月に一度は天使とケーキを

まじかの

第1話 月に一度は天使とケーキを(前)

「天使だってのに、過労死しそうだわ」




天界のケーキ屋『天使の羽』。

そこの店長である私がそうぼやいて、ようやく休憩に入ることができたのは、午後4時であった。


すでに休みなく働き続け、6時間は経過していた。


疲労が溜まらないはずの天使の身体であったが、私は疲労物質があるのではないかと疑ってしまったほどに、何か疲れた気がしていた。体も若くはない。私の体は天使になった当時と同じ、中年女性のままなのだ。



「いつもの2人はどうしてるかね?」



私の少ない休憩時間の合間。


その時間に、私が最近の趣向で観察しているのは、人間のある双子の姉妹であった。

私がヒトメガネで下界にいるいつもの双子を観察すると、二人は中学から帰宅する途中であった。メガネをさらに拡大すると、二人の話声が聞こえてきた。



「……うだから言ったでしょ。自分のしたいことをちゃんと言えって」

「でも、私なんかが発言したら、みんなに……」

「もう、あたしは知らないわよ。別のクラスだし。あたしは自分のしたい仕事は一番に取ったわ」

「へぇ、律はやっぱりすごいね。クラスの出し物のまとめ役とか?」

「そんな偉い役、なっても面白くないでしょ。あたしは現場でガンガン働くタイプ」

「はぁ……あたしはどうしようか、メイド、やだなぁ」



中学2年生の、妹の律と、姉の愛佳。

この二人が、私の言わば、最近のお気に入りだ。


そして今日の二人は、いつもの二人だった。

くよくよする姉と、そのダメ出しをする妹。


その後も二人の話を聞いてみると、どうやら姉が学祭の出し物でメイド喫茶のメイドをすることになってしまったのだが、本人としては裏方をやりたかったらしい。そして、妹はそうなった経緯を糾弾しているようだった。



「ほんと、どっちが姉か、わかんないわねぇ。にしても足して2で割るくらいでちょうど良さそうなもんね、あの二人は」



私は雲タバコを吸いながら、呟いた。

その後、私は二人のやり取りを10分ほど観察し、店の裏手から店内に戻った。


そして、店内で『バイト募集!』と書かれた雑なポスターを3枚準備すると、それを店の前と横にベタベタと貼った。



「うちのバイト募集こそ、即断即決ですぐに誰か来て欲しいもんだわね」



ポスターを貼り終えた私には、翌日のケーキやパンの仕込みが待っていた。私は溜息をつきながら、次の作業に取り掛かることにした。




天界。


そこは死んだ人間の内、未練があるものが来る世界であった。

地上と天の境にあるが、人間に見ることはできない。内緒の世界だ。


そこに住まうのは、天使達。


白い羽を生やし、頭には黄色いワッカを付けた、年を取らない天使達が住んでいる。

人から天使になり、そして天界に飽きた天使は、天に昇っていく。再び人間になることを志願することもできるが、人間に戻りたいという天使は少ない。


天使はそもそも死なないので、食べなくても平気だし、寝なくても平気だ。

そしてやることも全て自由。人間なんかよりずっと、楽な人生、いや、天使生を送ることができる。

しかし、大体の天使は『前世であった』人間の生活習慣を覚えているのか、食べたり寝たり、真面目な天使は労働する。



私、キッシュはおそらく自分は前世では働き者だったのだろう。労働しないと一日が終わった気がしないのだ。


だが、働きすぎというのも、考えものだなと最近、思うようになった。

今のところ、私の店でバイトをしている天使は2人だけで、どちらも週に一度しか来ない。その2人のバイトも、やる気に満ちているわけではなく、まるで暇潰しをするように、のたのたと働く。



「天使も、最近じゃ、やる気のある子は減ったわねぇ。時代なのかしら……」



その私のぼやきは、毎日のように繰り返された。



バイトを募集してから、12日が過ぎた時だ。

バイト募集の張り紙の募集爛に『アイリ 14歳』と名前と年齢が書かれているのを、私は見つけた。


ついに待望のバイト希望者が現れたのだ。



ちゃんと契約サインである、血判も押されてある。

私はそれを見た瞬間、心臓は、というか心臓は無いのだが、心臓らしきものが高鳴ったのを感じた。



「できるだけ長続きする子が来ますように!」



私は祈るような気持ちを抱きつつ、

バイト初日を待った。



私はアイリが、他の二人のバイトのような為体でもいいとさえ思ってしまっていた。

とにかく、人手さえ増えてくれればいいから、よほど変な子でなければ、雇ってあげようと思っていた私の前に現れた待望の新人は、何と面接予定の1時間前に店の前に現れた。



「今日からバイトの、アイリです。宜しくお願いします」



黄色いショートの髪の毛で、きりっとした目つきの14歳の女天使。

それがアイリだった。

バイトの面接時間より1時間も早く来たので、私は驚いて、言った。



「ええ、まだ面接時間より1時間も早いけど?」

「初日なので、早めに来ました。何かやることはありますか?」



私に対し、アイリは一瞬の間も置かず返事をした。アイリはバイトの面接日だというのに、仕事を要求してきたのだ。もちろんだが、そんな子を私は見たことがなかった。



私は「確かにやる気のある子を求めてはいたけど、ちょっと度を越して、変ね」と思ったが、人材不足の前にそんなことは言ってられないという意識に変換することにした。



「じゃあ、ちょっと早いけど、面接をしちゃいましょう」

「はい」



アイリには全く動揺というか、初日の緊張感すら無いようには見えた。

私は心の中で「この子、どういう未練があって天使になったのよ?」と疑問を持った。しかし天使には前世の記憶はない。その疑問は机上の空論となるに違いなかった。


店内に入ったアイリの動きはきびきびとしていた。私の方が緊張してしまうほどに、アイリには隙が無かった。

お茶を並べた机の椅子にアイリを案内した私は、既定の質問を始めた。



「じゃあまず、うちの志望動機ね。どうしてケーキ屋にしたの?」

「はい、おそらく、私は生きていた頃、ケーキが好きだった気がしたんです。なので、志望動機は何となくです」

「へえ!生きていた頃の記憶は……無いわよねぇ?」

「ありませんが、そんな気がしたんです」



アイリのバイト志望動機は、思ったよりぼやっとしたものだったので、私には意外だった。

全てがきっちりしていそうな子なのに、ケーキ屋で働く動機はぼやっとしている。「こういう子は、理論詰めで生きそうなもんだけどねぇ。まぁいいか」と私は心の中に面接結果をメモした。


その後もいくつか質問したが、もはや質問する必要もないようなものばかりであった。ケーキは好きか、とか、接客は向いていそうか、とかそんなもので、とにかくやる気さえあれば、あとはどうでもよさそうなものであったので、私はもう質問も4つくらいで切り上げ、もう働いてもらうことにした。


アイリは、私の予想通り、覚え込みは早く、仕事も早かった。初日とは思えないな、と私は嬉しい驚きを覚えていた。


そして、アイリはケーキ作りのコツを掴むのがかなり早かった。次に何を入れどうするのか、など知らないようには思えないくらいの覚え込み早さであった。



「初日でケーキを作ったバイトは、あんたが初めてよ」



私はアイリの作ったフルーツケーキを試食して、感嘆の声を漏らした。初日にして4種類ほどのケーキを覚え、試作させたが、フルーツケーキが一番、美味かった。



「いや、初日なので、まだまだです」



ケーキを褒められたというのに、アイリの顔からは厳しさがなくならなかった。それを見て、私はいい新人が来たな、と心の中で満面の笑みを浮かべた。

結局、面接日だというのに、アイリは7時間働いて帰って行った。

私は「試行期間は、要らないわね」と考えつつ、バイト募集の張り紙を剥がした。




アイリがケーキ屋で働き始めてから、店長である私の休憩時間が増えた。

アイリの仕事の効率は上がる一方で、バイト2日目には、私は働きすぎじゃないかと心配して声をかけたが、アイリは「余裕です」ときっぱり言い放った。


そして、何日か過ごすと、アイリの性格がちょっとずつ、露呈していった。


私はアイリは初日から気が早いのが何となく解ってはいたが、ちょっとせっかちで、口が悪いのも解ってきた。バイト初日こそ、さすがに遠慮があったのだろうが、アイリは少しずつ本来の性格を出していった。



「あー店長!ダメでしょ。これ、ちゃんと片付けて」

「あぁ、ごめんごめん」

「それと、冷蔵庫、開けっ放し、だめ」

「はいはい、ごめんごめん」

「ごめん、は一回でしょ」

「はいはい」



もう、私とアイリはバイト3日目にしてため口で話す仲になっていた。

職場の上司と部下としてはどうなのかと思う人、いや天使もいるかもしれなかったが、私はアイリの性格が嫌いではなかった。むしろ、私としては、そういう荒い子が好きだったので、怒られながら、心の中では嬉しく思っていた。



そして、私にはやっとまともな休憩時間ができたので、「ようやく、人として、いや、天使として普通の生活になったわね」と肩の荷を下ろし、久々にお気に入りの双子を観察してみることにした。



人間界では、午後8時のことだった。


私がヒトメガネで双子の家の中を見ると、なぜか姉は黒い板の前で正座し、静かに泣いていた。

何があったのかと思い、妹の姿を探すも、すぐそばには妹の姿はなく、また、家のどこを探してもいない。


さらによくヒトメガネで姉を観察すると、姉の目の前にある黒い板には妹の写真が貼ってあった。写真の前には、線香が白い糸を垂らしていた。



私はそこで、はっとし、悟った。

妹の律は、死んだのだ。



「もう2週間だぞ。律の分も、まっすぐ生きないと」



隣の部屋にいた、父親が姉の愛佳に小さい声で言った。

その声を聞いても、愛佳の目から落ちる雫は減ることがなかった。すすり泣く声も小さくは、ならなかった。


「律だけなんてね。あの子、せっかちなとこあったから」

「せっかちだから、事故に巻き込まれるなんてあってたまるか。あの車の運転手が見てなかったんだ」



私が両親の話を聞く限り、どうやら律は約2週間前に交通事故に巻き込まれ、亡くなったらしかった。そして愛佳は律とは別行動をしていたので、助かったようだ。

その後も、愛佳を観察していたが、愛佳は悲しむばかりで、その後も変化はなかった。



「妹さん、死んじゃったのか……なんか人の気持ちって良く分かんないけど、見るのが心苦しくなってきたわね。違う人間を観察することにしようかな」



私はそう言いつつ、別の人間を探そうかと思っていると、肩をトントンと叩かれた。

ヒトメガネのまま私はその肩を叩いたと思われる人物がいるだろう場所へ視線を動かした。

そこにいたのは、ちょっと怒ったような顔をしたアイリであった。



「店長!なかなか戻らないと思ったら、こんなとこで油売ってー」

「おおびっくりしたー!双子の妹―じゃない、アイリか。いや、もう戻ろうと思っていたところよ、ほんと」

「嘘くさいなー。んで、何してたの?」

「人間観察よ。いつも見てる双子の妹さんが、久々に見たら、死んじゃってね」



私はもう少し休憩したかったので、アイリにも人間観察をさせようと、アイリにヒトメガネを押し付けて、双子の姉を見せた。

アイリは私の魂胆を見破ったように少しムっとした顔をしたが、その場の流れで姉の姿をメガネで見た。

しばらく仏壇の前ですすり泣く愛佳を観察したアイリはムっとした顔をさらに膨らませた。



「あの子、なんか見てるとイライラするわーなんか説教したくなるー」

「あぁ、あんたなら、そう感じるでしょうねぇ。あんたとあの子、足して2で割って丁度いいくらいだとあたしは―」



そこで私は言いかけた言葉を止めた。


最近、同じようなことを別の時に言った気がしたのだ。しかしそれを思い出せず、ウーンと悩む私の前に、ヒトメガネがぐいっと戻ってきた。



「もう見ない。なんかムカついて、あーもう、仕事しよ」



そう言いながら、アイリはずかずかと店内に戻って行った。

私は咥えていた雲タバコが短くなってきたので、「そろそろ私も諦めて、仕事に戻るか」と言い、タバコを足で踏んづけて、ぽっと消した。




アイリが愛佳を初めて見てからというもの、アイリは休憩時間には愛佳を観察するようになった。私が一緒に休憩する時にアイリを見ると、アイリは「あーもうなんだよ」と小声で愚痴りながら、ヒトメガネを覗いていた。



「あんたさー休憩って、休むためにあるのよ。そんなにイライラしてたら、休憩にならなくない?」


私は雲タバコの煙を吐きつつ、少し呆れた顔でアイリにそう言った。アイリは観察する視線はそのままで、私に対し返事をした。



「辞めたいんだけど、なんかイラついて、つい見たくなるのよね。怖いもの見たさってやつ?」

「あたしはあんたの方が、よっぽど怖いわ。あんた、人間界にいたら、あの姉をひっぱたいて、泣き止ませそうだもん」

「そこまではしないわよ。でもそうね。2日で妹のことは忘れないと、ケツをぶつ、くらいはするかも」

「うーやっぱあんた怖いわ。人間だったら、青信号になる前に道路渡って、車に跳ねられるタイプね」

「いや、あの時はちゃんと青信号だったわ」



私は最後のアイリが言ったことの意味が分からなかったので、

「は?今なんて?」

とアイリに聞き返したが、アイリは観察に夢中で自分でも話していた内容を覚えていなかったのか「なんか言った?」と質問に質問で返してきた。


私は


「やっぱなんでもない」


と言い、足で雲たばこをすりつぶすと、まだ観察を続けるアイリをほっとくことにして、仕方なく仕事に戻ることにした。




それから2日後のことだ。

アイリは仕事の合間に私に衝撃的なことを言ってきた。



「あの子、愛佳って言ったっけ。あたしのツインズにしようと思う」



それを聞いた私は「はあ!?」と驚いた。


ツインズとは、天使界の法律の1つで、正しくはツインズ法という。いつも観察している人間の内、1人を1月に1度だけ、天界に招いて話をしたりすることができるシステムだ。


天使は対象の人間が死ぬまで、ツインズを変えることができない。つまり、その人間が死ぬまで、ずっとそばで観察し続けるだけでなく、生きるアドバイスをしたり、人間の話を聞いたりすることが必要になる。

これは人間の感情を理解できない天使が作った、言わば天使のための救済法のようなものだが、最近でこの法律を利用する天使は少なく、それは同じ対象だけを観察するのに飽きてしまう天使が多いからだ。

また、この法律は人間にも枷を付けることになり、その人間が天界で体験したことを他の人間に話したりすると、その人間は元から生まれなかったことになり、周囲の人間の記憶からも消えてしまう。ツインズになった人間は、生涯、誰にも話せない秘密を課せられてしまうのだ。また、それを破った人間は、強制的に記憶を消され、即座に天使にされてしまうことになっている。


ツインズは天使にとってもめんどくさく、またツインズになった人間にも大変な思いをさせるものなので、利用価値のない法律となってきているのが近年であった。



「あんたまた、気が早って!ツインズなんて利用する天使いないわよ!?」

「でもできるんでしょ?」

「そりゃ、できるけど……というか、なんであの子なの?」

「なんか、毎日見てたら、説教したくなって。ムカムカして会いたくなったの」



そんなことだろう、と私は思った。アイリは、何でも早いとは思っていたけど、まさかのツインズを使うとまでは思っていなかった。

そして私は、もう止めても無駄だろうと思った。アイリはせっかちでかつ、頑固者なのだ。



「もう止めても聞かないんでしょうから、何も言わないけど、ちゃんとあの子に手紙で細かいことを説明するのよ?」

「もちろん」



もちろん、と言いつつ、もうアイリは手紙を書き始めていた。

ツインズを利用する場合、対象となる人間が了承しないと『ツインズ契約』にならないので、きちんと事情を説明して、羽に人間の血判をもらうことで成立する。

人間にも不利益が発生してしまうので、ちゃんと説明が必要で、そのための手紙だ。



「ほんと、思ったらすぐね、あんたは。そんだけテキパキやれるなら、将来、大天使になれるかもよ?仕事もデキるし」

「そんな偉い役、なっても面白くないと思うけど。あたしは現場でケーキをがしがし作るタイプだから」



大天使とは、天使の上にいる管理者のことだが、天使でもよくデキる天使から生まれる、いわば天使の『上司』だ。天界の細かい法律などを定めたり、天使を作ったりするのが仕事になる。

私はアイリこそ大天使にふさわしいと本気で思ったが、本人はその気はないようだった。



「できた」



私が少しの間ぼーっとしている内に、アイリはもう手紙を書き終えたらしかった。


私は「どれ、あたしが添削してやろう」とアイリに近づいていくと、アイリは店内を風のような速さで走り抜け外に出ると、雲の端から手紙をえいっと投げた。


それを見た私は「ああ!」と叫んだ。

私が見る前に、アイリはもう、愛佳宛に手紙を送ってしまったのだ。

私が手紙の内容に過不足ないかを確認しようとしていた矢先のことだった。


アイリは手紙を投げ終えると、やはりキビキビとした動きで店内に戻って来た。その顔にはやり遂げたという、清々しさすらあった。

そのアイリに向かって、私はあんぐりとした顔のまま、言い放った。



「あんた、本気で早死にするわ……」



それに対し、アイリは一瞬の間も置かず、答えていた。



「早死にしたから、ここにいるんだけどね」



アイリはそう言いつつ、もう別の仕事をするために手を動かし始めていた。

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