第11話

 大和本部、薄明かりのなかで義体男は項垂れていた。

 本来であれば食事や排泄の為に管を通されるかロボットが一台稼動するのだが、彼の場合はそのどちらも基本必要がない。時々首の後ろから直接電力を送り込み、老廃物の塊を口から吐き出す。

 その掃除の為にロボットが投入されるだけで、それ以外は古い電波のなかで拘束着に包まれたままだ。ネットに逃げようにもノイズまみれで無理だ。

 幾ら人間味のない彼でも脳みそだけは生きている、ストレスは蓄積されていった。

「おえっ……」

 何度かえずいたあと、真っ黒な液体を吐き出した。べちゃべちゃと音を立てて拘束着の膝を汚し、床に滑り落ちていく。

 老廃物は固形の状態で出てくるし、えずく事もない。ただ機械の構造上口に繋がってしまっただけで、嘔吐や排便とは全くの別物だ。

 然しこれはどう見ても違う。だらだらと口から液体が流れていくのを見つめ、眼を見開いたまま固まっていた。

 何十年ぶりの感覚だろう。ないはずの胃が気持ち悪く疼いている気がする。

 唖然としているあいだ、更に込み上げてきた。もう一度吐くと今度はどろっとした状態で飛び散った。

 その時に液体の正体が分かった。血液のように全身を巡っている特殊なオイル、それを貯めてあるタンクから漏れ出ているのだ……。

 なぜ。メンテナンスの時期ではない。

 半分ほどノイズのかかった脳みそに、更にストレスがかかる。その時。

「随分とキツそうだなあ、クソ野郎」

 吐き捨てるような若い女の声。眼を見開き、顔をあげた。

「きったねえ」

 硝子の先、そこには胸に包帯を巻いたヱマの姿があった。

 境井組は失敗したという事か……いやそもそもなぜここに彼女がいる。二人をここに寄せない為にもあれこれ仕込んだはずだ。

「田嶋キョウカ……」

 あの女がまた何か手を打った……。南美サツキの事を言えば壊れると思っていたのに、まさか壊れる事もなく噛み付いてくるとは思わなかった。

「おい、今までの余裕ある態度はどこ行ったんだよ」

 OSIRISも関わってきている。早坂ヤナが見つかるのも時間の問題だ。

「おい! 俺に興味あるんじゃねえのかよ!!!」


「黙れ!!!!」


 顔を上げた義体男の表情には人間味があった。と同時に違和感が込み上げ、ヱマは一歩引いた。

「クソ、クソクソクソ……」

 呪詛のように同じことを呟き、地団駄を踏むように拘束着が蠢いた。

「……追い詰められてんな、義体男」

 一転して落ち着いたトーンで語りかける。ヱマはもう一度足を踏み出し、机に両手を置いて前のめりになった。角が硝子に当たる。

「逃げるなよ。絶対に決着つけてやっから」

 よく通る声はこもらずに義体男の耳に届いた。ふっと反射的に顔をあげる。

 水色の、硝子玉のように綺麗で真っ直ぐな瞳。

 義体男の怒り狂った叫び声と共に硝子の前にシャッターが降り、アラートが鳴り響いた。すぐに大和の隊員が数名現れ、ヱマの腕を引く。

「総裁らの作戦通りであれば、これでコピー体が共鳴して乗っかかってくるはずです」

 それに眼を伏せ、左胸を押さえながら呟いた。

「だといいな」

 三日後の早朝、誰もいないなか、表示されたマップに一つのマークが追加された。それは栃木県の郊外にあり、ホテルらしき建物に覆いかぶさっていた。

「コピー体で間違いないわ」

 みなが警視庁に流れ込み業務を開始しだした頃、OSIRISのリーダーがそう決定づけた。動いていないお陰で張った蜘蛛の糸がずっと揺れているらしく、オールナイトで見ていたメンバーの一人が解析した。

 とはいえその解析結果は荒削り、リーダーが改めて細かく削り出し、証拠として一部を表示させた。

「陰山長官、このまま作戦を実行しても構わないでしょう」

 義体男のコピーにしては粗のある行動だ。弱まっているか、残っている早坂の意識が抑えつけているか……どちらにせよコピーには命がある。最終段階に入って早坂を身投げさせる可能性が高い。

「彼女を失う訳にはいかない……」

 嘗てあった自身の組織、それに匹敵するほどの力を持つ。このまま身体を無くしてしまえば彼女の意識は一生探せないし、戻す事も出来ない。

 五月雨が半壊したとしても早坂さえいれば幾らでも再起可能だ。サイバーパンクである今の世界でサイバーに特化した組織がいないのは痛手になるし、義体男もいつノイズを克服するか分からない……それに最後の最後にコピー体が何を仕掛けてくるかも不明だ。

 一刻を争う状況だ。だからこそ二人が必要になる。

「東さん……」

 警視庁捜査一課。久しぶりの景色に南美は肩を落とした。手錠はかけられていない。

「まさか、こんな形でここで会うとは思わなかったよ」

 苦笑を浮かべつつ雑多なデスク達を振り返った。他の刑事達は南美をチラリと見るだけだ。現役時代、彼がヤクザの息子である事が知られ、その後事件によるストレスで棚の硝子を割った事から距離を置かれるようになった。

 無論、歌舞伎町の事件後、南美が動き物音を立てるだけで、周囲はびくりと反応するようになった。沖田を失った彼の当時の眼は極道のそれと変わらなかっただろう。

 そして現在、刑事を殴って逮捕……東と後輩である現巡査長以外は南美を空気のように扱った。

「ごめんね。君を使ってどうこうは警察内部でも一部しか知らないから……」

 手錠を外して居られるのはこの部屋の中だけだ。申し訳なさそうな表情にかぶりを振った。

「それで、進展があったんですよね」

 珈琲を渡しながら東は肯いた。

「コピー体の位置が分かった。もう追跡できる状態だって陰山長官から言われてね」

 ずずっと啜ってから続ける。

「義体男への煽りも終わってる。かなり精神的に追い詰められているようでね、それもあってコピー体が変な動きをしているんだろうって。専門家曰くね」

 肩を竦めて少し笑う。その様子に南美は不思議そうな顔を見せた。何か思うところがあるような笑い方だったからだ。

 東は視線を逸らし、答えた。

「いやね、OSIRISのリーダー。あの人実は旧友だったんだよ」

「そうだったんですか」

「うん。まあ随分と若作りして、最初名前を呼ばれた時はビックリしたけれどねえ……」

 正体不明の組織のトップ。そのイメージが強かったが、東の旧友となると途端に身近に感じた。

「まあとにかく、指示通り君にはこれを渡すよ」

 東はデスクの引き出しを開けると中から一丁の拳銃を出した。そのまま南美に渡す。驚きながらも受け取ったそれはよく手に馴染んだ。

「まだ判決がおりてるわけじゃない。それにあくまでもこの拳銃は裏社会のルートを辿って流れ着いたもの。決して、警察のものではない」

 釘を刺すように銃身に触れながら言った。南美はその言葉を飲み込み、肯きながら腰の後ろにさした。

 大和本部。ヱマは頬杖をつきながら質問した。

「南美と関係持ってたってのは、マジなのか」

 それに田嶋は意を決したように答えた。

「ああ。彼の顔に傷がない頃だった」

 むっと短い眉毛が寄る。

「へえ、綺麗な顔だったんだろな」

 本部の中庭を見つめながら呟く。

「まあ……」

 歯切れの悪い返事にややあってヱマは息を吐き、姿勢を正した。真っ直ぐに眼を見る。

「でももう南美は俺のもんだから、もう未練たらしい事はしねえでくれ」

 微妙に二人の距離感がおかしかったのを何度も見ている。田嶋も恐らく無意識だったのだろう、少し驚いてから俯いた。さらさらと髪が動く。

 その様子に頬を掻く。まるで虐めているみたいな感じだ……。

「まあ、あんなカッコイイ男、そう簡単に諦めつかねえよな」

 素の性格はどうであれ、女の扱い方には長けている。そのうえあの顔と身体だ。種族を超越した魅力が彼にはある。

「申し訳ない。だが、南美が君の前で素の笑顔を見せているのを見かけた時、少し嬉しかった。ちゃんとした恋愛が出来たんだと思って」

 ぽつぽつと田嶋は呟き、ややあって顔をあげた。

「だから私は、君達を絶対に殺させない」

 ハッキリと言った言葉と共に、真っ直ぐな眼がヱマを見上げた。

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