さんはどちらに? 何かご存知ですか?」

 質問を向けてみると、老人は今まで通りあっさりと頷いた。

「どこにいるかは知らないが、可能性は一つしかない」

 では押し入ってミズキを取り戻します、と言おうとしたが老人が言葉を継ぐ方が早かった。

「押し込むようなことができる場所ではないよ。山の館だよ」

 山の館。

 クズリバ氏の館か。

「それは、無理でしょうね」

 思わず言葉にすると、老人は小さく笑った。今度は先程と違い、どこかおどけた笑みだった。

「アイリという剣術家は、もっと無謀な、刀にものを言わせるような人物を想像していたが、冷静な人物のようだ」

「簡単な計算の結果です。一人きりで館に踏み込んでも、切られるだけでしょう」

「その計算ができないものが多い」

 嘆かわしげな老人の言葉に、ふと、アオイのことに思考が及んだ。

「アオイ殿はどちらに?」

「息子なら、ミズキをさらった男たちに逆らって殴り倒されてな、今は奥で横になっている。無謀な男なのだよ、あれでもな」

 老人は今度ははっきりと自嘲の表情で笑ってみせた。アオイを否定したいのではなく、アオイのとっさの行動を認めるところがあるようだ。

 人は時に愚かである方が、愚かな行動が美しいことがある。

 老人は、ため息を吐き、視線をつと外に向けた。どうやら夜は明けようとしているらしい。

「知り合いが一応、ミズキがどこへさらわれたか、探してくれているが、無駄だろう。悪いことにならねばいいが、みなも無理はするまい」

 そうか、とやっと合点がいった。店が開いているのは、その協力してくれているものをがやってくるのを待っていたのだ。

「時に、アイリ殿はどうしてこちらへ参られたのかな」

 そう問いかけられ、どこまで話すべきか、とっさに計算した。ナクドを切ったことを告げるべきかどうかが難しいところだった。

 先に刀を抜いたのがナクドである以上、ナクドには何か僕を切る理由があったはずだが、その理由が何であろうと、あの場面で僕には選択肢がなかった。

 ナクドを切るしかなかったのは苦い思いがあるが、切らなければ僕はここにはいない。

 自分が誤ったとは思わない。

 生きている以上、正しいと思うしかない。

 ナクドを切りました、と言おうとした時だった。

 外に面した板戸、その隙間に影が差した。僕と老人の視線が同時にそちらへ向いた。

 ミズキが戻ってきたのか、と反射的に考えたが、そんなことはありえない。

 そこに立っているのは、見知らぬ男で、服装にも特徴はなく、しかし腰に刀は帯びている。視線は冷徹なもので、油断はなかった。

「アイリ殿ですね」

 声にもやはり特徴はない。しかし人形が喋っているようなところはない。むしろ強い敵意がこもっていた。

 僕はゆっくりと立ち上がった。

「あなたはどなたですか?」

「誰でも良い。アイリ殿をお迎えするように言いつかり、ここにやってきたまでのこと。ご同行願おう」

「どなたからの命ですか? どちらへ行くのですか?」

「クズリバ様からの命である。向かう先は、クズリバ様のお館」

 そこまで聞く前から、状況は分かってきていた。

 クズリバ氏は僕がリリギを退けた時に次の手を打ったのだろう。僕がどこへ行くかを監視し、それから一晩中、様子を見ていた。明け方に僕が宿を出るのも見られていたし、ナクドの道場へ行くのも見られていた。そして道場を出て、この食堂に入るところも。

 それでもどうしてもわからないことがある。

 僕を襲撃したり、監視したり、ミズキをさらったりした一連のクズリバ氏の行動は、何を目的としているのだろう。僕を殺すのが目的とは思えない。ミズキをさらうことだって、やはり意味不明だ。

 そのことを老人に問いかけようと思ったのは、老人が何かを知っていると直感が働いたからだ。

 ただ、気づくのが遅すぎた。使者の男が「お早く」と促してきて、老人と話をする時間はないとわかった。

 それでもほんの短い間だけ老人を見やるが、老人は僕と視線を交わさなかった。孫娘が戻ってくるかどうかが僕の行動如何にかかっているはずが、興味はないというそぶりだった。本当にミズキの不幸はミズキの不幸と割り切っているのか。

 仕方なく僕は無言で一礼して、老人の前を離れた。

 食堂を出る。表にいるのは例の男一人きりで、他に人の気配はない。大した使い手には見えないが、僕が大人しく従うと見られているのか、そうでなければどこかに仲間が隠れているのか。あるいはミズキを人質に取っているから僕が従うと思われているのかもしれない。

 すでに夜は明け、街には朝日が差している。人が起き出している気配がそこここにある中を、僕は男の背中に従って進んだ。

 つい最近に通ったように思える、山をのぼっていく傾斜のある道へ入っていく。

「アイリ殿、これだけは伝えておきます」

 クズリバ氏の館の門が見えてきた時、先導の男がひび割れた声で言った。

「私は、ナクド先生から剣を学びました」

 僕は、その言葉に答えなかった。

 師を切った男を憎むのは当然だ。

 頭の中で、目の前の男が自分を憎んでいることを記憶しておく。いつか、向かってくるかもしれない。

 切られるつもりはないが、自分が切られる理由が判明しているのは、不自然ながら、変な爽やかさがある。

 単純なのは、いいことだ。

 単純であればこそ、刀は迷いと無縁になる。

 門を抜けたところで、男は足を止めて、そこで待ち構えていた別の男に僕を引き継いだ。背後から切りかかられることも想定したが、それはなかった。

 ゆっくりと男から離れ、館へ向かう。やはり建物には入らず、庭へ出るようだ。

 僕は気持ちを部分的に切り替え、今後に備えた。

 斬り合いになるかもしれないが、その前に、ミズキについて聞かなくてはいけない。

 ミズキを無駄な悲劇から遠ざける必要がある。



(続く)

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