第13話 奇襲
◆
だいぶ酒を飲んで、気づくと夕方だった。
鍋はとっくに空になっていたが、それよりも酒が過ぎてしまった。ナクドに至っては座敷で横になり、すでに眠りこけている。僕はナクドが寝てからは酒ではなくお茶を飲んで、ナクドの様子を見ていたが目を覚ます様子はない。
女給は嫌そうな顔をしているが、僕としてもナクドを抱えて道場へ連れて行くのも無理だ。というか面倒だ。
一度、厠へ行ってから座敷へ戻ったが、まだナクドは静かに眠っていた。仕方あるまい、と決意を固めた。
女給に声をかけ、多めに銭を渡した。
「悪いが、こちらの方は目が覚めるまで寝かしておいてくれ」
承知しました、という女給の声は思わず笑ってしまいそうになるほど、渋々という口調だった。もう少し酔っていれば僕は笑っていただろう。
店を出て歩き出す。普段の習慣で、刀の位置を少し加減した。
その時だった。
背筋に冷たいものが走るのと、足音が聞こえたのは同時だった。
前に飛び出すように転がったのは、だから、場合によっては滑稽な行動になっただろう。
しかし今回は、そうはならなかった。
僕の背中を何かが掠め、起き上がって振り返った時には、こちらへ刀を突き出す男がはっきりと見て取れた。
相手は不意打ちの失敗に狼狽えることなく、まったく自然に切っ先を僕の胸めがけて突き出してきたのである。
本能的にすでに右手は刀の柄にあった。
抜き様に刺突をはね除け、地面を蹴りつけて逆に間合いを詰めた。
これにはさすがに見知らぬ男も対応が遅れた。
男の刀は大きく横へ逸れ、僕は彼の懐へ飛び込んでいた。
殺すか、殺さないかは選べた。その余裕があった。
殺す、と決めたのは、二人目がこちらへ迫っているのが男の向こうにちらりと見えたからだ。
手を抜いて勝てる状態ではない。
至近距離で僕の刀が男の肩に食い込み、そのまま胸へと沈んだ。男が短く声を上げるのに構わず、蹴り倒す。刀が男の体から離れ、血が飛沫く。
血飛沫は地面に斑点をつけるが、僕はすでに絶命しつつある男の前から滑り出ている。
二人目の男は一人目より冷静だったが、慎重が過ぎた。足が止まったのだ。仲間が倒れこんだせいかもしれない。足を止めずに僕が姿勢をとる前に襲いかかれば少しはマシだっただろう。しかし男はその機を逸した。
僕は真っ直ぐに間合いを詰めた。
相手は明らかに気を飲まれ、刀が、それを握る手から腕、体が硬直する。
瞬き一つほどの間だっただろう。
それは勝敗を決めるのに十分だ。
僕は真っ直ぐに剣を突き出し、男の刀を最低限だけ横に逸らし、切っ先を右肩に刺し込んだ。
肉を裂く鈍い感触の後、骨に切っ先がぶつかるが、構わずに貫き通した。
男が悲鳴をあげるところへ、さらに体を寄せる。その中で手首を捻って傷口を抉ることで男に刀を取り落とさせた。地面に落ちた刀は素早く蹴り飛ばして遠ざけておく。
男が尻餅をつくところで、伸し掛るようにして、まだ刀は引き抜かない。男はみっともない悲鳴を上げ続けている。
「何者だ」
僕が低い声で誰何するが、答えは喚き声だけだ。くそ、少しやりすぎたか。
往来では人が集まり、声を上げているものがいるが構っている余裕はない。
もう一度、目の前にいる、顔を涙と鼻水とよだれでぐしょぐしょにしている男に問いかける。
「誰の指示だ」
男は首を振るばかりだ。
「それくらいにしておけ」
横柄と言ってもいい言葉が聞こえ、僕はそちらを見た。
立っているのは体格のいい男で、顎に髭を蓄えている風貌が見て取れた。
知っている顔だ。ミズキの父親の食堂で見た男。
リリギという名だったか。
僕はゆっくりと刀を抜いて、血を払った。
もしリリギがもう少し柔らかい雰囲気を発散していれば、刀は鞘に戻ったかもしれない。
「あなたの仲間ですか」
そう確認しても、リリギははっきりとは答えず、別のことを言った。
「立派な剣術だな。それに刀もいい品のようだ」
「質問に答えろ。二人はあなたの仲間か」
「だったらどうする?」
どうするとは、笑わせる。
「それはこちらが言うべきことだ。仲間を二人切られて、あなたはどうする? 何もせずに根城にでも帰るのか?」
「あまり俺を刺激しないほうがいいぞ、アイリ」
僕は彼に名乗った覚えはない。どこで僕の名前を聞いたかも、確認しなくてはいけない。もっとも、隠しているわけではないから、ナクドの道場の門人に聞いたとか、そんな素朴な答えが真相かもしれないが。
それにしても、刺激しないほうがいい、か。
ふざけた男だ。
「つまり、そういう態度で何かが思ったように行くと勘違いしているのか?」
「俺を怒らせようとしても無駄だ。一人や二人で腹を立てたり、慌てたりはせんよ」
「余裕ぶっているが、自分が切りつけられてもその余裕を維持できるか」
言い終わったところだった。
リリギが目を丸くしたのは、俺がそちらを見ずに飛来した二本の矢を続けざまで刀で叩き落としたからだ。
矢で狙われているのはわかっていた。一人目を斬り殺した直後に、周囲を一瞬だけ確認したのだ。ほんの短い時間だが、矢を構えている男は視野に入っていた。すぐそばの建物の屋根の上だ。分かっていれば警戒もできる。
それでもこれ以上、矢を射かけられるのは面倒だ。
さすがにリリギのすぐそばにいれば矢を射ることはできまいと、間合いを潰すことにする。
ここに至って、リリギも刀を抜いた。僕が迫ってきてはさっきまでの余裕は維持できないらしい。
刀を打ち合わせるのは好きではないが、背に腹は変えられない。
リリギの表情から感情が消える。搦め手は諦め、逃げる気もなく、僕に本気になったということだ。
僕は構わずに刀を構える男の間合いに踏み込んでいった。
(続く)
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