【3】幼い少女の夢
ウルリカは山間のとある小さな村に生まれた。
エリュシオン大陸北部全域を占めるフラホルク統一王国の、そのまた最北部に位置する辺境の名もなき村は、一年の大半が雪で覆われる不毛な土地の上にあった。
長い冬が訪れる前に、村の痩せた畑から野菜を収穫し、山中にひっそりと隠れ住む獣たちを狩る。
肉は加工し、剥ぎ取った毛皮は街に卸し、日持ちする食糧へと変えた。
凍える冬を乗り越えるためには大量の薪も必須となる。年端のいかないこどもたちでも薪材集めには総出で駆り出され、小屋いっぱいに蓄えた。
しかしどれだけ準備を整えても、極寒の冬だ。耐え切れず、体力のない幼いこどもや老人どころか、おとなですら命を落とすことも珍しくない。
厳しい環境に身をおいて、年を重ね。
ウルリカが七歳の冬のときのこと。
その年は、例年よりも食料が確保できず、また雪害もひどかった。
そんな折に予兆もなく――村に〈雪の獣〉が現れる。
〈雪の獣〉は〈魔獣〉の一種。
人に害成す獣は、総じて〈魔獣〉と呼ばれる。
〈雪の獣〉は暴力的な雪と風を引き連れて、村を瞬く間のうちに氷漬けにしたという。
事態を知ったフラホルク王室は急ぎ宮廷魔導兵団を派遣したが、彼らが到着する頃にはすでに〈雪の獣〉は村から姿を消した後だった。
当時、王室に仕える召喚術師の中でも卓越した実力を備え、若くして宮廷魔導兵団防衛部第一部隊長まで上り詰めたエリオット・ネヴィルは、上位精霊〈春の女神〉を従えて村の雪融け作業にあたった。
〈春の女神〉の魔法により、氷の彫像と化していた村人たちはすべて救出され、幸いなことに昏睡状態にあったウルリカは意識を取り戻した。
ところが、ほかの氷漬けにされた人間たちは、氷が融けてなお、長い眠りについたまま目覚めない。
未だに眠り続ける村人たちから〈雪の獣〉の魔力の残滓が消え失せても、堅固な呪いの術式がその身に刻まれているせいで、彼らの目覚めは妨げられている。
彼らが再び目覚めるためには、術者である〈雪の獣〉が解呪するか、術者自身の命が失われるかのいずれかの方法しかない。
宮廷召喚術師は選りすぐりの集合知。
彼らの知恵を持ってしても、為す術はなかったのだ。
幼いウルリカに情をかけたのか、あるいはただの気まぐれか。ウルリカの身に呪いの術式は記されていなかったことから、ウルリカは村民の中で唯一目覚めることができた。
しかし当然ながら、幼いウルリカにはほかに身寄りがなく、ひとりで暮らしを立てるのは難しい。
そんなウルリカを引き取ると申し出たのが、他でもないエリオットだったのだ。
ウルリカを養子としたエリオットは方々から引き止められながらも、栄誉ある宮廷召喚術師の職を辞した。
それから、彼が数年前まで生徒として通っていた召喚術師育成機関である聖マルグリット高等魔導学院の教師として勤めることとなる。
ウルリカが彼を追って聖マルグリット高等魔導学院に入学したのは、その五年後の十二歳の春のことだ。
入学して四年。ウルリカはこの間、〈守護聖獣〉の契約に成功していない。
人間は非力な存在だ。
複雑な詠唱で何もないところから火を起こしたり、水を生み出したりすることはできても、それこそ村ひとつ丸ごと凍らせるような、大がかかりな『魔術』を易々と扱うことは叶わない。
召喚術師とは異層(あちらがわ)に住む獣、総じて〈聖獣〉と呼ばれる存在を呼び出し、人の身ではとうてい困難な『魔法』を行使することが可能な優れた術者を指して言う。
人間と〈聖獣〉との間に定められた誓約。
互いに裏切らないこと。
存在を維持するために必要な魔力を与えること。
そして人の世界での名を授けること。
三つの決まりごとを誓うことで、召喚術師は自らを守護する存在、つまり〈守護聖獣〉として〈聖獣〉から力を貸してもらうことができるのだ。
凡人の係累であるウルリカの魔力は、言うなれば「一般人よりはまだマシ」程度。
力の弱い〈聖獣〉を一時的に呼び出し、協力を仰ぐことはできても、誓約するための魔力が足りていない。
仮に誓約までこぎつけたとしても、彼らへ一定の魔力の供給、それも恒久的なそれを約束することはできないのだ。
だから、召喚術師を志す身でありながら、未だ〈守護聖獣〉のひとりもいない体たらく。
――召喚術師の素質や適性がない。
エリオットに言われずとも、そんなことウルリカ自身が一番わかっている。
実技が芳しくないそのかわりに、座学ではそれなりに優秀な成績を修め、課外活動は身を粉にして、積極的に取り組んだ。
だが、結局のところ召喚術師の本質である、召喚術に長けていなければ意味がない。
魔導学院の生徒や教師たちが、ウルリカを陰で『おちこぼれ』と呼び蔑んでいることは、本人の耳にもバッチリ届いているのだ。
(それでも、あたしは『夢』を叶えるために、召喚術師にならないといけない……)
あれから遅れて家を出たウルリカは、とてもではないが授業にでる気分にはなれず、沈み込んでいた。
フラフラと重い足取りで魔導学院に向かいながらも、その足は気づけば教室ではなく裏庭へと運ばれている。
裏庭の一角には園芸クラブが世話をする花壇があり、ウルリカは猫の額ほどの土地を間借りして花を育てていた。
一時的に呼び出す〈聖獣〉の中には、人間の魔力ではなく物質を対価として求める者も存在する。
生命を宿す物質にも、同じく魔力は宿るのだ。
〈聖獣〉の嗜好はさまざまである。
たとえば妖精の眷属である〈聖獣〉。
彼らは美しく生命力の強い花を好む。
年に数回ある実技試験では、ウルリカがせっせと育てた花を報酬に彼らの協力を仰いだ。
魔力に乏しいウルリカは、こうした涙ぐましい努力を得て何とか及第点がつけられているのである。
ウルリカは花壇の前にしゃがみ込むと、育てている最中の苗に手を伸ばした。
小さく固い蕾を、指先でそっと撫でる。
蕾の色は薄紅色。小ぶりな花弁が鈴なりに咲く可憐な花だと、人気の花種らしい。
「ここまで育つのに思ったより時間がかかったわね……。でも、時間をかければそれだけ良質な魔力が宿るから、よい花が咲きそう」
手塩にかけて育てた花も、散る時はあっという間だ。実技試験後に無残にも食い散らかされた花の茎を思い返しながら、ウルリカは呟く。
「……綺麗に咲いたら、余った花、家に持ち帰って飾ろうかな。エリオットも――」
喜ぶだろう。
口にしかけた言葉を、ウルリカは苦々しく飲み込んだ。
エリオットは存外風雅な性格をしている。
なにせウルリカに花の育て方を教えたのも実のところ、彼なのだ。
痩せた畑から取れるのは芋ばかり。山でわずかにとれる草花は毒がなければ食べるもの。
ひもじさに喘ぐ幼少期を過ごし、花を愛でる文化も知らぬウルリカは、エリオットに引き取られて初めて、花瓶に生けられた花を目にすることになった。
『あれは何。エリオットの非常食なの?』
と、首を傾げるウルリカに対して、彼は唖然とした表情を見せて、ウルリカに「あれは観賞用だ」と懇々と説明したものだ。
余分に育てた花を自宅に持ち帰り花瓶に差すと、エリオットは嬉しそうな表情をする。
引き取られて九年経った今でも、ウルリカは花を観賞することに何の感慨も抱かない。
しかし、花瓶とその花に優しいまなざしを向ける養父の喜んだ顔が見られるのは、まあ悪くはない、くらいは考えていたのだ。
だが、今朝の彼の言葉からするに――ウルリカが〈聖獣〉に渡す花を育てていることについても、彼には何かしら思うところはあったのだろう。
これでは花で喜ぶエリオットはまるで妖精の眷属のようだと、無邪気に貢いでいたウルリカが馬鹿みたいに間抜けではないか。
(エリオットの、ぶぁーか! ぶぁーか! 今日からエリオットの苦手な料理、たくさん並べてやるんだから……!)
最近油料理がキツイ、と嘆いていたから、毎食揚げ物にしてやろう。
こってりとした肉料理を並べてやるのもいい。食後のデザートにはバターと砂糖をたっぷり使った菓子を出すのも悪くない。
地味な嫌がらせはあっさりとした食事を好むウルリカにもダメージがあるのだが――思いつく限りのレパートリーを頭に浮かべるウルリカは、その落とし穴に気づいていない。
ウルリカが怒りに身を任せ、花壇の雑草をブチブチと抜いていると、不意に、目の前を暗く大きな影が差した。
ウルリカはノロノロと顔を上げる。
背後についた〈聖獣〉がニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて、ウルリカの欝々とした顔を覗き込んでいた。
しっぽのような黄金の三つ編みをプラプラと揺らしながら、彼は気さくに口を開く。
「やぁやぁウルリカ。今日も絶好の散歩日和だな!」
「……おはよ」
不愛想に挨拶を返すと、黄金の〈聖獣〉は、わざとらしく首を傾げてみせる。
「はて、珍しいこともあるものだな? 今日はよく晴れている」
「そうね……」
天を仰ぐ彼を見習って、ウルリカも顔を上げる。
雲一つない、綺麗な青空だ。
ウルリカの心中は暗雲が広がり、ゴロゴロと雷鳴轟いているけれど。
「だから、思わず散歩をしたくなる気持ちはわたしにもよぉ~くよぉ~くわかるぞ? しかしだな、本来今は、学生であれば授業を受ける時間だろう? まさかおまえさん、優等生のくせに授業をサボったのか?」
入学以来、至急の捜索活動といった場合を除き、ウルリカはほぼほぼすべての授業に出席していた。
ウルリカが自己都合で授業をサボったのは、今日が初めてのこと。
しかし、やる気が削がれた状況下。
無理を押して講義に出たところで、どのみち内容にはろくに集中できないだろう。
そもそも優等生だなんて、よくもその口で言えたものだ。
優等生――と呼べるほどの成績を修めてはいないことを、魔導学院のありとあらゆる噂話を常日頃から耳にし口にする情報通の彼が、知らないはずもなく。
「おまえさん、『魔導学院のおちこぼれ』と呼ばれているらしいな!」
と何も知らないウルリカに嬉々として吹き込んだ張本人こそが、彼なのだ。
ウルリカは手に着いた土汚れを掃いながら、重い腰を上げる。
「あたし、優等生じゃないし……」
不貞腐れた顔で反論を口にすると、〈聖獣〉は肩をすくめて言う。
「わたしは何も、おまえさんの成績を指して、優等生と称したわけではないぞ。授業に対する姿勢を見て、そう口にしたのだ。試験は毎回赤点ギリギリの成績でも、どんなに体調を崩していても、欠かさず授業には出ていたな? 成績不振でも意欲的な生徒を、わたしは模範的な優等生だと考えるが」
そんな風に見ていたのか。ちょっとだけ胸がほっこりとしたウルリカに、〈聖獣〉は訊ねる。
「で、サボるのか?」
「た、たまには、授業に出たくない気分にもなるのぉ……」
「ほぉ?」
授業に出る気分にはなれなかったのは確かだが、こうして「サボったサボった」と繰り返され、明確に事実を突きつけられると、うっすらと罪悪感のようなものが芽生え始める。
その感情を見透かされたかのように、ニタニタと面白そうな顔を向けられて、ウルリカは口を尖らせながら、言い訳がましくぼやいた。
「……べ、別に、そんなの、あたしの勝手じゃないの? いまさら、何言われたって平気だし――」
「悪いとは言わん。だが、不真面目な不良の養女となっては、あやつの悪評につながるのではないか?」
「……」
もっともな指摘に、ウルリカはぶすっと押し黙る。
自分は何を言われてもかまわない。
じゃあ養父が悪く言われて平気かと問われたら、そうでもない。
「ああ、アリアーヌ。冥府より見ているか? 我らの愛するフラホルク、その未来を担う、召喚術師の生徒がついにサボりを正当化する時代が訪れてしまった! この様子では、我が国の将来も危ぶまれるなぁ?」
一学生のサボりが国家存続の危機となると、もはや話が飛躍しすぎである。
ウルリカの呆れた視線も素知らぬ様子で、フラホルク統一王国初代女王アリアーヌのかつての友、そして〈守護聖獣〉であったハーヴェイは、これ見よがしに嘆いてみせたのだった。
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