雪降る夜の東京(4)

 雪は益々、その勢いを強めていた。

 マモルが1階に降り立ってみると、既にタクシーにはトオルが乗り込んでいる。


 予定通りだ──


 マモルは真っ直ぐタクシーに向かい、軽いノックにドアが開く。


「お待たせ……」

 マモルが車に乗り込んだ途端、トオルは明らかに狼狽ろうばいの色を見せた。真っ赤な顔で目を見開き、慌てて窓の外へとそっぽ向く。

 構わずマモルは行き先を告げて、そのままシートに身を沈めた。


 降りしきる雪をかき分け、タクシーは黙々と走り続ける。

 車中には重い空気が充満し、二人は終始無言だった。


 トオルは可哀想なくらい動揺している。マモルから目を逸らし、顔をそむけて、やり場の無い思いに唇を噛んだ。


 激しい呼吸。震えるこぶし


 あまりの恥ずかしさに身を縮め、トオルは自分の置かれた境遇を恨む。

 そして同時に、こんな形で屈辱を与える思いもしない相手に対し、やるせない怒りさえ湧き起こった。


 が、しかし、トオルはそれを言葉には出来ない。相手と正面から対峙して、それを口にする勇気がどうしても湧かない。


 マモルも車中では言葉を控えた。運転手に聞かれても構わないような、そんな他愛もない話をする気にはどうしてもなれない。

 二人それぞれの思いを乗せて、車は黙々と走り続けた。


「そこで、その公園の入口のところでお願いします」

 マモルの指示で車は止まる。

 閑静な住宅街。

 マモルとトオルの二人を降ろし、車は静かに走り去った。


「こっちだよ。この公園を通るのが近道なんだ」

 トオルの左手をしっかりと握り、マモルは公園の中へとトオルを引っ張る。トオルは黙って下を向き、マモルの力に引きずられる。


 雪、雪、雪──。

 眠りについた住宅街は、いま真白の雪におおわれて静粛なまでに静まり返る。


 雪をかぶった滑り台。風も無く静止した寂しいブランコ。

 真っ白な地面に足跡を残し、二人は無言で公園を歩く。


 いつしか雪は小降りに姿を変えていた。無数に舞い散る粉雪が、二人の姿を取り囲む。


 突然、トオルが足を止めた。

「どう言う、つもりなんだ……」

 思い詰めたトオルの声。ほんの数秒時間を置いて、マモルがゆっくりと振り返る。


「……え?」

 トオルの手をしっかり離さず、マモルはじっとトオルを見詰めた。

 トオルの心は千々に乱れた。

「何だよこれは……こんな事は……もう、止めてくれ……」

 そう言いながらトオルは思う。


(ユッキ……俺をどうしたいんだ…)

 

「……こんな事……って?」

 とぼけた顔でそう言いながら、心の中でマモルも思う。


(今夜は僕たち、トオルとマモルだ。

僕は君の知ってる雪央ゆきおじゃないし、君だって僕の愛した陽介じゃない……)


「だから!どう言うつもりでこんな事をするんだ!」

 トオルの糸が弾けて切れた。思わず声を荒らげる。


「あれ?……何を言っているのか分からないな?君は、あの店に立つのは今日が始めて?あの店のシステムを理解している?」

 マモルはちょっと小首をかしげ、不思議そうな顔に微笑みを浮かべる。


「え?」

 思いもしない相手の反応。トオルは大きく目を見開いた。


「トオル君、僕は君を指名したんだ。今夜ひと晩……」

「止めてくれそんな言い方!いい加減にしてくれよユッキ!」

 マモルの手を振り解ほどき、トオルはやり切れずに背中を向けた。


「ユッキって……あれ?誰かと勘違いしている?僕はそんな名前じゃない。

そう言や自己紹介してなかったね。僕はマモルって言うんだ。よろしくね、トオル君」

「ユッキ……?」


「だから、僕はそんな名前じゃないって言ってるだろ?君の勘違いだよ」

「そんな……」

 二人はそのまま押し黙り、カサカサと、粉雪の降りつもる音だけが二人を包む。それは立ち尽くす二人にとって、とても優しい音だった。


「素敵な夜だね、トオル君……」

 マモルはゆっくりとトオルに近付き、そっとその胸に顔を埋めた。

「え!……あ……」

 トオルは驚きに目を丸くする。


「こうしていると、まるで世界中が眠っているよう……起きているのは僕たちだけだね……」

 立ち尽くすトオルに身体をあずけ、マモルは静かにまつ毛を伏せた。


「ユッキ……俺のこと、忘れたのか?」

 マモルの身体に手を回し、トオルは呆然とつぶやいた。


「ふっ、困ったな……今夜初めて会ったのに忘れるも何も無いだろう?

何だか理解に苦しむけれど、その変な誤解を晴らさなくっちゃ全然先に進めないって事かな?」

「本当に、人違いなのか……?」

 トオルはマモルの肩に両手を置き、まじまじとその顔を覗き込む。


「その人、僕に似ているの?」

 マモルは真っ直ぐ目を見合わせた。

「ああ………俺はやっぱり、君はユッキだと思う」


「ふふっ……僕がユッキだったら君は嬉しい?嬉しいんだったら、ユッキになってあげても僕はいいよ?」

 真剣なトオルの眼差しを受けて、マモルの瞳がゆらゆら揺れる。


「あ、いや……人違いならそれに越した事は無いんだ。

今の俺のこんな姿……ユッキには絶対に見られたくない」

 目線を外すトオルの顔に、苦しげなかげりがさっと差し込む。


「……それでさっき、あんな風に切れていたわけ?」

「ああ、それはそうだけど……」


「ふふっ、それなら大丈夫。僕はユッキなんて名前じゃない。

僕はマモルさ……指名して君を連れ出した One Night Lover ♪」

「マモル……くん?」

 トオルの顔に戸惑いの表情──そしてマモルは、再びその胸に顔をうずめる。


「マモルでいいよ。今夜は僕にもトオルって呼ばせて?」

「ああ……それはいいけど……」


「うぅ~ん、何だかまだ腑に落ちていないようだね。ユッキって、トオルのどう言う知り合いなのかな?」

 トオルの胸に顔をうずめながら、マモルはその答えにドギマギしている。

「親友だったんだ、ずっと昔に」


「何年くらい会っていないの?」

「もう、7~8年にもなるのかな……」


「ええっ?それじゃあ最後に会ったの子供の頃だろ?そんなの顔だって声だって、全然変わっちゃってるよ?」

「それは、そうだろうけど……」


「見間違えても無理はないよね。そう言うことなら許してあげる。本当は少し、不愉快だったよ?」

「……ごめん」


「僕なら絶対に気が付かないな。8年も経っていたなら、顔なんてすっかり忘れちゃってる」

「8年も経ってれば、確かにな。

でも俺は、絶対に分かると思ってた。まさか別人と間違えるなんて……」


「もういいよ。他人の話はもう止めよ?」

 そう言いながら、マモルはゆっくりとトオルを見上げた。


(見間違えるはずなんて絶対にないよ……でも陽ちゃん、こんなに背が高くなってる……)


 粉雪に包まれいだき合い、二人はじっと見つめ合う。高鳴る鼓動に胸が苦しい。


「キスして?トオル……」


「え?」


 マモルのまつ毛が粉雪に震えた。


「この雪の中でして欲しい……」

「あ、いや、マモルって、本当に?」


「それが君の仕事だろ?今夜は僕の、恋人なんだろ?」

 マモルがそっと瞳を閉じた。

 そんなマモルを、トオルは思わず抱き締めた。


(……ユッキ)


 トオルの唇がマモルに触れた。


(似ている……あまりにもユッキに……)


 マモルの目蓋も涙に震える。


(陽ちゃん、嬉しいよ……こうしてまた出会えるなんて……)


 熱い思いに激しいくちづけ。

──二人は舞い踊る粉雪になった。










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