円満離婚を勝ち取るため、浮気調査はじめます
狭山ひびき
プロローグ
……あれ、わたし、何がどうなったんだっけ……。
ガンガンと殴られたあとのように痛む頭に顔をしかめながら、わたしはゆっくりを瞼を開く。
薄暗い室内は、見覚えがない。
くるんと顔を動かして見つけた窓の外は、日が沈む直前なのか、ぼんやりとした薄紫色だ。
「目が覚めたのか」
すぐ近くで氷のような声がして、わたしはびっくりして顔を反対側に向けた。
そして、思わずひゅっと息を呑む。
ベッドサイドに腕を組んで仁王立ちになっているのは、金色の髪に藍色の瞳の背の高い男だった。
わたしはこの男を、知っている。
というか――
……あー、結婚式……!
だんだんと、記憶がつながっていく。
わたし、エルヴィール・プライセルは本日目の前の男クロード・フェルスターと結婚してエルヴィール・フェルスター=プライセルになった……はずだ。
はず、と曖昧なのは、わたしが結婚式の途中で気を失って倒れたからである。
そう、誓いのキスの直前。
強烈な頭痛に襲われたわたしは、その場で目を回して昏倒した。
この見覚えのない部屋とベッドは、恐らくフェルスター伯爵家の夫婦の寝室だろう。だって、ベッドがキングサイズもかくやと言わんばかりに大きい。
……まいったな~。
結婚式は無事に終わった。そう思いたい。
花嫁が失神したままで「無事に」とは言い難いかもしれないが、もう二度と目の前の男と結婚式なんてしたくないからだ。
司祭の前で愛を誓う時、「誓います」と言うのがどれだけ憂鬱だったことか。
前世の記憶を取り戻す前のわたしですらそうだったのだから、今のわたしにとっては、目の前の男に愛を誓うのはもっともっと苦痛なのだ。
わたしは、転生者である。
そのことに気が付いたのは、先ほどの結婚式の誓いのキスの直前だ。
突如襲い掛かって来た頭痛とともに、わたしはこことは別の世界で生きて死んだ記憶を思い出した。
そして、ここが、前世で読んでいたライトノベルの世界であることも。
……あー、最悪。よりにもよって、転生先がこの小説の中とは。
異世界転生って現実的に存在したのか、とか、そんな感慨とか感動に浸るより先に、この世界に転生したことを心の底から恨む。
エルヴィール・フェルスター=プライセル。
それは、この小説のヒロインの名前だった。
そう、ヒロイン。
悪役令嬢とか、その他の登場人物ではなく、ヒロイン。
普通なら、ヒロインに転生してラッキーと思うところだろうが、はっきり言って、ラッキーなんてこれっぽっちも思えない。
何故ならヒロインの生い立ち……というか、幸せになるまでがひどすぎるからだ。
まず、説明する上で、小説のストーリーから語ろう。
この世界の元になった小説は、よくある「王道異世界恋愛ライトノベル」に区分できる代物で、いわゆるシンデレラストーリー。
虐げられたヒロインが、真実の愛を見つけて幸せになりました、ちゃんちゃん! というやつだ。
そう、おわかりだろうか。
この話のヒロインは「虐げられたヒロイン」なのである。
すでに、前世の記憶を取り戻す前のわたしは、生家で母や姉から散々な目に遭わされていた。
義母でも異母姉でもない。実母と実の姉に、である。
我が家はプライセル侯爵家なのだが、父が領地経営がへたくそな上に博打好きで借金があり、それにもかかわらず母も姉も散財するので、家計は火の車。
しかし、鼻っ柱の高い生粋の貴族である家族は、節約なんて言葉を知らなければ、努力とか苦労とかが大嫌いである。
ゆえに、借金で使用人が大勢雇えなくなっても、母や姉が炊事や掃除、洗濯なんてするはずもない。
そのしわ寄せが全部わたしに回されて、ついでに、お金がなくてイライラしている母や姉は、母曰く「あまり自分に似ていない」というわたしに当たり散らしていた。
なんでもわたしは、父の母……すなわち祖母に顔立ちがよく似ていたらしい。
そして母は祖母のことが大嫌いだったので、これ幸いとわたしをいびり倒し、それを幼いころから見ていた姉も右に倣えだった。
父はわたしをいびることはなかったけれど、無関心。
もともと家族に無関心な男なので、わたしにだけというか、わたしたち家族に無関心だ。
そんなこんなで散々な人生をすごしてきたわたしだったが、小説によると、婚家でも散々な目に遭う。
まずこの夫、クロード・フェルスター伯爵だが、こちらはわたしではなく姉に求婚していた。
姉は、お金がないのに社交界を蝶のように飛び回っていた人で、美人なのでよくモテた。モテついでにあちこちで浮名を流して男に散々貢がせてポイ捨てしていたのだが、その悪評の方は、どういうわけか姉ではなく「わたし」のことになっている。
まあ、このあたりはよくあるパターンだろう。
そして、目の前の夫も、ものの見事に世間の評価を信じ、わたしを男をとっかえひっかえする悪女だと思い込んでいるのだ。
その状況で、わたしを好きになるはずもなく、小説によると、この男は今日から三年間、妻を放置してあちこちで浮気を繰り返す予定になっている。
そして三年後、お前のような悪妻はいらないとわたしは無一文でこの家から追い出されるのだ。
ちなみに、求婚していた姉ではなくわたしがこの男に嫁いだのは、姉が「自分より身分の下の男には嫁ぎたくない」と我儘を言ったからである。
借金まみれのプライセル侯爵家としては、援助をしてくれるという申し出と共に求婚してきたクロードを逃がしたくなかった。
要は金目当てだ。
そして小狡いことを考えたお父様は、結婚式の直前まで、クロードに結婚相手は姉ではなくわたしであることを隠して、式の当日にネタばらししてやろうと考えたのである。
ぶっちゃけ、詐欺である。
が、貴族と言うのは面白いことに、プライドが山より高い。
結婚式当日に花嫁が違うことに気づいても、大勢の貴族が参列している前で騒ぎを起こすわけにはいかない。
クロードは逃げることもできす、騙されてわたしを押し付けられてご立腹というわけだ。
……まあ、婚約を交わす際にきちんと書類を作っていなかったクロードも悪いわよね。
その点、結婚後の援助の約束についてはきっちり書類を作ったお父様はあっぱれだわ。領地経営がへたくその割に、ずるがしこいのよね。
要するに、クロードは気に入らない妻を押し付けられて、あまつさえプライセル侯爵家に援助までしなければならないのである。
可愛そうなことだ。
が、それとわたしの置かれている状況は別問題。
わたしが気に入らないクロードは、さっきも言ったようにわたしを完全に無視する。
そして、夫に顧みられないわたしを、クロードの母やこの家の使用人が優しく受け入れてくれる……なんてこともなく、ここでもエルヴィール・フェルスター=プライセルは虐げられてすごすのだ。
三年も‼
今日から三年間耐えれば、その先に幸せが待っている……なんて、能天気なことはわたしには考えられない。
三年もいびられるなんてどんな拷問だ。冗談じゃない‼
ヒーローとかもうどうだっていいから、とにかく、この状況から一分一秒でも早く逃げ出さなければわたしは向こう三年間お先真っ暗である。
「おい」
ものすごく不機嫌そうな声で、クロードが話しかけてくる。
「エルヴィールです」
おい、なんて熟年夫婦じゃあるまいし、きちんと名前で呼んでくれませんかね。
クロードは形のいい眉をピクリと跳ね上げて、ありがちと言えばありがちな、お決まりな宣言をした。
「俺はお前を愛するつもりはない」
あー、はいはい。
心配しなくても、わたしはそんな心配はこれっぽっちもしていませんよ。
だけど嫌な世界に転生した事実にむしゃくしゃしていたので、わたしはにっこりと笑顔で返してやった。
「ええ、愛していただかなくて結構ですわ、赤の他人の旦那様!」
こうして、転生したわたしの人生は、とっても憂鬱な幕開けとなったのだった。
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