ナイトステップ後日譚:前編 グレ

内田ユライ

 


 買い込んだ荷物を玄関タイルの上に置き、自宅の鍵穴に鍵を挿してひねる。


 ただいま、と声をかけるが、応じる言葉は返ってこない。

 夕刻の薄明かりは、すでに室内を照らす勢いを失っている。家の中は、夜とほぼ変わらない明るさだった。

 暗いリビングに足を踏み入れ、壁のスイッチに手を伸ばして照明をつける。


 今日は家族全員の帰宅が遅いと聞いている。昼に、母親からスマートフォン宛に買い物リストが送られてきた。遅くなるかもしれないから、帰り際によろしく、とあった。

 こっちに送ったということは、和哉も遅くなるに違いない。テレビの電源を入れて、時間を確認する。


 購入した食材を冷蔵庫に放り込み、出しっぱなしだった洗濯物を取り込んでから一階と二階の雨よけシャッターを下ろして一息つく。


 溜め息をひとつ。さすがにすこし疲れた。


 期限ギリギリに課題をしあげて、なんとか提出を間に合わせた。それから小テストの一夜漬けをしてから仮眠をとり、翌日一限と二限の授業を受け、その後どうしても代わってくれと懇願されてアルバイトを勤めて帰ってきたら、すでに夕方の五時を回っていた。


 このところ、ずっと慌ただしい。

 これから夕飯の支度をしなけりゃいけないのか、と思うと気重になる。


 碓氷うすい家の両親はずっと共働きだ。小学校の低学年から、修哉は母親の在宅中に火の扱いを教わるようになった。


 母親は職業柄、就業時間が不規則で、反して父親は定時上がりが多い。働く時間が稼ぎの額面どおりなのと両親の性格もあって、碓氷うすい家では男女の役割というものがない。


 母親は、どうも家庭的とは言いがたかった。仕事と家事を両立させながら、男三人の所帯をこなすには繊細さなんて二のつぎとも言える。見た目がきれいで、そこそこ快適に暮らせて、適当に腹が膨れ、家の中が大きな問題もなく回り、目に見える不満が家族の内から噴出しなければ、それでじゅうぶんだった。


 しかも、事情があって若い頃から親元を離れて生活してきたせいもあって、父親のほうがよほど手際が良かったりするのだ。


 そのためには、分担が肝要だと考えたらしい。

 弟の和哉が高学年になったころ、これからは男でも家事ができないといけない時代だから、となにかと手伝わされるようになった。


 修哉が水の事故に遭ったあと、学校のときだけ外に出て、残りは家に閉じこもる生活を送っていたときも、やることはやれ、と言われてきた。


 やらないと誰もやってくれない。困るのは自分なので、嫌でも手をつけるようになった。

 両親の帰りが遅いときは、修哉と和哉で夕食作りをするように言い渡された。


 最初はふたりでなんとか回していたが、和哉が中学に入ると部活で帰宅が遅くなり、一方で修哉はほぼ幽霊部員で帰宅部同然だったから、どうしても役が回ってくる。

 気の進まない作業が毎日となると、やる気が出ずにゲームしたり漫画を読んだりしてだらだら過ごしていたら時間が押し迫り、適当に作ってみれば鍋底を焦がし、まともに味がまとまらない。

 失敗したなあと内心思いつつ、それに付き合わされる家族もなかなかの苦行だとは思う。一応は口に入れるが、連日となると褒める言葉も出てこない。


 だからと言って、割高な出来合いの惣菜を毎日買ってくるわけにもいかない。そのうち下手なチャレンジをされるより、時短食の箱入り調味料を使えと父親に指示されるようになった。


 パッケージの説明どおりに作れ、そのほうが数段マシな仕上がりになる、とのあきらめの言葉とともに「味が安定しないのは向上心が足りないからだ」と散々母親に突っ込まれて内心「ろくに料理もしない相手に言われたくない」と機嫌を損ね、つい「腹に収めりゃ同じだ」と負け惜しみを口にする。


 受験で予備校に通っている時期は、コンビニ飯も許された。だが大学に入る頃には、さすがに何年料理やってんだとの含みもあって、風当たりは相当強くなっていた。


 人間には、不得意な分野ってものがあるんだって。


 釈然としないながらも、いくらか反応がマシなレパートリーを周回させる日々になっていた。それも飽きたと文句をつけられ、そろそろ新しいメニューを取り入れてほしいとつつかれる。


 面倒なんだよなぁ。


 溜め息をつきつつ、テレビの画面に視線を向け、時間を確認する。

 寝不足続きだったせいか、ちょっとだけ休もうとリビングのソファに身体を預けたとたん、いつのまにか意識を手放してしまっていた。




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