第8話
二人を乗せたまま、境井組の車は東京都を離れ横浜市に向かった。そこには関東を仕切る暴力団組織がおり、こちらも第四の駒として大分前から生かされていた。無論境井組の仮の事務所として居候しても文句は言わない。
負傷しているため、一旦横浜の病院で治療を受けた。幸い入院する程の怪我は負っておらず、包帯をキツめに巻かれた。
「タフやのお」
境井は若いのに連れられて戻ってきた二人を見て、白い煙を吐いた。終始不機嫌そうな南美を一瞥し、ヱマに言った。
「なんでここでヤクザが関わってくるんや、そう言いたげやのお。まあ、座れ」
革張りのソファに腰をおろす。だが南美は指示に従わなかった。
「南美、オヤジの声が聞こえんのか」
若頭がぐっと睨む。
「誰がヤクザの言う事なんか聞くか 」
まるで反抗期の息子のような雰囲気に若頭は舌打ちをし、境井は笑った。
「まあええ。無理もないわ」
紙巻タバコを咥える。ヱマが「それで」と話を急かした。南美の方を見る勇気はない。
「ああ、まあ簡単に言うたら、第四はどこもかしこもごったごたで、お前らを庇う程の余裕がなくなってしもうてなあ。言われたら従うしかないうえに数も多いワシらをつこうたんや」
「義体男はとっ捕まえた。ネットにも繋げないようにしてある。なのに余裕がなくなったって、どういう事っすか」
確かに田嶋から聞いた限りでは全体的に慌ただしい。陰山も自殺し、早坂は行方不明だ。然し警察はいつも通り機能しているし、大和も問題はなかった……。二型のおかしな暴走に関しても、田嶋ならあいている隊員を使ってくるはずだ。
然しそれすらなく、捨て駒に近いヤクザをわざわざここまで呼び出した。
「ワシらも詳しくは知らん。所詮末端やからの。ただどうやら、第四の防壁が破られたらしい」
境井に連絡が入ったのは田嶋が潜った後だった。彼女はロボット制御システムにありえない量のバグを発見し、何者かが意図的に二型を暴走させたと考え、二型のバックアップデータから探りを入れた。
「その結果、AIがズタボロに改造されとったのが分かった。かなり荒い改造で素人みたいなやり方やったそうや」
制御システムもアンドロイドのAIも、全て基盤には第四の総合ネットワークがある。そこを突破されない限り弄る事は不可能だ。だから田嶋はすぐに第四の防壁が破られたのだと察知した。
「総裁が予測しとった五月雨の動きも、これでハズレやと分かった。既に出しとる強制捜査の申請に加えてその一件を報告するんやと。やからそっちで大和は動けんと」
境井はそのまま続けた。
「無論、第四の防壁が破られたんなら警察も公安も危うい。今んとこ影響は出とらんみたいやがな……時間の問題や。やから大和はそっちを急ぎたい」
煙が空中に舞う。ヱマは眉根を寄せつつ「でも」と言った。
「動かせるのは公安長官だけですよ。それになんで田嶋と連絡とれるんすか」
知っているのはヱマと陰山だけだった。それに素直に答える。
「陰山長官が残しとった金庫の中身、あんなかにワシらとのあれこれもアナログ媒体で残されとったらしい。そっから総裁は必要やと判断したんやろう」
金庫の回収は大和が行った。勿論中身の確認を最初にしたのも大和だ。ヱマは一つ合点がいった。本当に重要なものばかり入っていたようだ。
「で、誰が動かしたんす」
それに境井は鼻で笑った。
「なんや知らんのか、陰山は生きとるぞ」
ヱマは「は?」と息の混ざった声を出し、南美も眉根を寄せて反応した。
「どういう事だ。陰山が生きてるって、あの人は自殺したって田嶋から聞いたんだぞ」
その為に流した涙はなんだったのか。タバコの煙を吐き出しながらあっさりと答えた。
「義体男の反応を見る為に自殺したって嘘吐いたんや。それともう生きて長官には戻れん。義体男に脅されて家族の為に死んだっちゅー筋書きで上書きせんと、世間は陰山を認めへんからな」
「その辺りは全部報道規制かかってるはずだぞ」
「幾ら第四がマスコミに報道規制敷いたって、今や誰でもネットに情報流せる時代やんか。んなもん義体男がとっくの昔に、陰山に接触した段階でネットニュース作って流しとるわ。社会的にも逃げられんようにって」
境井は短くなったタバコを灰皿に押し付けた。ぐりぐりと太い指で押し付けられたタバコは潰れ、灯火を消した。
「ヱマちゃん、アンタ随分と、鈍ったな」
心のなかを覗き見るような声で言う。ヱマは視線を逸らした。
「まあ、いつもピリピリしとった現役時代とは訳がちゃう。やから誰も陰山が生きとるとは言わんかったんやろう。アンタは言うても元。もう一般人や」
第四の人間ではない……ヱマは分かっていたが、改めて面と向かって言われるとぐさりと突き刺さるものがあった。息を吐き出し、視線を落としたまま肯いた。
「理解しました。まさかヤクザから聞くとは思わんかったけど」
ふっと何気なく言ったが、彼女の話し方には関西のイントネーションが混ざっていた。無論境井は聞き逃さない。
「南美のせがれとは、毎日一緒におるんか」
唐突な質問にすぐには答えられなかった。だが代わりにやっと彼が口を開いた。
「話終わったんなら教えろ。なんでヱマをちゃん付けで呼んどるんや」
完全に素だ、仮面を被る余裕は一切ない。境井は一瞥すると答えた。
「そらあ、知り合いやからや」
ソファに身を預ける。革特有の音が鳴った。
「答えになっとらん」
「んなもん、ヱマちゃん本人から聞け」
境井が指をさし、ふっと彼女の方を見た。俯いた横顔。閉ざされた口元に言った。
「ヱマ、説明してくれ」
すぐに返事はなかった。
「……どうやって、話せばいいのか分かんねえんだ」
南美は「はあ?」と大きな声で言った。びくっとヱマの身体が震える。
「お前、元公安長官のくせになにを抜かしとるんや」
それに少しきっと眼つきが変わる。ヱマは彼を見上げながら低く言った。
「元長官とか、関係あるか」
「だって、そういう話するんは得意やんか。公安の人間は」
鼻で笑ったあと、苛立った声で語気を強めた。
「はあ、お前んとこに行ってた末端と長官だった俺を一緒にすんじゃねえよ」
立ち上がり、腰に手を当てる。
「一緒や。隠し事ばっかして肝心なとこは喋らんで急に割り込んできたと思ったら全部かっさらってく。お前ら公安のやり方はいっつもそうやろ」
「刑事ん時の恨みをここで爆発されたってなあ」
「刑事ん時の恨み?」
南美は息を吐いてからヱマを睨みつけた。
「現在進行形や。やっぱ公安は腐っとる」
彼の父はヤクザだ。そのせいでヤクザが心の底から嫌いで、境井組にも色々と悪い意味で世話になった。
警察を目指したのは、合法的にそういう連中をぶっ殺せるからという理由のみ。たったそれだけで上京してまで、身体を無理に鍛えてまで警察になった。
然し望んでいた組織犯罪対策部、所謂マル暴の刑事ではなく捜査一課の刑事になってしまった。そして回される事件は殆どが殺人事件……南美の裏表のある性格と射撃技術から、殺人犯が相手でも冷静に対処できると見込まれての配属だった。
ヤクザ関係の話を聞く度にモヤモヤとしていた。合法的に暴力団組織を相手にし、場合によっては潰せる……それを彼は望んでいた。
そんなある日、境井組を含め一部の暴力団組織が突然、警察のブラックリストから削除された。そしてマル暴に限らずどの刑事も警察官も、その暴力団組織には関わってはいけない……と上からのお達しがあった。
まるで彼らだけが暴力団ではなくなったと言いたげな出来事に、勿論南美は苛立ちを覚えた。何度も上司に言い、遂には胸ぐらを掴んだ事もある。沖田が引き剥がそうとしても全く手を離さなかった程だ。
マル暴の有名な刑事に問い詰めても返ってくるのは「上の決めた事だ」という覇気のない答えだった。停職中でも勝手に動き、一つの組を半壊させた逸話がある刑事の言葉に、南美は怒りすら湧かなかった。
「そらあ、誰も文句言わんわ。言えんわ。公安がやったことなんやったら」
拳を握りしめる。
「俺の親父は、ヤクザや。そのせいでアイツが死んだあともずっとヤクザが家に来たり、よー分からんやつに襲われそうになったり」
歯を食いしばり、吐き出した。
「なんでよりにもよって、境井組やねん」
眉を顰めたその顔は怒りや悲しみ、落胆などが入り交じっていた。ヱマは驚きと共に身体が震えた。
「もうさっきのやり取りでなんとなく察しとるわ。あん時の長官はお前やったはずや。お前が、そうしたんやろ」
首を縦に振る事も、声帯を震わせる事も、出来なかった。
「仁義も任侠もクソもない境井組や……そりゃ、公安に首輪つけられても傷つくプライドなんかない」
視界のなかの南美が遠くに感じた。
「この組の下っ端連中に、俺は、」
ぼろっと涙が一つ零れた時、ヱマは体当たりをする勢いで抱きついた。その力は強く、若干骨が軋む。
「ごめん俺とんでもねえこと、」
眼を見開き、耳元から聞こえてくる子供のような泣き声に身体を震わせた。
「……おい、サツキになんかやった奴おったか」
そんな二人の様子を見ながら、境井は若頭に小声で問いかけた。少し考えてから答える。
「恐らく、私が処分した雪男の双子かと。南美サツキをレイプしかけたってんでケジメつけさせたやつです」
淡々とした返答。境井は「そんなんおったっけのお」と呟き、鼻で笑った。
二人は別室に通された。静かな部屋には机やソファなどの基本的な家具と装飾品以外置かれておらず、質素な雰囲気だった。
「南美からしたら、最悪だよな」
シャツごしに背中を擦る。ふわふわとした髪が手や腕に触った。
「ほんま、最悪や」
情けない声で呟きながらヱマを抱きしめる。長官としての彼女と今の彼女は別人だ、そう何度も自分に言い聞かせた。
「……俺のことは」
「愛しとうよ」
囁くようなその言葉はいつもの口調とは違っていた。だが同時に幼少期に戻っているような声音をしていた。
今までは「愛しとる」という言い方しかしてこなかった。然し彼の出身地である神戸の方言では語尾を「とう」とする場合が多い。
イントネーションの強さはずっと神戸に近かったが、ここに来てやっと完全に全ての仮面を脱ぎ捨てたのだろう、南美は弱々しくヱマに話しかけた。
「ヱマ、俺眠いわ……」
背中を擦る。
「疲れたよな。ソファで寝よう」
そのまま軽く背中を叩いた。先にヱマが座り、膝に頭を預ける形で横になった。
「義体男、確保できたのにな」
ふっと息を吐く。南美の頭を撫でつつ自分も眼を閉じた。
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