第255話 小さな約束、大きな初恋

 ハルハの住んでいた官舎は、余りにも整然としすぎていて、生活臭が一切感じられない部屋であった。

まるでもうすぐ死ぬ事を理解していた病人が、こっそりと身の回りを整理していた――そう言われても納得してしまうだろう。

「本も日記も何も無い……」フォートンが驚愕している。「これは、あたかも……」

「壁や床も天井も、家財道具も調べた。……隠されているものは何も無かった」

ギルガンドが告げると、フォートンは項垂れる。

「私の読み違いだったか……?」

「ひとまず外に出ましょう。神殿騎士に気付かれると厄介な事になります」

クノハルが促して、3人は外に出た。丁度真向かいに設営されたばかりの児童園があって、子供達がそこの庭で追いかけっこをして遊んでいた。

「……」黙っていたフォートンは気落ちした声で呟く、「本当にハルハは我らを裏切っていたのか……」


 「あら?」足音と声がして、振り返った3人の前には縫いぐるみを抱く娘リリシーテを連れたリーニャ夫人がいた。「皆様、どうされたの?」


 「これはご夫人、ご無沙汰しております」

フォートンはいつも慇懃無礼な態度に戻った。

夫人は、今日が娘の誕生日なので、これから娘と一緒に『一つだけ好きな玩具』を選んで買いに行く所だったと話し、

「こちらこそ、いつも主人がお世話になっております。ほら、リリちゃんもご挨拶を――」

「いや!」リリシーテはギルガンドを睨みながら泣き出してしまった。「だってぎるがんどさま、うわきしたんだもん!リリちゃんがさきにすきだったのに!ほかのおんなとこんやくしたって――」

「ちょ、ちょっとリリちゃん!?」

夫人は戸惑うし、最近の子供はませている、とフォートンは呆れてしまった。

「……」

完全に扱いに困っているギルガンドを置いて、クノハルはそっと少女に近付いてかがみ込んで視線を合わせた。

「リリちゃんの好きな人を奪ってごめんね。でも必ず幸せにするから、許してくれないかな?」

「うわーん!」とリリシーテは大声で泣き叫んだ。だが、クノハルが辛抱強く待っていると、泣き真似を止めて、「……おばちゃん、うそついてない?」

「おばちゃんは本気だよ」

「じゃあ……これ、あげる」

彼女が差し出したのは不格好な縫いぐるみだった。

「……。良いの?」

「うん。これ、はるはさまがくれたの。ほんとうはぎるがんどさまにあげてねっていわれてたけど、でも……おばちゃんにあげる。だっておばちゃんも、ぎるがんどさまのこと、だいすきなんでしょ?」

「うん。ありがとうね、リリちゃん」

「でもね!」少女は大声で、胸を張って宣言した。「おばちゃんがうわきしたら、リリちゃんがぎるがんどさまとけっこんするからね!やくそくだからね!」

「うん。約束する。約束するよ」とクノハルは強く縫いぐるみを抱きしめて、頷いた。

「くすん……。……とくべつに!それならいいよ!」



 不格好な縫いぐるみを貰ったクノハルは、何も言えないでいるフォートンとギルガンドに向かって、

「急ぎ『黒葉宮』へ戻りましょう」

と、先ほどまでの穏やかな顔を一変させて焦った声で告げたのだった。




 「何が起きている……?」

オレ達の目の前ではフォートンとクノハルとギルガンドが険しい顔をして、不格好な縫いぐるみを怨敵のように睨んでいる。

何やらオレ達の知らない、重大な秘密がその縫いぐるみにあるらしい。

「分解するのは気が引けますが、やるしかありませんね」とクノハルは言う。

「ええ。だがもしかすれば、下手に分解すると危険やも知れません。中に入っているものが安全とは限りませぬ故」

フォートンは縫いぐるみをあちこちから観察していたが、頷いた。

ギルガンドは早速に出て行く、

「そう言う事ならトキトハを連れてくる」

それだけを言い残して。

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