第4話:いとし子
――◆――◆◆――◆――
『世界の窓』から伸びる
そのツマミをじりじりと上げながら私は囁きます。
「アクルワ……今、あなたの意識に直接語り掛けています……」
「おい、何する気だい」
肩を掴む大きな手。その持ち主、オーレリアへ振り向いて答えました。
「どうにもじれったいので。暗示のひとつでもかけようかと」
「友人の娘の心をいじるんじゃないよ」
私だって望むところではありません。とはいえ。
「でもこの調子じゃ、イリスガーデにたどり着けるかだって怪しいです」
「急がせたってどこかで無理がでるさ。あの子自身が成長しなきゃ」
「そうかもしれませんが……そもそも、学院ってなんですか?」
私の時代、学び舎といえば、
オーレリアは、詳しくは知らないけどね、と言いおいて答えました。
「できたのはそれこそ、魔王が倒れてからさ。討伐の過程で持ち帰られた遺物やら技術やらを研究して、国を豊かにしようってのが創立理念だった。
神が生命を創った
「魔族の
「ははあ、今さら驚かないよ、その通り。バンパイアに
魔族とひとくくりに言うのは乱暴ですが、彼らの多くはヒトほど数がおらず、代わりに自分の分身を作る能力を持ちます。彼らは戦時となれば何十、何百とに力を分割し、兵として使役するのでした。
「ただ、ヒトが使える
詳しくないといいつつも、かなりのことを知っているらしいオーレリア。私は気になったことをたずねます。
「……学院を実質、兵科専門の養成機関に変えてまで、ですか? そこまで急いだ訳は……」
「勇者が死んでないからさ」
吐き捨てられた答えに、つい『窓』の視点を切り替えてしまいそうになります。でも、もう一度あのイリスガーデを直視することははばかられて。
「見たろ、前線の酷さを。誰のせいであんなことになってると思う」
「違います、彼女はっ、イリスガーデはそんな――!」
「違う」
赤い瞳が酷薄に細められました。
「あんたのせいさ、聖女サマ。あんたがきっちり勇者を始末しなかったから、〈魔王の冠〉は途絶しなかった」
氷の刃で胸を突かれたようでした。
彼女がそれを知っていることに不思議はありません。暗殺未遂を公にすることは私の望むところでもありました。
ですがそれと〈魔王の冠〉の関係など、私でさえ知らなかったこと。
「……あなたは、どこまで知っているんですか。あなたは何者ですかっ!」
「だから見りゃわかるだろ、そんなことは。問題は、討伐が実際まったく終わっちゃいないってことさ」
無知な子供をうるさがるようにオーレリアは手を振りました。
「……教会権威の分散を恐れての、勇者暗殺ではなかった?」
「そこで慌てるような連中は、もっと短絡的にやるもんさ。少なくともあんたにかけられた呪いは、旅に出た時からあったんだろ」
魂縛印はある行動を制限したり、強制的に行わせるためのもの。強力なぶん、遠隔で書き換えたりはできないので、勇者の暗殺は予め決まっていたことになります。
私自身、印の解読と対策にはぎりぎりまで手間取ったので、降ってわいた殺意のように感じていましたが。
もっと遠大で、必然的な、聖女が勇者を討たなければいけない理由があったとしたら。
「少しは自分の浅はかさが腑に落ちたかい、聖女サマ」
「……」
「……いいえ」
仮説をいくつか検討し、頭をふります。
「それでも。私がイリスガーデを殺すなどありえないことです」
「勇者がこの先、幾千幾万の同族を殺すことになってもかい」
赤いまなじりを吊り上げたオーレリアは、怒気をこめて見詰めてきます。
「そんなことにはさせません、絶対に」
「させないって? もう手遅れだ! 勇者は〈魔王の冠〉に支配されてる。今も流れ出すその
もはやない喉で唾を飲んでから、私はオーレリアの手を取りました。
ほんのりと暖かい、皮膚の厚い指。
「よかった」
「なんだって……?」
「あなたが何者でも、案じている相手が同じなら、協力できるはずですから」
オーレリアは一瞬、怒ったような、泣きそうな目で睨みました。
「今思えば」
それがどこか彼女のことを思い出させて、私は長めのまばたきをします。
「後悔も多いですが。彼女を討たなかったことだけは、正しかったと信じます」
「勇者を愛していたからかい」
「……いいえ」
『窓』の方をちらりと見て、私は答えます。
「あの子に、会えたので」
アクルワ。古いオーガ族の言葉。
「普通の人として生きてほしかった。人を愛して、歌って踊って、おばあちゃんになって死んでいく彼女が見たかった」
その願いの半分はまだ、叶ってはいませんが。
「イリスガーデが誰かを愛した証。この子の存在ただ一つで、私はあの時の自分を肯定するしかないんです」
自責の念が胸を焼いても。だからといって全部間違っていたと、絶望するわけにはいかないのです。
「責任を、とるしかないんです」
挑むように告げた私を、会った時と同じ冷たい目で見下ろしたオーレリアは。
「……ふん、そうかい。なら、なおさら暗示なんてやめることさね。その孔は空間をむりやり貼り合わせてる。あまり前のめりに覗くと向こう側に吸い込まれるよ。もっとも、ここに囚われてるあんたの場合は、」
みなまで言わず、胸の前で何かを引きちぎるジェスチャーをしました。ぞっとしません。
「でも、なんの介助もなしに、この子が母親のもとにたどり着けるとは……」
「おいおい、さっきから散々に言われてるけどね」
大きな拳で目元をこすったオーレリア。そこに浮かんだかすかな笑み。
「あの子は、勇者イリスガーデの一人娘なんだよ。ドジだとか
言われ、はっとします。
「そう、ですね。私が浅はかでした」
「わかればいいんだよ。それに、慌てなくたってアンタの出番は」
「ぁ」
改めて『窓』を見た私は口を抑えました。
「どうかしたかい?」
いくらか柔らかくなったオーレリアの問いかけに、私はつとめて冷静を装って答えます。
「その……通話のチャンネルを開けたまま、でした」
仮面の上で赤い目がむかれます。私は慌ててボリュームを絞ると、うなされるアクルワとの接続を切りました。
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