山の記憶

朝もやの立ち込める山道で、ソラは古びた地図を広げていた。端に記された魔術ギルドの紋章は薄れかかっており、地図自体にも魔術の痕跡が残っている。


「この地図」ソラが魔力を探るように指でなぞる。「百年以上前の魔術師が記録したものだな」


「百年前の魔術師も、同じように迷子だったんでしょうか」


ヒノメの軽やかな声に、地図が微かに反応する。古い魔術の痕跡が、ドラゴンの血に呼応したのだろう。


「迷子になる前に」ソラは帳面を取り出した。「昨夜の反応を確認したい」


開かれた帳面からは、まだ青と銀の光が漏れている。ヒノメの夢の記録は、通常の魔術記録とは明らかに異なる反応を示していた。


「こっちです」


ヒノメが指差す先には、急な斜面が続いている。地図には載っていない獣道のような細い道だ。


「根拠は?」


「私の血が」


「血液型でも調べるか」


「失礼ですね」ヒノメは優雅に髪をかきあげた。その仕草に、朝日を受けた鱗の輝きが混じる。「昨夜の夢で、確かにこの道を通ったんです」


ソラは帳面を掲げてみる。すると、紙面の光が確かにヒノメの指差す方向へと揺らめいた。


「これは」ソラが呟く。「魔力の流れに沿った反応だ」


「私の計画通りです」


「どこまで計画してたんだ」


「それはまだ分かりません」ヒノメは当然のように答える。「でも、この感覚は間違いないはずです」


獣道を登ること一時間。木々の間から、古い石垣が姿を現した。苔むした石の表面には、かすかに魔術の痕跡が残っている。


「結界の跡か」ソラが石垣に触れる。「でも、通常の防御魔術とは違う」


帳面の光が強まり、石垣の魔術痕と共鳴するように輝きを増す。それは、まるで古い記憶が目覚めるかのような反応だった。


「ここで、約束をしたんです」ヒノメが静かに言う。「夢の中で見た場所。誰かと大切な約束を」


「誰と?」


「それが」ヒノメは珍しく言葉を選びながら話す。「人間の魔術師、なんです」


石垣に沿って歩を進めると、木立の向こうに小さな広場が開けた。その中央には、苔むした祠が佇んでいる。祠の軒下には、魔術ギルドの紋章と、ドラゴンの里の古い印が並んで刻まれていた。


「見つけました」ヒノメの声が、珍しく震えている。「夢の中の、あの場所です」


ソラは慎重に祠に近づく。扉の前に立つと、帳面の光がさらに強まった。同時に、石組みの隙間から、かすかな銀色の輝きが漏れ出していた。


「この祠」ソラが魔術の痕跡を確認する。「結界と封印が幾重にも重ねられている」


「はい」ヒノメが真剣な面持ちで頷く。「人間の魔術と、ドラゴンの力が、混ざり合っているんです」


朝もやの中、祠は静かに佇んでいた。帳面の光と、石組みの隙間から漏れる銀色の輝きが、幻想的な光景を作り出している。


「そういえば」ソラが地図を見直す。「この場所、魔術ギルドの古い記録にも出てくるはずだ」


「どんな記録ですか?」


「人間とドラゴンの協力関係が始まった頃の」ソラは慎重に言葉を選ぶ。「何か、重要な約定が交わされた場所らしい」


「私の夢は」ヒノメが祠を見つめる。「その記憶の欠片だったのかもしれません」


「扉を開けてみるか」


「待ってください」ヒノメが珍しく慎重な様子を見せる。「この扉には、特別な開け方があるはずです」


「お前が知ってるのか?」


「いいえ」ヒノメは静かに微笑んだ。「でも、私の血が、そう告げているんです」


祠の前で、帳面の光が最高潮に達した。それは、まるで長い眠りから目覚めようとする何かを、呼び覚ますかのようだった。

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