第2話
ーーーカバンを閉める音、筆箱にペンを入れる音、誰かが立とうとイスを引く音、ギィ、ガチャガチャという雑音で目が覚めた。
ぅわ、また寝てた、、、
目が覚めるといつの間にか3限が終わっている。
終わっていることに気づかないほどに寝ていた。
終わったか、、、
終わった、終わり、おしまい。
この類の言葉は柊(シュウ)にとってはまだ心の重さが伴う。
終わり、か、、、
いいのだ。ひとつ、またひとつ、と、慣れていく。
そうやって少しずつ「終わる」ことを重ねていき、「その思い出」にヴェールをかけたり時々覗いたりしながら、それもまた自分の一部としてまた一回り強く大きく、生きていくーーー。
あれは去年の秋のことだった。
大学3年生という、立派な大人でも未熟な子どもでもない時期に、ただ漠然と将来について想いを馳せて「俺には何もねえなー」と呟きながら歩いていたとき、一瞬のこと。
ツヤを纏った長い髪の女性とすれ違った。
お昼ご飯を食べようと食堂に向かっている途中だったが、ふと惹かれて振り返ってしまった。
「ん?」
5歩も歩いていない、にもかかわらずその女性の姿がもうなかった。
「あれ?」と思い辺りを見渡すと、校舎と校舎の間の陰でうずくまっているその人を見つけた。
慌てて駆け寄り、大丈夫ですか?と声をかける。
彼女は声も出せないほど激痛に耐えている様子で、後ろ姿でも分かるほど肌は青白く脂汗をたくさんかいていた。
「だい、、じょ、、、ぶ、、、から、、、。」
最後の方はほとんど聞こえず、慌てて救急車を呼んだ。
ほどなくして彼女は運ばれた。側にいた人として、というより柊自身居ても立っても居られず、一緒に救急車に乗った。
ふと気づくとある一部屋の待合室にいた。
俺は、涙を流していた。
「、、、?」あぁそうだ、まだ名も知らない初めて会った髪のきれいな彼女のある事実に驚きと戸惑い、そして悲しさよりもはるかに暗い感情に打ちのめされてしまったのだった。
余命、半年。
初めて会ったとき、なんて美しい髪の持ち主なのだろうと思った。
その髪の美しさにハッと心を奪われた。
その髪からのぞき込む横顔に息を呑んだ。
その佇まいだけで、魅了された。
まだ誰かもわからない、ただすれ違っただけの1人の女性にこれほど惹かれ、そして数時間後に知る、残酷な運命。
いま彼女は緊急手術を終え眠っている。
起きたら、なんて声をかけよう。
「あのーーーーーー」
「、、、ぅん、、、。」
「あのーーーーーーーーーーーーー」
「、、ぅん、、、?」
俺はガバッと起きた。
そうだ、あのまま帰るわけにもいかず、そのまま寝てしまったのだ。
彼女はややぶっきらぼうに淡々と言った。
「あのえっと、多分、救急車、呼んでくれてありがとうございました。えっとあの、もう大丈夫です。気をつけてお帰りください。どこかわからないけど、これタクシー代なんで。」
「いや、、、」と続きを言い終えないうちに彼女は続けた。
「聞きましたよね? 母か父かわからないけれど。、、、私のこと。そして同情して泣いてる。、、あの、そういうのいらないんで、誰にも言わないで、二度と現れないでください。」
そのつっけんどんな言い方には、もう傷つくことはしたくない、という気持ちが見え隠れした。と同時に、”助けて”と心から叫んでいる気もした。
「そんなわけにはいかない。」
彼女の強がった態度に驚きつつも、やんわりとでも確かに彼女の心の内を感じとった柊は、しっかり強くそして包み込むように言った。
「僕は知った。そしてこれは始まりだ。僕の中ではもう始まってる。そう、、、想いとか、感情とか、もうしっかり動いているんだ。帰らないし、今日は一日ここにいる。」
彼女の方も何か感じとったようだった。
(やばい、今の一目惚れしたと堂々宣言したようなものだ、大丈夫かな、、、)
「それって、、、。」
(あぁばれてる、堪忍しよう、、、。)
「まぁいいです。」
彼女は言及しなかった。
何かを半ば諦めているように見えた。
「私はここで本を読んでるだけなので。話しかけられても返事はしません。」
「では、見てます。」
「へ?」
「まなざし、ってすごくて、あたたかくにこっとするだけで、言葉の話せない赤ちゃんでも幸せメーターが上がるらしいんです。だから、僕はあなたにただあたたかく、まなざしを送ります。」
彼女は、すごく嫌そう、いや、気持ち悪そうな表情を全く隠さなかった。
「あ、でも、トイレに行くときとかあるし、食べるときとかも一人でこそっとするんで、好きにしてください。」
「、、、。」
彼女は少し考えて言った。
「私がどこか行くところにはついてこないと約束してください。」
「それはそうだね。トイレとかついていくわけにはいかないし。」
「じゃ、、、。」
そう言って彼女は病室を出た。
そしてそれっきり、その日は戻ってこなかった。
そう、、だよね、、、。
初めて来た広い病院で、彼女を探し出すことは不可能に近かった。
彼女のことだからきっと秘密のお気に入りの場所などあるのだろう。
「また明日くるね。」誰もいない病室に向かって声をかけた。
帰り際に見た名前プレートで初めて彼女の名が光(ひかり)であることを知った。
翌日。
「今日も来たよ~~~。あれ?」
いるはずの彼女の姿はない。
病室からは病院の正門が見える。
どうやら僕は徹底的に避けられているようだ。
そうか、、、じゃあ、今日はこのお花だけ置いていくか、手紙も沿えておこう。
”昨日君が手にしていた本に出てくるチョコレートコスモスです。これはなかなか珍しいんだ。一目見てみてね。”
もしかしたら屋上など寒いところにいるかもしれない。
んー俺が帰れば部屋にいられるかな?
彼女のことだからきっと、どれだけ探しても、ばったり鉢合わせてしまうという失態は犯さないことだろう。
「、、、帰るか、、」
ファーストコンタクトをとるまでは毎日来よう、そう決めてその日は病室を後にした。
それから、
”何か食べ物を持ってこようと思ったのだけど、食べるものは気を付けているだろうからアロマを持ってきました。”
”すごく肌触りの良いハンカチです。手にした瞬間感動したので肌触りのおすそわけ。”
”今日は、、なーんにもない!あたたかなまなざしのパワーだけ送ります。(目の絵)”
などと毎日とにかく通い続け、毎日メッセージカードを置いて帰った。
そしてそれらが捨てずに机の隅に丁寧に積み上げられているのも知っていた。
そして、ようやくファーストコンタクトをとれた、いや、とれてしまったのは、初めて会った日から3週間後のことだった。
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