21グラム彼女に足りない

鴻山みね

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 これから語ることは僕の話じゃなくて、彼女のインポートした記憶データを整理するためにまとめ上げたもので、彼女の奇行のプライベートを売ろうとしてるわけじゃない。


 紗月さつきは大学の友人で――もしたら彼女は僕のことを友人ではなく知人と認識しているかもしれないけど、彼女の斜めに曲がった哲学者つらしたペーパーを手伝ったのだから、僕は友人だと記しておく。


 彼女には愛衣あいって恋人がいたんだけど、事故で亡くなった。ずっと悲しんでいたのは知ってたけど、紗月はアンドロイドに違法の人格アップロードなんてして、人形遊びをしていた。


 似たようにアンドロイドの人形遊びなんてやってる奴はいるけど、人格アップロードまでするなんて紗月はイカれた奴だよ。何せそのせいで僕は関係しているのかと警察に呼ばれて、彼女の記憶データを見せられることになった。

 まあ、そのおかげで紗月の記憶データをひっそりとレトロフィットニューロンにあるプライベート格納にコピーしたんだけどさ。いったい彼女が何を見たのか、気づいたのか理解できなかった。正確に知るために彼女の記憶をただ書き残す。




 ――二十一グラム足りない。

 バター百グラム、砂糖七十九グラム。


 ――二十一グラム足りない。



「どうしたの紗月?」と愛衣は言った。

「――ん、砂糖が足りなくて。勝手にあると思っててね。薄力粉もベーキングパウダーも新しいの買ってきたのに」

「じゃあ、わたし買って来るよ」



 砂糖の保存容器を持っている紗月は愛衣の腕を掴んだ。体を僅かにひねり、ひねる方向へと顔を向けていた愛衣は振り返り紗月を見る。


「どうしたの? 他に何か買ってくる?」

「――そうじゃなくて、別に買いに行かなくてもいいよ。雪降ってるし」



 ベランダの手すりと床には雪が少し積もっている。床の雪は掃き出し窓の近くまでは積もってはいない。雪は日の光に当たり、白く明るい。愛衣は外の景色を見た。


「これぐらいなら、大丈夫だって。さっき帰って来る時も別に大したことなかったじゃん」

「いいよ、ほんとうに。明日の買い物の時に買えばいいから。パウンドケーキは今日じゃなくても――」

「えー、わたし食べたかったんだけどなあ」愛衣はにこっと笑う「まっ、明日まで待ってあげるけど」



 紗月は愛衣から手を離す。

「はいはい、作ってあげますとも」砂糖の保存容器を置いた。



 愛衣はキッチンからリビングまで歩いていった。キッチンからはリビングが見える。計量器に載った砂糖入りの透明な器にラップを掛けた。同じくバターにもラップを掛けた。

 計量器を戸棚に仕舞い、冷蔵庫からリンゴを取り出す。白い皿を出し、リンゴの皮を剥き始めた。



 白い皿に切られた八個のリンゴ、フォークが二本刺さっている。リビングに向かいフローリングから、ベージュのラグに足を置いた。

 テーブルに白い皿を置いて、グレーの布張りカウチソファに座る愛衣の隣に紗月も座ると、カウチソファの表面を払うようになぞった。



「いただきまーす」


 そう言うと愛衣は上半身を伸ばし、フォークを指で持ちリンゴを持っていった。紗月はカウチソファのカウチ部分にあるブラックウォッチ柄のブランケットを手に取ると、愛衣の膝に掛け、その後に自分の方にも軽く伸ばして膝に掛けた。


 短い息を吐くと、紗月も同じような動作をしてリンゴをひと口かじる。愛衣の持つフォークに刺さっているリンゴがブランケットに落ちた。あっ、と愛衣は声を上げた。


「ちょっとー、落とさないで。ゆっくり食べて」と紗月。

 紗月は手でさっと拾い、口に入れた。リンゴをかじる音を立てながら愛衣を見た。

「ごめんねー」愛衣からは笑みがこぼれている。



 紗月はティッシュを取り、僅かに水分が載ったブランケットの表面を軽く叩いた。


「――もう、愛衣はいつもそう。覚えてる? 前にコーヒーこぼして白のブランケットをダメにしちゃったの?」

「あれはしょうがないじゃん、寒くて早く飲みたかったんだから。熱々すぎちゃったのがいけない」

「コーヒーは熱い物」と紗月は言った。

「アイスコーヒーは?」と愛衣は言った。

「寒々としたなかでアイスコーヒー飲みたいの?」



 愛衣は唇を震わせて不満そうな顔をした。紗月は愛衣にブランケットを叩いたティッシュを渡した。


「自分で落としたんだからゴミはお願いね」

「わかりましたわかりました。やりますやります」



 愛衣はティッシュを受け取り、立ち上がる。その時に膝に掛かっていたブランケットはベージュのラグに落ちたが、紗月は自分の膝に掛かっているブランケットは抑えていたので、半分だけがラグに落ちた形となっている。

 部屋の隅に置いてあるゴミ箱に愛衣が向かっている間に、紗月は落ちたブランケットの部分を引っ張り上げていた。


「捨ててきました、王女さま」愛衣はカウチソファに座る。

「当然のこと」



 紗月は小さく盛り上がった山のようになったブランケットの端っこを愛衣に手渡す。ブランケットの端を引っ張り、愛衣は自分の膝にブランケットを掛けていった。山のようになっていたブランケットは平坦になった。


「今度は落とさ――」

「落としてから言ってくださーい」と愛衣は言った。

 フォークにリンゴを刺す「はいはい、期待しておきます」

「それは……どっち? 落とす方? 落とさない方?」



 紗月は笑った後に、フォークに刺さったリンゴを愛衣に向けて言う。

「愛衣はどっちだと思う?」


 愛衣は倒れるように紗月の膝に頭を乗せた。


「――これなら、絶対に落とさないでしょ」

「どうだろう、疲れたら愛衣の顔に落としちゃうかも」と紗月は言った。

「いじわる」と愛衣は言った。

 ――二十一グラム足りない。




 掃き出し窓のカーテンは閉まっていて、天井からの明かりが部屋全体を照らしている。シルクのような光沢を放つコットン地のパジャマを紗月と愛衣は着ていた。

 襟はオープンカラー、色は紗月がネイビー、愛衣がラベンダー。愛衣はあくびをして、寝ないかと紗月に尋ね、紗月は愛衣と一緒にベッドルームに行った。白いシーツに愛衣はすぐに飛び込んだ。紗月はドアを閉める。



「――もう眠い。なんか今日疲れちゃった」と愛衣は言った。

「えー、買い物したぐらいでしょ。昔ふたりで徹夜でレポートの方が疲れる」

「ああやめて。思い出したくない――信じられないアレは……講師の皮を被った鬼め――」



 二つあるうちの一つの枕に顔を埋めて愛衣は脚をじたばたと動かす。紗月はベッドに座り、その様子を見ていた。動きがピタリと止まると、愛衣は顔を紗月に向けた。

 愛衣は枕に触れながら「寝ないの?」と言った。



「愛衣が面白いから見てただけ。寝ましょうか」

 布団を掛けて「ライトオフ」と紗月が言うと、電気が消えた。電気が消えたベッドルーム全体から音が流れる。



「――ねえ、新しいヒーリングミュージック買わない?」と愛衣は言った。

「飽きたの?」

「だって、これ大学の頃から使ってるじゃん。聞き飽きちゃった」

「――私は気に入ってる……から」

「じゃあ、交互にしない? 新しいのわたしが買うから、一週間ずつ交互に!」

「変なのにしないでよ」と紗月は言う。

「心配しないで、紗月のことも考えて買うから安心してて」



 紗月は体を愛衣の方向に向けた。体を少しずつ動かし、愛衣に近づく。彼女の腰に手を回し言う。

「……なら甘やかして。私が寝るまで」


 愛衣は紗月を自分の方へと引き寄せると、背中をさすった。

「――うん、いくらでも」と愛衣は言った。


 ――二十一グラム足りない。

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