第266話 過去は消せなくても⑤

 ――薄雲が溶けるように夜空に消えて、月光が再び差し染める。

好機だと見たロクブは、何時もの丸っこい声でとうとう切り出した。

「キアラードさん、私はただでここに殺されるために来たんじゃ無いんですよ。貴方に一つ提案をしに来たんです」

「提案だと……?」

どうやら、ロクブの命を購うためにまた大金を払うつもりでは無さそうだった。

だとしたら大いなる見込み違いだと考えて、キアラードは気まずそうに椅子に腰掛け、キアラフォも続いて腰を落とす。

「ええ、キアラカ皇妃様の後ろ盾についてのご提案です。どうか最後まで話を聞いて頂けませんか?」

「……」

黙ってキアラードは赤いバラを手にする。

それを了承の合図と受け取ったロクブは、頷いて、

「ご存知でしょうが皇妃様は皇后陛下がたと違って後ろ盾が弱い。今はカドフォ公家の養女として後宮に入られましたが、血族で無いと言うだけで有象無象から甘く見られてしまっている。第一皇女殿下もお生まれになりましたが、それでも侮る者は一定数残ってしまっております……」

くるくると指先で赤いバラを回しながら、キアラードは無関心そうな顔をしている。

しかし内心ではどうやってその有象無象を始末しようか、と冷酷に算段を立てているのだった。

その無慈悲な算段をも承知の上で、ロクブは本題を提示する。

「そのカドフォ公家が、今はザルティリャの復興作業に従事しているのも良くご存知でしょう。ですが現地の吸血鬼との間で頻繁に問題が起きていましてね。無理も無い、かつて戦争を突如吹っかけてきた国が今更手を差し伸べた所で、信用なんて欠片もありはしませんから。ただ、その問題は我々が看過できない程の頻度で、かつ日に日に重大化しているんですよ」

退屈そうに、キアラードは呟いた。

その重大化していく問題の原因は、どう考えても帝国の自業自得だからだ。

かつていきなり宣戦布告をしてザルティリャを滅ぼし、逃げ惑う吸血鬼達を虐殺さえしなければ、今だって――少なくとも『友好的に』とは行かなくても『平和的に』両国は共存していただろうから。

が、ロクブの腹が読めない。

どうして暗殺組織の党首であるキアラード相手にこの問題が起きている事を打ち明けたのかの理由が、今ひとつ掴めないのだ。

「帝国は何を今更……今更何を考えているのですか?」

ロクブはその瞬間に一気に畳みかけた。

相手が提示した情報に一定以上の興味を示し疑問を口にした、この時こそが彼にとっての一世一代の勝負所だった。

「私共の中には、ザルティリャからある程度の税収、そして定期的な薬草や医薬品の提供さえ有るのであれば、統治権を手放した方が良いのではと考える者もおります」

『な、何ですって!?武力で手に入れた新しい領土を……帝国は「要らない」って言うの!?』

パーシーバーが絶句した。

ピタリと赤いバラを回す指先が止まって、冷たい赤い瞳がロクブを見据えた。

「……帝国は、折角手に入れたザルティリャの地を手放すとでも言うのか?」

また殺気が膨れ上がり始めたが、怯まずにロクブは怒濤のごとく言葉を続ける。

今の彼にとっては、刃でなく、言葉と信頼こそが最大最強の武器だったから。

「正直に申しますと、ザルティリャから得られる税金とザルティリャの維持に必要な国費の採算が全く取れていないのです。陛下は『国境線の防衛の観点から考えても、未来永劫にザルティリャを帝国内の領土として含めるのはあまり得策では無い』とも仰せでした。

故に新たな公家を創始し、その家に全面的なザルティリャの統治権を与える案も出ております。

ですがザルティリャの現地が如何せん……現在も重大な問題まみれですので、出来れば『現地の有力者』もしくは『王侯貴族で生き残った者』が先にザルティリャの民をまとめていてくれると、大変にこちらとしては助かるのです」

――巫山戯るな。

キアラードは我知らず極限まで激高して、目から血の色の涙が溢れ出した。


 『乱詛帝』の『気紛れ』により、彼らザルティリャの王侯貴族達は真っ先に殺された。

生き残りの首には懸賞金がかけられて人間に執拗に追われた。

先祖代々、日の光の下で草木に囲まれ微笑んで生きていたのにも関わらず、たったの数日の間に、地獄の暗闇の中で人の血を啜って生きる獣同然の身の上に堕とされたのだ。


 あの迫害、あの虐殺、そして徹底的に焼き払われた故郷。

彼らの帰るべき地は、何処までも広がっていた美しい緑の海は、猛火と煙の中に消えたのだ。

あの過去と絶望だけはどうやっても消せないものなのだ!


 「今更戻れるか!」

赤いバラを刃物のように突きつけてキアラードは吼えた。

「あの日に!我らの故郷は根こそぎに焼かれた!それを貴様らに忘れたと言わせはしない!」

「植物と言うものは、私達が思っている以上に逞しいものですよ」

そう言いながら、ロクブは懐から『光の欠片』を取り出した。

「これは『毒冠』に頼んで分けて貰った映像資料です。撮った日付は先週。ご確認下さい」


 ――『光の欠片』が映し出したのは、焼き払われたはずのヤハノ草の大草原だった。


 『綺麗……』パーシーバーが呟く。『何て美しい緑の世界なの……』

「20年、ここまで戻すのに20年はかかりました。往事のように生い茂るまでは、まだ数十年はかかるでしょうが……」

ロクブは呟く。

「嘘だ!」天井から、たまらなくなって飛び降りてきたのはキアラードの妹キアラーセテだった。「これは嘘だ!偽造だ!帝国の撒いた毒餌だ!私達を皆殺しにするつもりなんだ、今度こそ根絶やしに――!」

「嘘かどうかはその目でご覧になりなさい」

ロクブは穏やかな声で言ってから、『光の欠片』を仕舞い込んだ。

「このご提案を飲んで頂けるのでしたら、こちらとしては出来る限りのご協力を惜しまないつもりです」

キアラードはしばらく黙っていた。何かを言おうとしても、声が出なかったのだ。

キアラフォに至っては唖然とした顔をしていた。彼は生まれて初めて見たのだ。

母親が何度も夢に見てうわ言で語った、ヤハノ草の大草原の光景を。

吹き抜ける風に波打つ、美しいとしか言い表しようのない緑の海の有様を。



 「何が……交換条件ですか」

ややあって、もう赤くない瞳でキアラードはロクブを見つめた。

ロクブは内心で大きく呼吸をして、今度こそ本心から温和に頼み込んだ。

皇帝直々にキアラード達の指名手配を取り下げ、ザルティリャの安定のための協力を惜しまない。

これらは前提であるとして――。

「まず、そのペンダントを貸して頂けませんか。今、聖地と帝国が揉めているのはご存知でしょう。その事態を打開する鍵になるようなのです」

キアラーセテからペンダントを外して、キアラードはキアラフォに渡しながら告げた。

「貸してやっても構いませんが、これはもう壊れています。『あの頃を思い出して余りにも辛い』と、キアライアが壊してしまったのです。エルフの魔法技術なら修復できるでしょうが……どうするのです?」

キアラフォは愕然とした顔で受け取った。

エルフ族と敵対している今、エルフに修復して貰う事はまず望めない。

「そんな……!」

「エルフが駄目ならダークエルフはどうだ?エルフ共とマダム達は、名前もそっくりだしな」

突如、ロウが言い出した。

思わぬ提案に、その場にいた全員が目を丸くする。

「何より遊郭のマダム達なら、金さえ払えば相談に乗ってくれるだろう」

こんな所よりは俺にとっては遙かに落ち着く場所だからな、とロウは太々しくも言い足す。

「あ、ああ……遊郭、ですか……」

ロクブだけが、さあっと顔を青ざめさせて、

「ニチカさんに、こりゃあ……一晩閉め出されるだろうなあ……ああ、ああ……」




 「最後に聞く。エルフ族はザルティリャでも何をしたんだ?」

廃屋から立ち去る間際、キアラフォは振り返った。

手にしている赤いバラの香りを嗅ぎながら、キアラードは荒れた庭園まで彼らを見送りに来ていた。

「ああ、それですか」と事も無げにキアラードは息子に告げる。「エルフ共は同胞の亡骸を集めていたんですよ。ヘルリアンを見つけると、一際嬉しそうにしてね。ドワーフの時もそうだったらしいのですが……」

「何だと!?詳しく話せ!」

「いや、これから遊郭に言って妖艶なるマダム達に会うのでしょう。彼女達に詳しい話を頼みなさい。私は……私達は、故郷に急いで帰らねばならない」

それだけ告げて、キアラードは姿を消した。



 透明な月光の中に、赤いバラの香りだけが漂っていた。

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