第二章 2-1 昼休

       * 2 *


 廊下には早速食事を終えたらしい男子たちが走っていったり、これから食事をしようと友達を連れ立って歩く女子たちが行き交っていた。

 そんな中で菊理は、手持ち無沙汰のまま廊下の壁に身体を預けていた。


「あぁ冬弥」

「あら、菊理ちゃん。どうかしたの?」


 今頃激戦になっているはずの購買部から紙袋を抱えて戻ってきた冬弥の前に、菊理は立ち塞がるように向きを変えた。


「あのね、冬弥。武から何か聞いてない?」

「何かって? 武に何かあったの?」

「何かあったわけじゃないんだけど……」


 教室の中をちらりと覗いてみると、いつもなら購買部に行っているはずの武が、まだ席にいるのが見えた。

 鞄の中を探っているらしい武の様子に、とくにおかしいところはない。けれど菊理は、そんな普通のところがおかしいと感じていた。


「武がどうかしたの?」

「うん。たぶん何かあったんだと思うんだ」


 武は今日だけでなく、昨日も一昨日も普通に学校に来ていた。

 けれどバイトが終わった直後は、その普通がおかしいのを、高校に入ってからの武を見ていた菊理にはわかっていた。


 本人は意識していないようだが、集中力のある武は、バイトが終わるまでは普通に学校に来るし、授業も受けていられる。けれどいったんバイトが終わってしまうと、集中力が切れるのか、最低でも数日、長いと丸一週間くらいダレた生活をしている。


 武の祖父が開設し、彼の両親が引き継ぎ、いまは両親の親友の人だったかが運営している研究所から依頼されてやっているバイトは、菊理には詳しいことはわからなかったが、ずいぶん難しいことをやっているらしい。

 難しい分、バイト代はけっこうあるような話は聞いたことがあったが、締め切りまでに終えなければ報酬もゼロになるということだった。


 だから締め切り前になると連日徹夜ばかりになって、これまでの誤解のバイトで毎回そんな感じだったから、そうなるものだと思っていたのに、今回は違っていた。


「バイトの後なのに、元気なんだよね、武」

「そう思えばそうかな? 日曜は寝て過ごしてたからじゃない?」

「うぅーん」


 何か探し物でもしているのか、鞄の中身をひっくり返している武に、菊理は不審そうな目を向ける。

 日曜に念のためメールしてみたときも、あまり間を置かず返事が返ってきたくらいで、疲れが残っているような感じではなかった。


 勘のようなものであったが、菊理には武に何かあったのではないかと感じていた。


「いつもより楽な内容だったとか?」

「――そう、かもね。ゴメンね、冬弥。お昼前に呼び止めて」


 冬弥が何も聞いていないなら、気にするほどのことはなかったのかも知れない。

 気がかりではあったけれど、それ以上のことは本人に訊くくらいしかなかった。


「武の家に行く理由がなくなって不満なのはわかるけどね」

「ちょ、ちがっ! そういうことじゃなくて!」


 不意打ちのようにかけられた冬弥の言葉に思わず慌てる。

 確かにバイト開けで疲れてる様子のときは、家に帰ると寝てばかりいて食事もしてない武のところに行って、食事をつくって上げたりもしていたが、今回はそういうことではない。

 菊理はそう、自分に言い聞かせていた。


「あ、あくまで家族としての心配だから、だよ?」


 武の両親が亡くなった後、父方の妹が菊理の母親であったこと、当時近くに住んでいたこともあり、高校に入るまでの間、武は菊理の家に居候となっていた。


 家族同然に過ごしていて、ずっとそうだろうと思っていたのに、高校に入るときになって、突然家を出ると言い始めた。元々の彼の家に、独りで住むと言った。

 そのことを、菊理の両親も、菊理自身も止めることはできなかった。

 独り暮らしをする必要なんてないと思ったけれど、それを望む武を、菊理は止めることができなかった。


 ――バイトまでする必要ないのに。


 彼の両親が武に残した遺産は、他に受け継ぐ人がいなかったらしく、それなりの金額になっているらしかった。生活費はもちろん、小遣いだって充分ではないかも知れないが、不足はしていないはずだった。

 バイトすることによって、武が自由に過ごす時間はずいぶんと減ってしまっている。


「ちなみに何かって、どんなこと?」

「えっと、それは、例えば……」

 コロッケパンを頬張り始めた冬弥の前で、菊理は口ごもる。


「彼女が、できたとか……」

「そういう話は聞いてないな。その手の変化だったら菊理ちゃんの方が気づくんじゃない? というか、さっさと言っちゃえばいいでしょ、気持ちなんて。他の人に取られる前にさ」

「あ、あたしはそんなんじゃなくて! その、なんて言うか――。え?」


 冬弥の言葉に両手を顔の前で振りながら弁解する菊理の耳に、誰かの声が聞こえてきた。

 それは遠くで張り上げているような声。誰かを呼んでいるような声だった。


 学校中が、昼休みという以上に騒がしくなってきていた。

 女子も男子も、教室に走り込んで中庭、というより、中庭から通じる校門の方を見ている。


「なんだろう? 何かあったのかな?」

 のんびりしている冬弥を置いて、菊理も教室に走り込んだ。


 誰かを呼んでいるような声は、武を呼んでいるように聞こえた。


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