第4話 図書館にて 2
悠斗は資料棚の前で立ち止まり、眉をひそめながら呟いた。
「あんまり参考になるものがないなあ」
静まり返った図書館の中にその声が小さく響いた。
その時、不意に背後から柔らかな声がかけられた。
「あれ? 昨日のお兄さんですよね」
驚いて振り返ると、そこには明るい笑顔を浮かべた若い女性が立っていた。
「ああ……君、図書館のスタッフ?」
悠斗は不意打ちをくらったような表情を浮かべる。
「はい、アルバイトです」
彼女はにっこりと笑う。
「今日は何を探してるんですか?」
悠斗は少し戸惑いながら本棚を見やった。
「小説を書いてるんだけど、参考になりそうな本を探してて」
「えっ、小説を書いてるんですか?」
彼女の瞳が輝いた。
「すごいですね。どんなお話なんですか?」
悠斗は照れくさそうに笑いながら答えた。
「まあ、若い男が主人公で、いろんな事件を乗り越えながら成長していく話だよ。ある不思議な力を使って仲間を助けたり、困難に立ち向かったりする感じかな」
彼女は感心したように頷きながら言った。
「そういう話、私も好きです。でも、参考になりそうな本ってたくさんあって迷いますよね」
「だけど現実は帯に短し襷に長しで」
悠斗は軽くため息をつきながら答える。
「軸になるプロットとか背景なんかをしっかり作りたいんだけど、なかなか参考になる本がなくてさ」
彼女は顎に手を当てて考え込むような仕草をした後、ぱっと顔を上げた。
「うーん……それなら、こういうのはどうですかね?」
そう言うと、彼女は悠斗を児童書コーナーへと案内した。
「児童書?」
悠斗は意外そうな顔をする。
「いやいや、俺は大人向けの小説を書いてるんだけど」
彼女は照れくさそうに笑いながら、本棚から一冊の古びた絵本を取り出した。
「もちろん分かってますよ。でも、これって案外役に立つんです」
彼女は絵本を悠斗に手渡しながら続けた。
「たとえばこれ、昔に読んでもらってすごく印象に残ってるんですけど……世界観が独特で、想像力を膨らませるのにいいと思うんです」
悠斗は絵本を受け取り、興味深そうに表紙を眺めた。
「へえ……どれどれ」
彼はページをめくりながら感心したように頷いた。
「たしかに、こういうのも参考になるかもな。童話の独特な視点って、大人には思いつかないことが多いし」
彼女の顔がぱっと明るくなった。
「よかった。やっぱりこれ、お兄さんの役に立ちそうですね」
悠斗は少し冗談めかした口調で言った。
「まあ、子供向けって馬鹿にできないってことだな」
「そうなんですよ」
彼女は笑いながら頷いた。
「私みたいに本をあんまり読まない人でも覚えてるくらい、すごい力があるんです」
悠斗は驚いて顔を上げた。
「え、君、本読まないの? 本を読まない図書館員って……それ、誰も知らない有名人みたいなものじゃないか」
彼女は肩をすくめ、はぐらかすように笑った。
「確かに誰も知らなかったら、もはや有名人とは言えないですね」
「それとも、臆病なライオン……かな?」
「そっちの方がピッタリかも。きっと時代を越えて生き残る絵本には特別な力があるんでしょうね」
悠斗は再び絵本に視線を落とし、しばらくじっと眺めていた。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「特別な力か。そうかもな」
少し沈黙が流れた後、彼女が手を差し出した。
「あ、そういえばまだ名前を言ってなかったですね。私は彩乃です」
悠斗もはっとして彼女の手を握り返した。
「俺は悠斗。よろしく、彩乃さん」
握手を終えると、彩乃がふと絵本に目をやりながら言った。
「それにしても、小説の参考に絵本を使うなんて意外性があって面白いですね。でも、子供向けの本って誤魔化しがきかないから、大人が思ってる以上に奥深いと思いますよ」
悠斗は少し驚いたような顔をして頷いた。
「確かに。子供って好き嫌いがはっきりしてるから、中途半端なものだと相手にされないよな」
彩乃は微笑みながら答えた。
「何が子供の心を惹きつけるのか、その秘密が分かれば創作に生かせるはず!」
悠斗は苦笑いしながら答えた。
「でもまあ、あまり影響されてしまうとパクリと言われかねないからかな」
彩乃はくすくすと笑いながら返した。
「盗作と言われたら心外ですよね」
悠斗は大げさに肩をすくめた。
「そういうの、言う奴は言うから。そういや、ある世界的なヒット曲が盗作だと言われてしまったという事があったなあ」
「へえ、メロディーの方ですか、歌詞の方ですか」
「歌詞の方だよ」
悠斗は腕を組みながら言った。
「で、どうなったんですか?」
「作詞家の方が『これは聖書の話がもとになっているんだ』と言い返して終わりになったんだけどね」
「本当ですか?」
思わぬ結末に彩乃は真顔になる。
「新約聖書の中に似たような話があるのは確かだ」
「それだったら誰も文句を言えませんね」
「まあ、本当のところは後出しのこじつけかもしれないけど。実際、『偉大なアーティストは盗む』と言った偉い人がいるらしいし」
悠斗は偉い人の名前を想い出せなかった。
「へえ、じゃあ悠斗さんも偉大な作家になれるかもしれませんね」
彩乃が冗談ぽく言うと、悠斗は絵本を持ちながら深々と頭を下げた。
「じゃあ、未来の偉大な作家が今日のところは感謝の印にコーヒーでも奢りますよ。どうです?」
「えっ?」
彩乃は少し驚いた顔をした。
「いや、ここまでアドバイスもらったんだから、お礼くらいしないとさ」
悠斗はいたずらっぽく笑う。
彩乃は少し考えた後、肩をすくめて口元を隠しながら微笑んだ。
「じゃあ、そのお礼のコーヒー、ありがたくいただきます」
悠斗は得意げに頷き、絵本を持って閲覧席に向かった。
「よし、ちょっとこの本をここで読んでからな」
彩乃はその後ろ姿を見ながら小さく呟いた。
「なんだか素直な人……」
悠斗が閲覧席に腰を下ろし、真剣な顔で絵本をめくる姿を見て、彩乃は小さく笑いながら受付に戻っていった。
静かな図書館の一角で、新たな出会いはほのぼのとした笑いに包まれて幕を開けた。
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