第2話 三男坊、妖術令嬢に出会う
「おい、君。怪我はないか? 立てるな?」
「え!?」
少女の顔に驚愕の表情が浮かぶ。同時に背後に羽ばたきの音。
ギリアムは振り向きざまに、後ろに迫っていた新手のカルキドリを斬り捨てた。
「まだいたか……! ここは危険だ、安全な場所へ!」
少女の手を引いて走り出す。彼女は予想外に身が軽く、足をもつれさせることもなくギリアムに追従していたが、少し走るとその足が不意に止まって彼をその場に縫い留めた。
「どうした?」
肩越しに振り返って少女の顔を見る。
先ほどの驚きの表情は落胆のそれに変わり、そして次第に怒りの色を露わにしつつあった。
「……あなた、何者なの?」
「はあ?」
悪魔に狙われ、あるいは拉致されたであろうところを助けたのに、なんでこんな顔をされるのか?
「こちらの都合は知りようもないでしょうけど……ああ、もう台無し。準備にひと月かけたのに……」
(なんだって……?)
ギリアムは顔をしかめた。どう考えても窮地を救われた相手に対する物言いではない。それにこの口ぶりだと、どうやら今の襲撃は――
「君は一体――」
「あなた、見たところ騎士のようですが、名前くらいは聞かせていただけるでしょうね?」
「んっ?」
ギリアムの問いは発する途中で、少女の剣幕に潰された。
知っている――こういう時には相手の出方に合わせるのが得策だ。
「あ、ああ。俺はギリアム・ラッセルトン。しがない田舎貴族の三男坊だ――そういう君は?」
「ラッセルトン? たしか東の辺境、ザリア地方の一角を預けられた新興貴族の名がそのような……」
「そうだ。一応うちはザリア辺境伯で通ってる」
「そうでしたか。ではこちらも名のりましょう。私は、ニルダ。ニルダ・ハイベリン」
ギリアムは目を剥いた。ハイベリン家といえば王室とも血縁のある、富裕かつ有力な大貴族だ。
「……驚いたな、ウィルスマースの伯爵家じゃないか。そのお嬢さんが一人で馬車を降りて、あんな路地の入口で何をやってたんだ?」
ギリアムは明確な返答を期待したが、あいにくとそれは与えられなかった。深藍ドレスの少女はなにか妙案を得たというような顔でギリアムを見つめ、微笑みながらふうっと息を吐いただけだった。
「……いいわ。この先を考えることにしましょう。ここは確かに危険だし、人目につきますね。うちの別邸まで送ってくださる?」
「構わないが。俺の馬車でいいのかい?」
「……ええ」
道路のあちこちからまだ煙がくすぶり、逃げまどっていた人々が呆けたようにたたずむ中、ギリアムとニルダはまるで初めから約束があったかのように、よどみない動きで馬車に乗り込んだ。
「……なるほどな。さっきの馬車、どこかで見た紋章だと思ったんだ」
納得顔でうなずくギリアムに、ニルダはクスクスと笑って返した。
「その紋章から逃げたいの。父が後妻に入れあげて、私を相続から外すと言い出したから……多分、そのうちどこかへ幽閉されると思います」
ギリアムはひどく居心地の悪い気分に襲われた。当主の再婚に伴う家庭内のいざこざは、貴族社会では珍しくない、という認識は彼にもある。
だが、自身の経験に照らせばごく無縁なものだった。そもザリアでは、そんな余裕は誰にもない。
「……もしかして俺、凄く余計なことしたのか?」
あの悪魔どもは突発的に襲って来たのではなく、この少女が呼び寄せたのだろうか――ギルドの魔術体系から外れた「妖術」と呼ばれるものの中に、そういうことが可能なものがあると、ラドヴァ滞在中に聞いたことがある。
彼女が仕組んだことだとしたら、ギリアムの「助太刀」はニルダにとって全く不本意だったに違いない。
「そうね。でも、おかげで別の展望がひらけるかも――ねえ、ザリアってどんなところ?」
「ザリアか? ……そうだな、まあ田舎だよ」
「田舎……ね」
「ああ。ろくでもない田舎だ。ふた月に一度は異民族との小競り合いがあって、畑よりまだ開墾地の方が広くて、街道ぞいには野犬や山賊、たまには魔物も出る。おかげで親父は椅子が温まる暇もない」
半ば笑いながらそう答えたが、父や兄の心労を思えば内心ではため息が出た。ギリアムがせっかくの遊学中にまで迷宮で鍛えたのも、その辺の事情が彼に文弱を許さなかったからだった。
「……大変なのね。でもちょっと楽しそう」
「そうか?」
「ええ、聞く分にはね……」
今の話にどんな楽しそうな要素があったのか、とギリアムは訝しんだ。まあ、恐らく違う世界の話が珍しいのだろう。
「今日の送り先はおたくの――伯爵家の別邸でいいのか?」
ふうっとため息をつくと、ニルダはあきらめ顔でうなずいた。
「今日はそうしないとしょうがないわ。私がこの馬車に乗り込むところは何人かに見られてるでしょうし、前後の状況を考えれば……あなたに迷惑が掛かるでしょうし」
「そうなるか」
「次はもっと綿密に計画を立てるわ」
どうあっても大人しく親の意のままになる気はないらしい――それはそうか、とギリアムもそれ以上何かを言うのは控えた。
路上の混乱はどうにか収まりはじめたようで、王都の衛兵たちが人手を集めて飛び散った瓦礫や馬車の残骸を片づけている。それがあらかた終るとようやく渋滞は解消され、馬車の列がゆっくりと動き始めた。
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