第264話 過去は消せなくても③
「おうロクブ、聞いたか?もうすぐアマディナ姫が帝国城の後宮にお入りになるんだと!」
昼食の時に、同輩達は会話に花を咲かせている。
「良いなあ、皇太子殿下も。あんなに綺麗でしかも優しい姫君なんて、そうそういやしないよ……。はあ、俺にも恋人が欲しいや」
「恋人かあ。王侯貴族お定まりの政略結婚じゃねえの、どうせ?」
「おいおい、皇太子殿下がアマディナ姫にいたくご執心なのは有名だろうが。やり取りした手紙を枕に詰めさせて、夢でも会いたい慕わしいってうっかり涙で濡らして、後でしまったと嘆いたそうだぞ」
「うわあ、それはまた……」
マズい。
ロクブはますます焦る。
急がねばならない。
帝国城に入られたら、もう彼では手が出せなくなる。
「どうしたんだ、ロクブ?」
「いや……どんな美姫なのか、一度見てみたいなと思っただけだ」
同輩はそりゃあそうだと一斉に笑ってから、
「ここの女官志望の連中から話を聞くと良いぞ。本当にお美しくて包容力があって、男ならあの膝にすがりついて甘えたくなる事間違いなし!らしいからな」
「だけど流石にいかんよな。俺達の大恩人のコルス様の妹君だ、無礼は働いちゃあならねえよ」
ロクブは適当に「へー……」と相槌を打つ。
同輩は出自も境遇もそれぞれだったが、全員がコルスに対して恩義を感じている者ばかりであったので、
「そうだよな、俺なんか肉屋の息子なのに見出して下さった」
「俺は貧民街。……あり得ないよな、普通は」
「貧乏すぎて、官僚試験はおろか勉強の費用も出せなかった名ばかり貴族だよ、僕は」
「俺の妹なんて……もうすぐ遊郭に売られる所だったんだぜ。でも今は女官の試験勉強をここでさせて頂いているんだ」
……ほんの少しだけ空気がしんみりしたところで、
「よし、これを食って午後も勉強するぞ!」
「合格してみせるぞ!」
と文官志望の者達は気炎を上げ、
「今度こそ!矢で的を射貫いて見せる!」
「素振り1000回だ、負けてなるものか!」
武官志望の者は気合いを入れるのだった。
「……馬鹿みたいだな」
誰にも聞かれないように呟きつつ、ロクブは何処か寂しいような哀しいような気持ちで、こう考えている。
コイツらは、所詮は地獄横町の住人じゃない。
俺はもうすぐコイツらとはお別れだ。
永遠に。
その日の夕暮れに、ロクブはコルスに呼び出された。
コルスの書斎には大きな本棚が幾つもあり、壁には帝国の各地の地図が貼られている。重厚な木彫りの机と椅子は簡素な作りで、よく使い込まれていた。
唯一、飾り気があるのは窓辺近くに掛けられた小さな木製の額縁で、その中には美しい姫の絵姿が描かれていた。それだけがまるで日陰で咲いた花のように、西日の中で紅一点輝いていた。
少し文字が読めるようになったロクブは、絵の中に『可愛い我が妹アマディナ』と書かれていた事に気付いた。
けれど、その他には金銀財宝の気配は全く無かった。
公家を名乗る大貴族の正統な跡取り息子なのに、もっと華美で絢爛豪華な部屋で過ごさないのかとロクブは不思議に思ったのだった。
「ああ、来てくれたね」
机から振り向いたコルスの側に控えているのは、ロクブより少し年嵩の若武者一人であった。
護衛一人だけなら俺だけでもどうにでもなると見積もりながら、ロクブは返事をする。
「何の用だ、今更」
「今日、地獄横町に行ってきた」
――ロクブの全身から冷や汗が吹き出た。
何かを考えるよりも早く、反射的に殺そうと思ってコルスに襲いかかる。
だが側に控えていた若武者が即座に彼を取り押さえた。
「コルス様!やはりこの男は!信じるに値しませぬ!」
何と言う怪力だ。ロクブはびくとも動けなかった。
「待ってくれタルヤン、まだ全部を話していない」
コルスは穏やかにロクブを見つめて、
「キアラードと言うのだね、あの男は。本当に恐ろしい男だった……。でも、私のへそくりでしばらくは君を見逃してくれる事になった。何時までかは、分からないけれども……」
「……え?」
「私の好き勝手で君をこちらに引き入れた。だから、私の最期まで君の面倒を見よう」
ロクブの全身から力が抜けた。
もう駄目だった。
どれほど殺さねばならないと思っても、全く力が入らなかった。
唐突に『家族』の顔が目に浮かぶ。
これが彼らに対する決定的な裏切りであったとしても、もはや今の彼は知ってしまったのだ。
血の池地獄に垂らされた、蜘蛛の糸の存在を。
「……」
無抵抗になったロクブを解放したタルヤンは溜息をついて、交互にコルスとロクブを見つめる。
コルスは筆記具を手にして、ロクブに背を向けて何かを書き始めた。
「うんと励みなさい。君には才能と未来がある。また迷ったり悩んだりしたら、遠慮無く私の所へ来なさい。ああ、まずは空になった私のへそくりを何とかしなければ……」
タルヤンが呆れた顔をして、
「コルス様なら何とでもなるでしょう。何せ圧倒的な信頼が、義があります故」
「くれぐれも、その義を私の手で蔑ろにしないようにしなければ」とコルスは小さく頷いた。
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