おちこぼれ召喚術師と魔王の子
藤宮晴
一章 長い冬の終わり
【1】おちこぼれ学生の退学危機(自業自得)
「――『魔導学院を退学しろ』って、どういうこと!? 急にそんなことを言われても、ワケわかんないんだけど!」
「どういうこともなにも、言葉通りに受け取ってくれないか」
「だから、説明を――」
「いいか、ウルリカ。君には召喚術の才能がない。それならば、魔導学院に通う意味はないだろう?」
淹れたてのコーヒーカップを片手に応じるのは、養父エリオット・ネヴィル。
彼はグラニエ魔導協会が発行する新聞に目を走らせたまま、食い下がるウルリカに冷たく言う。
新聞配達員の鳥獣――カモメに似た〈聖獣〉は、ウルリカの剣幕に脅えてギャッと情けない声で鳴いた。
三月の頭。新年度に向けて何かと忙しい日々が続いている。
朝食を摂り終えて、いつものようにバタバタと落ち着きなく登校の準備をしていたウルリカに向かってエリオットが投げた言葉は、とうてい信じられるものではなかった。
ウルリカはソファに座る彼の目の前にズン、と詰め寄ると、乱暴に新聞を取り上げる。
エリオットは確か、三十三歳だったか。
年の割に幼く見られる相貌を気にして、外では度の入っていない眼鏡をかけている。
今は裸眼の、海よりも鮮やかな群青の瞳が、ウルリカをじっと見上げた。
聖マルグリット高等魔導学院で教職に従事するエリオットは、転職前の華やかな経歴と端麗な容姿から、人柄を知る以前はおおよそ好感が持たれやすい。
だが、抑揚の少ない口調や、他人にはとことんそっけない態度で、とっつきにくい人間なのだと度々誤解を受けやすい。
人見知りの気がある彼が笑うのは、心を許した家族や友人を相手にしたときくらいなのである。
例えば今のように。
素顔の彼は、なぜか微笑みがちにウルリカを見つめていた。
ウルリカは彼の唐突な発言に困惑したけれど、その表情は先だっての発言に似つかわしくないのも気にかかる。
これはますますわからないわ、と、ウルリカは首を捻りながら、ボソボソと口を開く。
「そ、そりゃあ、召喚術の才能がないのは、あたしにだって少しは自覚が…………なくも、ない、けどぉ…………?」
事実その通りではあるので、強く出られないのが情けなくも辛いところである。
「そう。話が早くて助かるよ」
すると話は終わりだと言わんばかりに、エリオットはソファから立ち上がろうとする。
反射的に彼の袖をひっつかんで、ウルリカは唾を飛ばしながら怒鳴った。
「ちょっと、ちょっと、待ってよ! まだ話は終わってない! 何で今、魔導学院を辞めろって話が出てくるの? 理由をきっちりしっかり説明してもらわないと、あたし、納得できないってば!」
もっとも、それらしく説明をされたところで、すごすご引き下がるつもりは微塵もない。
ウルリカは口をヘの字に曲げて、腕を組むとエリオットを睨みつけた。
彼は微笑みを浮かべたまま無言で紙の束を取りだすと、ローテーブルの上にバサリと投げるようにして置く。
育ちの良い彼にしては珍しく粗雑な扱いだ。
ウルリカの疑問はいよいよ深まるばかりである。
「……なぁに、これ?」
「見ればわかると思うが?」
表情とは裏腹に、エリオットの声はひんやりと、凍るようだ。
ウルリカは訝しげにその一枚を手に取って――一瞬にして顔が青ざめた。
「こ、これって、基礎召喚術の小試験の成績表っ!? なっ、なななななな、なんでっ? エエエ、エリオットが、ど、どうして、これをっ……!」
持っているのぉ、とは続かなかった。
何しろ彼が取り出したのは紙の束。
一枚だけでは終わらなかったからである。
ウルリカは震える手で二枚目、三枚目とめくっていく。
それは実技科目の――赤点の試験成績表だった。
今年度後期の試験成績表の紙の束は、いずれもウルリカが苦手とする実技科目ばかり。一枚目ほどではないにしろ、続くのはお世辞にもよい成績と褒められない評価である。
『不合格』の文字が躍る試験成績表は、渡された当日のうちに、養父の手に渡らぬようコッソリと隠したものだった。
ウルリカがアワアワと成績表を手に取っていると、すらりと細く長い指が、そのうちの一枚を摘まみあげる。
「どうして、だって? よくもそう、いけしゃあしゃあとして言えるな? それは僕の台詞だと思うがね」
ウルリカは頬をヒクヒクと引き攣らせた。
彼の唇は未だ美しい弧を描いているのが、不穏だ。とても不穏である。
エリオットは試験成績表に目を落としながら、口を開く。
「先日のことになるが、基礎召喚術学担当のエドモン・ソニエール先生に、声をかけられたんだ」
エドモン・ソニエールはウルリカが聖マルグリット高等魔導学院に入学して以来、ずっと基礎召喚術の担当を務めている、老年の教師だ。
学院でも古参に位置する彼は、もう何十年と教鞭をとっているのだという。
今でこそ教師と教師の間柄ではあるが、かつてはエリオットを教える立場にもあっただろう。
気さくでお茶目な性格、恰幅が良く温和な見た目から、「おじいちゃん先生」と親しまれ、生徒からの評判はなかなかに悪くない。
折よくエリオットが手にしているのは、先日手渡されたばかりの基礎召喚術の実技試験成績表。
内容は言わずもがな。
エドモンの達筆な『不合格』の文字が並ぶ――見事な赤点である。
「『おたくの娘さんのレポートはすっきりとまとめられていて、着眼点もよろしいね。君を含めて吾輩が受け持った生徒の中でも、なかなかレベルの高いレポートなのよね。グラニエ魔導新聞に寄稿するよう、是非勧めてみてはどう?』とな」
「ふ、ふぅん……」
ウルリカはエドモンにレポートを手渡した経緯を思い出し、ダラダラと冷や汗を流した。
グラニエ魔導新聞に寄稿される論文なんて、オファロン魔導新聞といった三流新聞とは異なり、上澄み中の上澄みばかりだ。
一介の学生でしかないウルリカのレポートを一流新聞に寄稿するよう提案するのは、どう考えたって何らかの含みを持たせた嫌味以外、ほかには考えられない。
(いったい何考えてんのよ、あの狸ジジィ……!)
「『おうちではどういう教育をしているの?』と問われて。それを聞いたときの僕の気持ちがわかるか?」
しかし、このエリオット・ネヴィルと言う男。びっくりするほどこの手の嫌味は通じないのである。
ウルリカにはなんとなく、その時の様子が想像できてしまう。
「さ、さあ……、よ、喜んでくれた、とか……?」
「ああ。その通りだ。娘が面と向かって、初めて褒められたんだ。養父としてこれほど嬉しいことはないだろう?」
エリオットはニッコリと笑みを浮かべているのが、本当に不穏でしかたがない。
「誇らしくてつい、『僕は特に何もしていません。娘の好きなようにさせています。僕の自慢の娘ですよ』と胸を張って答えたんだ」
「…………わぁ」
ウルリカはいたたまれず、思わず顔を両手で覆った。どうしてこの男、額面通りに受け取ってしまうのか。
ウルリカが羞恥で声にならない悲鳴をあげている合間にも、エリオットは言葉を継ぐ。
「『しかしその自慢の娘さんは小試験で落第点を取り、このレポートは追試で提出されたものなのよね』と失笑しながら言われてね」
「…………えっ」
羞恥心が吹き飛んだ。
指の隙間から、そっと彼の表情を窺う。
まだ、笑っている。
「なあ、ウルリカ。僕の気持ちが、わかるか?」
わかるか、と問われ、しかしウルリカは言い訳をすることにした。
「……こっ、後期はっ! 調子が、悪かったのっ!」
幸いにして、この場にあるのは今年度後期の試験成績表に限られる。
それまでの試験成績表はないのだから、ウルリカの言い分は見苦しいものの、一応通るのである。
ウルリカが裏返った声で口にすると、エリオットは「もっともだ」とそれらしく頷いて見せた。
「ああ。ウルリカ、君の言う通りさ。人間誰しも不調な時期は、あるだろう」
しかし、僕は一度も落第点を取ったことはないが、とわざわざ付け足して言うのが、なんともエリオットらしい。
「初めて、だったからな。君が落第点を取ったなんて聞かされるのは、これが初めてだ。だから僕も、その時ばかりは大目に見たよ。『娘も初めての失敗を今後に生かすでしょう。今後はこのようなことが起きぬよう努めさせます』と彼には一保護者として、謝罪した」
初めて、を執拗に強調しはじめると、もう嫌な予感しかしない。
ウルリカがそっと両手を下ろし、気まずげに目を泳がせていると、彼は軽く首を傾けた。
「そうしたら彼、どうしたと思う?」
「さ、さあ~……」
「紐で閉じられた紙の束を引っ張り出してきたんだよ。これは何かと問えば、爽やかな笑顔で言うんだ」
「な、なんて言ったのぉ……?」
「『初年度から絶好調なおたくの娘さんに提出された成果物、見る?』とな」
「…………」
エリオットは現代言語学の教師のように、もはや『その時の僕の気持ちがわかるか?』と問い質すことはなかった。
笑っているけれど、怒っている。すごく、静かに怒っている。
そもそもここまで状況を説明され詰められてしまっては、ウルリカはいよいよもう、何も言えなくなってしまうではないか。
「本当の『初めて』提出されたレポートから順繰りに目を通したが、文字もレポートの内容も年を経るごとに上達していた。思いがけず娘の成長を目にすることになって、保護者としては感無量だ。何せ君は、優良な筆記の試験成績表しか見せたがらなかったからな?」
「…………」
ウルリカは座学の成績はそれなりに優秀だった。というか、実技がいまひとつなぶん、座学に力を入れざるをえなかったのだ。
エリオットはふいに笑みを消すと、手に持っていた試験成績表を束の上に戻した。
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