アリバイ探偵
小雪杏
第一章
第1話 誰しも人知れずわがままを巧みに使っている
夜の木屋町と言う場所は不思議なところです。
ネオンに照らされたビル壁の隙間から、夜空を見上げます。
特別な時間が、わたしをシンデレラのようにしてくれるのです。
時が止まったような心地になるこの場所では、より一層長い夜が過ごせるのでしょう。
それらはおとぎ話のように夢見心地で、思いつく言葉はどれも秀逸なものばかりです。
宝石箱のようにきらきらが詰まったこの町は、様々な奇妙がひしめいています。
この町が好ましいかと聞かれれば、大概の女性の方なら敬遠されるかもしれません。
ですが、わたしは好きかもしれません。
小さな童話のように、人々を誘い込ませる、おまじないのようなものを持った、眠らない一角です。不思議と人々は、手を繋ぎ踊りだします。狂ったように。時に飛び跳ね。
今宵も珈琲カップを片手に、夜道を歩く人々を観察します。
毎日飽き足らず、賑わいを見せるこの通りを見るのは、とても興味深いものです。
酔いどれたちが肩を組んで、歌いながら歩いて行くのが見えます。
楽し気な方たちです。とても良いことがあったのでしょう。
しかし、わたしはそんな上機嫌な方たちを見遣り、今日も店じまいの支度をします。
夜の街で商売をする以上、夜に看板を出さなければいけないはずです。ですが、このお店は食事処でもなければお酒を嗜む場所でもありません。
わたしが構えたこのお店――探偵事務所。
と言ってもただの探偵事務所ではありません。
その実態とは、アリバイ工作により、あらゆる犯罪と裏社会を手助けする。と言うものです。敏腕美少女が時には痴漢の現行犯、時には銀行強盗、と数多の犯罪や裏社会を手玉に取り、霞のように消える。
そんなつもりでした。
しかし、そう簡単にはいきません。それもそうです。表立ってアリバイ工作しますなんて、看板を出すわけにもいかないのです。そうしてしまえば、早急に警察のお世話になってしまうでしょう。そのため、表には探偵事務所と小さく看板を光らせているのですが。
それ故、大変苦しい生活が続いているのです。
ええ、困ったことに四月に事務所を構えたはいいものの、それからのひと月、誰一人として依頼者が現れないのです。
何と言う事でしょう。世の中というものは、もう少しばかり闇があると思ったのですが。
今宵も寂しく店じまいですかね……。
と、頬杖を突き、もう何度目のあくびか数えるのにも飽き始めていたころです。
ちりん。というドアベルの音が響きました。
綺麗な鈴の音で、幼いころお姉さんから頂いたものです。よく耳の傍でならした事を覚えています。それが、どなたか扉を開ける拍子になったのです。
「やっほー? 元気してる?」
明るい声とともにひょっこり顔を出したのは、わたしの古くからの友人でした。
腐れ縁とも言うべきでしょうか。
大学を卒業してからは会社勤めで、稀に連絡をくれる杞憂な人です。
「どうしたんですか? 連絡もなしに」
「いやあ、たまたま目の前を通りかかったときに、看板の電気が消えたからさ。今日はもう店じまいかなって。ちょうど良かったし、コーヒーでももらおうかなと」
「ここはラウンジではないのですよ? これで何回目ですか。珈琲なら向かいに良いお店があるでしょうに」
「たまたまだって、たまたま。それより、どう? お客さんは来た?」
杞憂と言う割に、大雑把でボインな方です。
「いいえ、これっぽちですよ。今日もそろそろ閉めようかと思っていたところです」
「そう、ちょうど良かった。なら、一仕事買わない?」
丁寧に巻かれた茶色い髪から覗いた眼は、幼い頃のままでした。
「ほう、ただし、依頼料は値切りませんよ」
事務所を開いて初めてのお依頼です。それが友人からの依頼と言うのも、少し釈然としませんが精一杯取り組むとしましょう。
「それで、ご依頼の内容とは?」
注いだ珈琲に角砂糖を三つ、丁寧に溶かしながら話してくれます。
「大学の後輩の子がこの前言ってきたんだけど、飼ってるネコが逃げちゃったみたいでさ、それを探して欲しいんだけど」
「それって、ただのペットの迷子探しじゃないですか! 探偵っぽくありませんよ」
確かに心配で気が収まらないのは、とても共感が持てます。
しかしですよ。わたしとしては、理想の名探偵らしく難事件の捜査書類とか、悪徳警官との繋がりが欲しかったのです。それが、ただの迷子の猫ちゃん探しとは……。
いやしかし、それを友人にせがむのは間違いでしょうか。やはり、コネというものが大切なのでしょうか。
「ね? どうせ今は忙しくないんでしょ?」
言ってほしくない事をズバリと言う人です。
「それに、ネコって夜行性でしょ? 夜が表舞台のあやちゃんには、ちょうどいいんじゃない?」
そこまで言われると、返す言葉が思い浮かびません。
「それなら仕方ないですね。引き受けましょう」
背に腹は代えられないというものです。お小遣いで生活している探偵なんて、聞いたことがありません。ここは、理想の名探偵らしくバリバリと事件を解決するとしていきましょう。
「よかった。迷子のネコ探しなんて、本物の探偵が引き受けてくるか心配だったんだよ。あやちゃんなら、今だったらどんな依頼でも受けてくれそうだったから。ちょうどよかったよ」
今聞き捨てならない事が、さらりと言われた気がしましたが、折角頂いた依頼なのでしっかり、仕事を果たすとしましょう。
「それでは、猫の外見とか特徴とかありますか?」
「おお、探偵ポイ」
探偵ですがと言いたいところですが、実績はないので自称にとどまっているため、意地を張れません。どうしましょう。
「えっとね。白色のネコなんだけど、青色の目で赤色の首輪をしてるって」
外見の説明をしつつ、スマホに写真を送ってきます。可愛らしい子が、持ち上げられている隙に自撮りをしている写真でした。
「この子ですか。居なくなったのはいつからですか?」
「先月の日曜日だね」
先月の日曜日と言えば、28日ですね。
「なるほど、ありがとうございます。この方のお住まいはどの辺りですか?」
「出町の葵橋の辺りだよ」
葵橋と言うのは賀茂川と高瀬川の合流地点。鴨川デルタの西側に掛かる橋の事です。
「そうですか。糺の森やその周辺は探しましたか?」
「もちろん。私も一緒に探しに行ったよ、昨日の夕方辺りに」
「それは、明るい時に探しても見つからないでしょうね。今はゴールデンウイークですから、人通りも多いので、きっと何処かに隠れているのでしょう」
そうなのです。今年のゴールデンウイークは、飛び石を休めば10連休とかなりの大型なのです。そのため、間の平日に休暇を入れる人も多く、この期間はどこもかしくも観光客だらけなのです。
「たしかに。人はすごく多かったし、暑かったしで、ネコ探しどころじゃなかったよ」
「この件は、まさに私しかできないみたいですね」
そう言い、重い腰を浮かします。
「では、こちらに依頼内容と依頼者の連絡先を書いてください。それと、明日お時間頂けますか? できれば、依頼者から詳しい話を聞きたいのです」
「うん。わかった。連絡付いたら言うね。明日も休日だから多分大丈夫だと思うよ」
「では、そちらは任せますね」
依頼書を書き終えた彼女は、依頼者に連絡をしに部屋を出ていきます。
わたしは、初めての依頼書を誇らんばかりと覗き込みます。依頼者氏名の欄には『田中みほ』と書かれているのです。それは良く知っているお名前でした。
唖然としている間に彼女が帰ってきたのか、またちりんと音がなります。
「明日行けるって。11時に行くって言っといたよ」
「みほさん。あなたはまた勢いだけで人を巻き込んでいませんか?」
「起きられるでしょ? 集合時間に間に合わないなら、起こしに来てあげるから」
さすがにこの年になって、それは恥ずかしいというものです。それと、と言ってさらに付け加えます。
「依頼料で生活していくには、昼間の依頼も受けた実績だって必要でしょ?」
確かにその通りです。また言いくるめられてしまいました。
「それじゃ、明日ね」
手を振り出ていきます。相変わらずな大雑把です。少しは見習うべきでしょうか。依頼が来て喜ぶべきか、彼女の勢いに不満を抱くべきか、少し解らなくなってしまいました。
ブラインドカーテンを降ろし、明日に備えて就寝しようとしたとき、ふと思い出しました。
依頼書の氏名欄にはみほさんの名前ではなく、飼い主さんの名前を書いて欲しかったのです。彼女の勢いに負けて言いそびれてしまいました。折角の初めての依頼書なのに、なんだか腑に落ちなくなってしまったのです。
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次の更新予定
2025年1月3日 08:00 毎週 土曜日 08:00
アリバイ探偵 小雪杏 @koyuki-anzu
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