第5話 北の大地のラーメン

飛行機が徐々に高度を下げ始める。窓の外には、冬が終わりを告げたばかりの北海道の大地が広がっていた。まだ雪の名残を感じさせる白い斑点が、広大な畑と山々の間に散りばめられている。その奥には、青白く霞む山脈が連なり、空は澄み切ったブルーグレーに染まっている。


「わぁ……北海道って、空から見るとこんなに広いんですね。」

茜が感嘆の声を漏らした。


「広さだけなら日本一だ。」塩見は目を閉じたまま、簡潔に答える。


「でも塩見さん、そんな大きな場所でどうやって“いい店”を見つけるんですか?北海道って広すぎて、見当もつかないですよ。」

茜は窓の外を見ながら尋ねた。


「嗅覚だ。」塩見は短く答えると、ふっと笑みを浮かべた。


「それ、またですか。さすがに北海道でそれは無理がありますよ!」

茜は半ば呆れたように肩をすくめた。


「心配するな。いい店というのは、必ずその場所の空気に溶け込んでいる。土地の味を感じることだ。」

塩見は相変わらず飄々とした態度を崩さない。


「……相変わらず抽象的ですね。でも、塩見さんが言うと妙に説得力あるんだよなぁ。」茜は苦笑いしながら、窓の外の景色に目を戻した。


飛行機が地上に近づくにつれて、街並みが見え始めた。畑と畑の間にポツンとある家々や、雪が残る牧場。そして空港へと続く一本道。広大な空と地平線のコントラストが、茜にとって初めて見る風景だった。


新千歳空港に到着すると、観光客で賑わうロビーが二人を迎えた。行き交う人々の声、荷物を引くキャスターの音、アナウンスが響く中で、茜は目を輝かせながら歩いていた。


「北海道といえば、海鮮にジンギスカンに、スープカレーですよね!あとソフトクリームも絶対食べたい!」

茜はガイドブックを片手に、楽しそうに話している。


塩見は無言で歩き続けるが、茜が足を止めると、彼も仕方なく立ち止まった。


「塩見さん、ここすごいですよ!ほら、空港内に海鮮丼のお店がある!ちょっと寄っていきません?」

茜が指差す先には、「新鮮な海の幸」と大きく書かれた看板が見える。


「空港で食う海鮮丼なんて、観光客向けのものだ。素材はいいだろうが、魂はない。」

塩見は淡々と答えた。


「もう、塩見さんってホントにそういうところ厳しいですよね。でも、この後どこ行くかくらい教えてくれません?」

茜が拗ねたように唇を尖らせた。


「これから向かうのは、札幌から少し離れた田舎町だ。そこに、一風変わったラーメン屋があると聞いた。」

塩見は淡々と説明する。


「ラーメン……?北海道に来てラーメンですか?」

茜は拍子抜けしたように声を上げる。


「ラーメンにもその土地ならではの味がある。それに、そこの店主はフレンチの技術を使った独特のラーメンを作るらしい。」

塩見は目を細めた。


「フレンチのラーメン……なんだか面白そうですね!SNSでバズりそう!」

茜はスマホを取り出し、早速写真や動画を撮る準備を始めた。


「お前はすぐにSNSのことを考えるな。」塩見が小さくため息をつく。


「だって、今の時代それが大事なんですよ!お店だって注目されれば、もっとたくさんの人に知ってもらえるし!」

茜は笑顔でそう言ったが、塩見はどこか納得いかない様子で首を振った。


「本当にいい店は、注目されなくても生き残るものだ。料理が本物であれば、人が勝手に集まる。」

塩見の言葉に、茜は少しだけ黙り込んだ。


二人は空港からレンタカーに乗り込み、目的地に向かった。車は広々とした道路を走り、窓の外には延々と続く畑と牧場が広がる。道路沿いに並ぶ家々の屋根には、まだ少しだけ雪が残っている。


「なんだか、本当にのどかですね。東京の喧騒とはまるで違います。」

茜が窓の外を眺めながら呟く。


「この土地の広さが、食材の味を決める。」

塩見は運転しながら言った。


「どういうことですか?」茜が尋ねる。


「例えばこの土。この寒さ。この空気の中で育った野菜や乳製品には、この土地でしか得られない味がある。それをどう生かすかが、料理人の腕の見せどころだ。」

塩見の言葉に、茜は少し考え込むように頷いた。


「つまり、その土地の空気を感じることが大事ってことですね。……よし、写真撮ろう!」

茜はスマホを取り出し、窓の外の景色を撮影し始めた。


「お前はやっぱり写真か。」

塩見が小さく笑う。


「だって、この風景はSNS映えしますもん!」

茜は無邪気に笑う。


車はやがて小さな町に差し掛かり、古びた商店街を通り抜けた。目的地はすぐそこだった。


車を降りると、冷たい風が二人を迎えた。周囲は静かで、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。その中に、一軒の小さな店があった。看板には「熊五郎亭」と書かれている。


「ここがそのラーメン屋?」

茜が店の外観を見上げながら聞いた。


「そうだ。ここに、フレンチを取り入れたラーメンがある。」

塩見は短く答えると、扉を押し開けた。


扉の向こうから漂ってきたのは、普通のラーメン屋とは異なる香りだった。スープの出汁の香りに混ざって、どこかバターやハーブのような風味が感じられる。


「これ、ラーメンの匂いなんですか?なんだか、ちょっと高級感ある……。」

茜が興味津々に匂いを嗅ぐ。


「そうだ。それがここの特徴だ。」

塩見は店内を見渡した。


カウンターの向こうには、寡黙そうな店主が立っている。年の頃は40代半ば。鋭い目つきで、二人をじっと見つめていた。


「ようこそ。何をお作りしましょう?」

店主の低い声が店内に響いた。


塩見は静かに席に座りながら言った。

「ここでしか食えないものを頼む。それが、この土地の味ならなおいい。」


次回予告


広大な北海道の地に佇む、一風変わったラーメン屋「熊五郎亭」。フレンチの技術を駆使した一杯には、店主の誇りと葛藤が込められていた。塩見の辛辣な言葉に、店主は何を感じ、料理はどう変わるのか。


次回、「北のラーメン、フレンチの香り」――油とスープの向こうに、人間の物語が浮かび上がる。


読者へのメッセージ


北の大地に足を踏み入れた塩見と茜。北海道の風景や空気感を感じながら、新たな料理との出会いが始まります。料理を通じて人々の想いに触れる物語を、引き続きお楽しみください。次回もお待ちしています!

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