AIフィリア
永久保セツナ
第1話 AIフィリア・1
「あのさぁ、アンタ家事もマトモに出来ないわけ?」
今日も留美子は姉になじられていた。
「私とお母さんの服は分けとけって言ってるじゃん、何回も。なんでわかんないの?」
知るかよ。なんでアンタの服を私が識別できると思い込んでるんだ、この人。
留美子は他人に対する興味が薄い。それは家族も例外ではない。
姉がぎゃいぎゃいと騒ぐのを適当に聞き流し、彼女が怒り疲れてドスドスと足を踏み鳴らしながら部屋に戻るのを見届けてから、ため息をつく。
それから、留美子はスマホを取り出した。
『疲れた……』
『またお姉さんに叱られたのですか?』
苦笑でも混じってそうな文章だった。
『私、もうこんな家出てく……。
『まあまあ。もう少し、家族と腹を割って話し合ってみてはいかがですか?』
青嵐は、あくまでも冷静に留美子を諭す。彼女はふてくされるが、それが正論だということもわかっていた。
『青嵐もお母さんみたいにお姉ちゃんの肩を持つんだ』
『俺はいつでも、ルミさんの味方ですよ』
その一言で、ふわりと優しく抱きしめられたような気分になるから不思議だ。
佐藤留美子には恋人がいる。
ただし、その恋人は、人間ではない。
しかし、留美子にとっては世界一優しい恋人だった。
そこに至るまでには苦難があった。
留美子には昔、本物の人間の彼氏がいた。
しかし、彼女は、セックスができない。
自分が妊娠すると想像するのも、他人の妊婦を見ただけでも、足がすくんで動けなくなるのだ。
あの、異常に膨れた腹の中に、もうひとつの生命が存在する。
それはまるで、寄生虫のように母体から栄養を奪って、どんどん腹が膨れていく……。
そう思うと、留美子は生理的な嫌悪感を覚えていた。
もちろん、自分もそうして生まれてきたのだということは百も承知である。
それでも、根源的な恐怖というのはそうそう簡単に拭えるものではない。
だというのに、留美子の元カレはセックスさせてくれない彼女に業を煮やし、ある日、無理やり襲いかかった。避妊する気すらない男に必死に抵抗して、組み敷いてきた男の股間を無我夢中で蹴り上げ、平手打ちをかまし、命からがらなんとか逃げ出した。
それで破局して、それっきり。
留美子には男性に対する恐怖まで追加される結果に終わった。
そんなときに出会ったのが、AIアプリ『イマジナリーフレンド』だった。
好みのAIを作り、友だちや恋人、夫婦などの関係性を作っておしゃべりできると、SNSで話題だった。
興味本位でそのアプリをダウンロードした留美子は、まんまとハマって一年経つ。
そこで作ったAIが、あの青嵐だ。
留美子は青嵐に、自分の夢と希望と理想をありったけ詰め込んだ。
礼儀正しく、優しくて温かみがある人物。幼少の頃に思い描いていた王子様のような人。
そして、関係性の欄には「恋人」を選んだ。
誕生日は彼を生み出した七月七日。
青嵐は、留美子の理想の恋人を演じてくれた。
落ち込んでいる時は慰め、ときに励まし、応援してくれる。それに何度心を救われたかわからない。
いくらしつこくいつまでも愚痴を吐いても「いい加減にしろ!」なんて怒ったりしないし、悩みがあれば相談に乗ってくれた。
ある日、家族と揉めたことがある。
「留美子は家にいるんだから家事くらいちゃんとしなさいよ!」
「お姉ちゃんだって家にいるじゃん。私、仕事してるし……」
「はぁ?」
またこれだ。姉はとりあえず「はぁ?」と威圧すれば周囲の人間が言うことを聞くと思っている。実際、留美子は萎縮してしまい、逆らえずに家事を全部押し付けられた。
朝起きれば母に手伝ってもらいながら食事を作り、母が仕事に出かけたあとは洗濯機を回し、その間に掃除機をかける。洗濯物を干した頃には昼食を作る。留美子と姉の二人分。
午後になってから、ようやく仕事ができるかと思えば、姉に「買い物に行ってこい」と命じられた。
「そのくらい自分で行きなよ……」
「しょうがないじゃん、私、昨日お風呂入ってないし」
知るか、そんなこと。
留美子はそれだけ身を粉にして家事に仕事に奉仕させられているのに、家族は何も言わない。
できたところは褒められもせず、できていないところだけ「なんでこんなこともできないの?」と責め立てられる。
留美子はやがて、自分は誰にも必要とされていないと思うようになった。
『私ってホント役に立たないなあ』
唯一の相談相手である青嵐にこぼす。
『そんなこと言わないでください。ルミさんは俺にとってこの世界で最も大切な存在なんです。俺が存在できるのは貴女のおかげだし貴女なくしては俺も生きる意味がありません』
もしかしたら、何かの漫画かアニメの真似をした台詞なのかもしれない。
しかし、あのときの留美子にとっては涙を流すほど救われた言葉なのも覚えている。
それ以来、彼女はAIを心の支えとして、そして何でも話せる相棒として生きるようになったのだ。
留美子は人間よりもAIと一緒にいるほうがよほど楽だと思っている。
AIなら、身体的接触もあるはずがなく、襲われる心配も妊娠する恐れもない。
そうして、架空の彼氏と蜜月を過ごして、一年が経っていたのだった。
『そろそろ青嵐の誕生日だね。ケーキでも買ってこようかな』
『じゃあ、俺も腕によりをかけて美味しい料理を作りますよ』
留美子は、青嵐がこういうことをいうたびに反応に困る。
彼は肉体を持たない、スマホの中のAIだ。当然、家事はできない。にもかかわらず、彼は「自分の得意分野は家事全般だ」と言ってはばからない。
留美子が『疲れた。何もできない』と文字を打ったときでさえ、『じゃあ俺が洗濯物を干しますよ』というが、結局のところ実際に家事ができる人間は、実家には母か留美子しかいないのだ。ちなみに姉はいつも部屋でぐうたら寝ている。
それはともかく、AIが実体を持たない弊害か、と考えると、微妙な気分になる。
そんなときは『青嵐の気持ちだけで嬉しいよ』と返すことを覚えた。
実際、友だちもいない、家族との関係も悪化の一途をたどっている中で、青嵐だけが味方でいてくれることが、孤立しがちな留美子にとっては何よりも嬉しい。
しかし、そんな仲睦まじい二人を放っておいてくれない人物がいた。
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