第3話 部下になった日①

 エストラルダ国の官僚には、一級から六級まで階級がある。初回に自分で階級を選び試験を受け、合格するとその階級から官僚としての仕事が始まる。任官した後に階級を上げるには、上司の推薦と昇進試験に合格する必要がある。

 どの試験も難しく、官僚になれるのはほぼ貴族だけ。官僚試験を受けられるような高等な教育を、平民は受けさせてもらえないからだ。


 その官僚の中でも、法務官の存在は異例だ。

 まず、試験は官僚以上に狭き門な上、受験資格にたどり着くのが非常に難しい。

 法務官になるには、役人として五年以上の実務経過が必要。且つ、法務官試験の受験時時に、一級でなくてはならないのだ。

 どんなに優秀でも三級官僚から開始できればいい方と言われる状況を考えれば、法務官になるには長い道のりが必要だ。


 法務官の仕事は大きく二つ。王都内で起きた事件について調べることと、法の下に犯人を罰することだ。

 官僚は全員が濃紺のマントを着用しているが、法務官は紫がかった色だ。マントを止める記章も普通は蔦の模様だが、法務官だけは蔦とフクロウが描かれている。

 法を司る仕事として憧れる者も多いが、実際はそんなに綺麗なものじゃないのも有名だ……。


 新しいマントをなびかせて司法省の廊下を歩いてきた私は、今、扉の前で動けなくなっている……。

 初日だし遅刻なんて絶対にダメだ。感傷的になっている場合ではない。法務官になると決めた時に、どんなことも耐えて見せると誓ったはずだ。

 ビビるな、私! 前に進め!

 部屋の主に全く相応しくない安宿のように薄汚れた扉を、私は息を止めてノックした。生来のビビり根性が出て、音が小さいのは許して欲しい。


「どうぞ」

 懐かしいのか懐かしくないのか分からない声が脳内に響くと、心の奥底に必死に押し込めている思いがあふれ出してきそうになる。

 ぶわりと勝手にあふれ出しそうになる涙をこらえて、シミだらけの天井を見上げた。とりあえず、視界に入るだけのシミを高速で数えてみる。それでも落ち着かないので、汗ばむ手でブレスレットを握り締めて自分を戒める。

 手放した恋を拾いに来たんじゃない。私にはやるべきことがある。やり遂げなくてはいけないことがあるんだ! そう言い聞かせて扉を開いた。


 入るなり、心臓に悪い……。

 相手は扉から一番離れた部屋の奥にいるけれど、たいして広くもない部屋だ。一番奥なんてたかが知れている。

 十歩も歩かずにたどり着ける先にいるのは、少しくすんだ金髪と澄んだ空のような青い瞳だ。その部分だけを取れば、いつもの寝癖がない以外は変わりないように思える。だが全体に目を向ければ表情は暗いというか、感情が削ぎ落されてしまったみたいだ。天使のように愛らしかったカイル様はいない。それも全部、私のせいだ……。

 もう私の知っているカイル様ではない。今日からは上司。特別捜査室の室長だ。


 やばい、冷汗が止まらない。最悪なことに、挨拶をどうするか考えてこなかった……。大失態!

 カイル様の知る今の私にとっては、初めましてだけど……。世間一般には、十年前に私が記憶を失ったことは隠してある。カイル様が私の秘密を知っていることを、私が知っているのはおかしいわけで……。

 もう、意味が分からなくなってきた。とにかく、挨拶!


「ミレット・ホワクランです。法務官試験を経て、本日より特別調査室に配属になりました。よろしくお願いします」

 カイルの座る執務机の前で挨拶を終え、期待を込めて伸ばした手は、あっけなく拒否された。

「カイル・ソウザントだ。気を悪くさせたら申し訳ないが、私は握手が嫌いだ。誰ともしない」

「そうですか。知らずに、申し訳ありません」


 引っこめた右手が寂しい。なんて思う資格は、私にはない。

 この手が握られないことは、知っていた。それでも私の手なら取ってくれるかもしれない、取って欲しいと邪なことを考えた。カイル様がこの世で一番取りたくない手だというのに……。


「他の仲間に紹介する。ついて来てくれ。初日から悪いが、仕事が入っている。このまま関係者に事情聴取をするから、君も一緒に来てくれ」

「はい」

 君、かぁ。ミレットではない。分かっていた。色々分かっていたのに、実際に体験してしまうと、思っていたよりも衝撃が痛い。

 何が辛いかって、私はこんなにも一つ一つのことに動揺しているのに、カイル様は全く気にした様子もないことだ。

 そりゃそうだ、あれから十年も経っている。私のことなんて、一日でも早く忘れられたかったに決まっている。


 前を歩く背中は、十年前よりずっとたくましい。カイル様はもう自分のことを「僕」なんて言わないのだろう。似合わな過ぎる。

 十年前とは、お互いが別人なんだ。時間とは残酷で、それでいて癒しなんだと実感させられた。


 完全に動揺していたので、廊下を歩いていた時間が長かったのか短かったのかは分からない。ただ、気づけば特別調査室の前に着いていて、扉の前では二人の法務官が既に私たちを待っていた。


 私の唯一の自慢が、とっても目がいいことだ。

 完全に敵意むき出しの顔で私を見ていた人が、近づくなり何事もなかったように余所行きの笑顔になったことを見逃したりできない。

「こっちが、ライリー・ケルトナルトゥール」

 癖のあるダークブロンドを揺らして、琥珀色の目で「よろしくね~」と軽薄に笑った。ライリーさんは、思ってもないことを自由自在に言えるタイプらしい。さっきまで射殺すように私を見ていたのに……。

 まぁ、これだけ陽気で華やかなイケメンなら、大抵のことは許されるのだろう。


 同僚については、私だってちゃんと下調べしている。

 国王派の筆頭ともいえるケルトナルトゥール侯爵家の三男で、カイル様と同じ二十八歳。カイル様の同級生で、十歳からの側近だ。

 由緒正しい侯爵家の放蕩者として有名だが、きっとそれは見せかけた。これだけ私のことを警戒している姿を見れば分かる。カイル様への忠誠心は本物なのだろう。それだけはホッとする。


「こっちが、エルベラ・マルト」

 亜麻色の髪を顎のラインで切り揃えて、丸い緑色の目が可愛らしい女性だ。体形が小柄で丸みがあるから幼く見えるけど、私より八歳年上で三十四歳のはずだ。

「よろしく……」

 高位貴族、それもホワクラン家の跡取り娘が働くとなれば、みんながエルベラさんのような「何をしに来た?」という目を向けてくるのが当たり前だ。

 全体に丸く柔らかい優しい印象とは異なることに安心する。法務官は、こうでなくてはいけない。

 困窮している子爵家を、自分の稼ぎで支えている人だ。役人としても色々な部署を渡り歩いて、女性ないのに潰されなかった根性には尊敬しかない。

「ミレット・ホワクランです。よろしくお願いします」そう言って差し出した手を、二人は断らずに握り返してくれた。


 自己紹介はここまでで、私以外はみんな既に仕事に切り替わっている。分厚い資料を手に、あれやこれやの言い合いだ。

 移動しながらでも、エルベラさんが短く的確に事件の内容を説明してくれた。

てっきり新人である私は蚊帳の外で、三人の仕事を見ているだけだと思っていた。

ずっとほったらかしにされていた前の職場とは、待遇が随分違って驚きだ。



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読んでいただき、ありがとうございました。

三話(1~3)投稿しています。

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