雪の狐巫女は遊び足りない

平川 蓮

第1話

 会社員である原田哲也は、今年最後の仕事を終えると、いつもより足早に会社を出た。

 電車に乗って自宅に一番近い駅で降り、外に出てみると、そこには銀世界が広がっている。


「おおー、珍しいな。まさかこの辺で雪が降るとは……」


 哲也が知る限り、自分が幼い頃を含めてもこの街で雪が降った記憶はない。

 写真家の父なら見たことがあるらしいが、地元で暮らしている哲也が雪を見たのは、かつて友人たちとスキーをしに行った時ぐらいだ。


 どこか懐かしさを感じながら、真っ白な雪道を歩く。


 自宅までの一本道に差し掛かると、小さな稲荷神社が見えた。鳥居の上や神社の屋根も雪で白く染まっているようだ。


「お、ここも積もってる。一枚写真撮って父さんに自慢してやろうっと」


 哲也は悪戯っぽく笑い、ポケットから取り出した携帯電話を稲荷神社に向けた。

 雪が降っているせいか、シャッターを押しながらふと何気なく。


「……そういや、ここって雪の神さまがいるんだっけ」

「むっ? ワシは神さまの使いじゃぞ?」

「うおわっ!」


 その瞬間、哲也は息が止まるほど驚いた。

 なにせ自分の独り言に答える声があったのだから。


 しかも、たった今撮った写真には、巫女装束を着た狐の耳と尻尾を生やした少女が映っているではないか。


「……まさか、オバケか?」

「むむっ、何を言うか! このバチ当たり小僧め!」


 思わず携帯電話を放り出し、尻もちをついた哲也の頭に、ペチンと平手で叩いた音が響く。

 可愛らしい少女の怒り声まで聞こえて、いよいよ自分の頭がおかしくなったと思った……のだが。


「イテッ! じゃ、じゃあ、あなたはいったい……」


 冷たい雪に手をついた哲也は呆然とした。

 そこには先ほどの写真に映っていた、むくれ顔で腰に手を当てる狐巫女がいたのだ。


「なんじゃ、さっき言うたじゃろ。ワシは雪の神さまの使いじゃ」

「雪の神さまの使い、って……」

「まったく……ずいぶん鈍いやつじゃの、オヌシ。ほれ、今日の天気はなんじゃ?」

「雪、ですけど……え、まさかそれで?」


 目を丸くしたまま哲也が言うと、ご立腹な狐巫女は「うむ」と力強く頷いた。


「ワシにとって、雪は姿を現すための依代じゃからの」

「へぇー……」


 そんなの初めて知った、と関心する哲也だが、狐巫女にとっては当たり前のことなのだろう。

 はぁー、と寒そうに自分の手のひらに白い息を吐いてはこすっている。


「近頃はちっとも雪が降らんから、こうして出てこれたのは数十年ぶりじゃよ。まったく……」

「ああ、そういや父さんも子供の頃に一度降っただけって言ってましたね」

「ワシの神さまは面倒臭がりじゃからの」

「あ、そういう……?」


 まさかの雪が降らない原因に拍子抜けしていると、呆れ顔の狐巫女は気を取り直したように哲也を見た。


「ところでオヌシ、名はなんと言うのじゃ?」

「は、原田哲也ですけど……」

「ふむ、そうか。ワシはイナリじゃ。せいぜい楽しませるのじゃぞ?」

「あ、はい……って、楽しませる?」


 なんのことかとイナリの顔を見れば、彼女はコテンと狐耳と首を傾げる。


「むっ? オヌシ、そんなことも知らんのか?」

「そりゃそうですよ。そもそも神さまの使いに会った、なんて話も聞いたことありませんし」

「むう……ならば仕方あるまい、ワシが教えてやろうかの」


 そう言ってイナリが語ってくれたのは、古くから続く神さまとの交流だった。

 なんでも、この地で雪が降った時は雪の神さまの使いが現れるため、出会った者は厚く持て成して楽しませるのが決まり事らしい。


「は、初めて知った……」

「ちなみにじゃが、しきたりを意図して破るとバチが当たるぞ?」

「え」


 マジか、と絶句する哲也。


「いやでも、今の時代にイナリさまみたいな見た目の方を連れてたら逮捕されちゃいますよ?」

「む? 逮捕じゃと?」


 そんな哲也の言葉に、イナリは怪訝そうに腕を組んで小首を傾げている。


「はい。──なので、これで勘弁してもらえませんか?」

「……なんじゃ、これは?」


 悩んだ末に哲也が手渡したのは、会社用のカバンに入れてあった最新のカイロである。

 イナリは不思議そうにそれを眺めて、問いかけてきた。


「充電式カイロですよ。スイッチを入れたらそのうち温かくなりますから、ぜひ使ってみてください」

「ほーん……ここを押せばいいんかの?」

「あ、そうです。ほら、こうやって……あとはポケットに入れといたら温かいですよ」


 哲也はせめてものお詫びと丁寧に教えてやり、イナリはふむふむと珍しそうに頷いていた。


「ほう! もう温かくなってきたのう! 今はこんなに手軽なもんがあるんじゃな!」

「あれ? これぐらい昔もありましたよね?」

「まあの。じゃが、ここまで便利なものはなかったのじゃ」


 しかも充電できるとは……と驚きを隠せない様子のイナリ。


「それで許してくれませんか? 今はそれしか持ってないんですよ」


 それに寒いし、と愚痴る哲也に、イナリは少し考えてから頷いた。


「ま、仕方ないのう。ワシは寛大じゃから、これで許してやろう」

「よかった……。でも、すみません」

「いんや、構わんぞ。どうせ勝手に着いていくつもりじゃからな」

「えっ?」


 ホッと安心したのも束の間。

 罪悪感に包まれていた哲也は、イナリの言葉に戸惑った。


「いや、それはちょっと……」


 と、さすがに断って申し訳ないとは思いつつも、哲也はその場から逃げるように立ち去ってしまった。

 ところが意外なことに、振り返ってもイナリの姿は見えなかった。


 どうやらイナリは自分のことを諦めてくれたようだ。


「なんか悪いことしちゃったな……」


 これで警察のお世話にならずに済む、と安堵しながらも、哲也の気持ちは少しも晴れなかった。


 あとで何か持っていってあげよう。


 そう心に決めて、哲也はすっかり冷えた身体を丸めて家路についた。

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