【毎日13時に実食】旅系グルメ小説〜究極のグルメ〜
湊 マチ
第1話 揺れる黄金の暖簾
東京・下町の商店街。その昼下がりは、どこか懐かしい昭和の香りが漂っていた。近所の子供たちが駄菓子屋の前で駆け回り、八百屋の威勢の良い声が飛び交う。観光客がカメラを手に、賑わう通りを歩きながら団子を頬張る姿が目につく。
その喧騒を抜け、塩見幸一は一本の細い路地を見つけた。商店街の華やかな装飾から外れたその場所は、人通りも少なく、静寂が支配していた。古びた建物が密集し、外壁はすすけ、時代に取り残されたような趣きを見せている。塩見はふと足を止め、路地の奥に目を凝らした。
「……ここだな。」
その声は小さく、独り言のようだった。後ろを歩いていた遠藤茜が、塩見の視線の先を追う。
「え?どこですか?」茜が首をかしげる。
路地の奥には、控えめな白い暖簾が風に揺れていた。「天ぷら」とだけ書かれた文字。飾り気のないその店構えは、周囲の古びた風景と溶け込んでおり、注意深く見なければ見逃してしまうほどだった。
「また塩見さんの『嗅覚』ですか?」茜が小さく笑う。
「こういう目立たない店ほど、本物が隠れてるもんだ。」塩見は答えず、暖簾をくぐった。
古いガラス戸を開けると、「チリン」と控えめな鈴の音が鳴る。店内は、昼時にもかかわらず、静まり返っていた。木のカウンターが三席。奥には二人掛けの小さなテーブルが一つ。天井の照明は柔らかい光を放ち、どこか昭和の喫茶店を思わせるような懐かしさが漂う。
天ぷら鍋の向こうで、年配の店主が包丁を研いでいた。無言で、ただ石に刃を当てる音だけが響いている。その仕草は、何十年もの習慣を物語るような無駄のない動きだった。
「いらっしゃい。」低く、ぶっきらぼうな声がカウンターの奥から飛んできた。
「天ぷら定食を二つ。」塩見は短く注文し、カウンターの端の席に腰を下ろした。茜は少し戸惑いながらも、隣に座る。
「このお店、いい雰囲気ですね。でも……ちょっと寂しい感じもしますね。」茜が周囲を見渡しながら言う。
「静かな方が、料理に集中できる。」塩見はそれ以上何も言わず、目を閉じた。
店主はゆっくりと立ち上がり、天ぷら鍋に向かった。その動きに、迷いは一切感じられない。エビ、ナス、舞茸など、食材が整然と並べられた台から、手慣れた仕草でエビを掴む。そして、薄く纏わせた衣をまとわせ、油の中へと沈める。
「ジュワッ」という音が店内に響き渡る。茜はその音に思わず体を少し前に乗り出した。油の中で弾ける小さな泡が次々と浮かび、黄金色の衣がエビを包み込んでいく。香ばしい香りが漂い、茜の鼻腔をくすぐる。
「……いい音ですね。お腹が空いてきました。」茜が無邪気に笑う。
塩見は無言のまま、店主の手元をじっと見つめている。その視線には、職人の仕事を見極める厳しい眼差しが宿っていた。
店主はエビを鍋から取り出し、しっかりと油を切る。そして、ナス、舞茸と続けて揚げていく。どの動作にも迷いがなく、その場の空気が次第に張り詰めていくのを茜も感じていた。
やがて、揚げたての天ぷらが皿に盛り付けられ、塩見と茜の前に置かれた。黄金色に輝く衣が湯気を立て、その奥から素材が見え隠れしている。白米と味噌汁、小皿の漬物が添えられたその一皿は、控えめながらも完璧なバランスを取っていた。
「いただきます!」茜が元気よく言う。
まず茜がナスの天ぷらを一口。「サクッ」とした音が静かな店内に響く。中のナスが柔らかく、とろけるような食感が口の中に広がる。
「え、これすごい!衣が軽くて、中のナスが甘い!こんなの初めてです!」茜は目を輝かせながら次の一口に手を伸ばす。
塩見は静かにエビ天を箸で持ち上げ、ひと口噛む。衣がカリッと弾け、エビの甘みがじゅわっと広がる。その瞬間、塩見の眉間にわずかな皺が寄った。
食事を終えた後、茜が満足そうに微笑む。
「いやー、さすが塩見さんの選ぶ店は間違いないですね!これ、SNSに載せたら絶対バズりますよ!」
塩見は箸を置き、カウンター越しに店主を見た。
「美味い。だが……。」塩見の低い声が店内に響く。
店主がゆっくりと顔を上げた。
「何か問題でも?」
塩見は静かに言葉を続ける。
「技術は一流だ。衣の軽さ、油の温度管理、素材の扱い……すべてが完璧だ。しかし……。」
店主の目が鋭くなる。
「しかし?」
「心がない。」塩見は短く言い切った。
その一言に、店内の空気が凍りついた。茜が慌てて口を開く。
「あ、あの!塩見さんはただ……その……!」
だが、店主は手を止め、低い声で答えた。
「……心、ね。」
塩見は席を立ち、ポケットに手を突っ込む。
「次に来るときは、あんたの味がする天ぷらを食わせてくれ。」
その言葉を残し、店を後にした。
次回予告
黄金色の衣の向こうに隠されたもの――。
塩見の辛辣な言葉に揺れる店主の心。料理人としての誇り、そして過去の栄光に縛られた一人の男は、再び「自分の味」と向き合うことができるのか。
次回、「揚げ物の向こうに」――。
沸き立つ油の音の中で、料理人が見つめる人生とは。
読者へのメッセージ
「孤高のグルメ」をお読みいただきありがとうございます。料理とは、単なる技術の結晶ではなく、作り手の想いが込められた“作品”です。この物語では、料理を通じて人間の生き様や葛藤、そして再生の物語を描いていきます。次回も、どうぞお楽しみに!
次の更新予定
【毎日13時に実食】旅系グルメ小説〜究極のグルメ〜 湊 マチ @minatomachi
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