00 運命の人

は な


花でも華でもなく、葉那はな

名は体を表すとはいうけれど納得している。

私は道端の花でもなければ温室の華でもなくその

受けた光や付ける花弁は実の為のもの――それが日下家長女の役割。

その筈だった。



 ***



 十二の時だ。中高一貫校の中等部への進学を機に、海外から帰国するという『許嫁いいなずけ』と顔を合わせることになった。


 物心付く頃から知っていた。許嫁に恥ずかしくないようにと、おばあさまから口酸っぱく繰り返されて育ったから。

 広い屋敷の中接することも少ない両親に代わって、厳しく躾けられてきたと思う。父母が人前に私を連れる際はいつも褒めそやされた。


 日下家の完璧なお嬢様――日下葉那くさか はな

 それが私だった。


 お客様がお見えになる。

 その日はいつもと違う雰囲気で、直感していた。もっとも前々から兆しはあり、料亭料理長の出入りや特別な華の取り寄せに私の稽古が多くなったりと、何かと屋敷は浮き足立っていたからとうに心構えは出来ていた。


 許嫁…… 


 誰でも、いいわ。

 私は『私』の役割を全うするだけ。

 理想は……そうね、喋らない人がいいわ。喋らなければ、少しは馬鹿を露呈しないでしょう。馬鹿を相手にするのは神経に障るから。


 庭の池をそっと眺める。池はいつも澱み静寂でしんと私を見返して来る。

 この隣に並ぶ顔は一体どんな顔なのかしら。

 のっぺらぼうの顔が隣に浮かぶ。

 小石を拾ってぽろりと水面に落とす。途端に波紋が広がり揺らぎ全て崩れていく。


「ふふ……」


 奇妙な笑みが漏れてああくだらない。

 そろそろ戻らなければ――

 びくりと体が硬直する。

 肩に触れられていた。 

 誰……? 誰も私に触れられる筈がないのに。


 水面が静まり、隣に人の影が映る。

 振り返ると微笑する背の高い男性がいた。



「迎えに来た」



 時が止まり音が消えて

 黒い背広姿が切り抜かれたように浮き立つ。

 鮮烈なコントラストを帯びた写真みたいに、庭園が色めいた。


「あなた、もしかして――」


 この人が……?

 一回りは年上の、描いたような大人の男性。その人は微笑のまま何も言わず手を差し伸べた。吸い込まれるような、黒の瞳。


 私の心はこの時から囚われてしまった。


 この後知ったのは、苦過ぎる初恋の味。現れたのは許嫁ので、縁談を断る為だった。



 実らないと分かって追い続けた

 その人の名は、霧崎真次きりさき しんじ


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