ワカバを連れて②


 キラが声をかけたワカバは、きょとんとしてキラを見上げていた。そして、慌てたように隣の席まで広がっていた自分のスカートを自分に寄せた。きっと、座って良いということなのだろう。

 しかし、その様子から『キラ』に気付いたわけではなさそうだ。

「ありがとう」

 そう言って座席に着座したキラは、諦めの考えを深める。


 良くここまで無事だったものだ。


 それが素直な印象。キラにおいては、まさかここまで無防備にこの列車に乗っているとは思わなかったのだ。マーサもいったい何を考えているのだろう。

 ただのお嬢さんとして接してきたのだろうか。それとも、マーサはやはり、ワカバが魔女として捕まることを望んでいたのだろうか。

 将又はたまた、この列車内を予想した結果なのだろうか。


 列車内の緊張は、その互いの緊張感のために誰も必要以上にワカバに近づこうとはしなかったようなのだ。確かに、ゴルザムから列車に乗れば、必然的に終点オリーブまで乗車するというのが普通だ。

 間に無人の駅二つが存在するが、どちらかと言えば遭難者用。時にローリエとロゼの住人が乗ってくることもあろうが、ほとんどない。

 もちろん、そんなことを知り得ないだろうワカバに、それに対しても警戒しろとは思わない。


 ワカバがあの魔女狩りで捕らえられた魔女なら、彼女は十一年間あの監獄のような場所にいたのだから。見た目にも自分とそれほど変わらない年齢か少し下だろう彼女に、世間知らずを咎める気はなかった。

 ただ、周りに空席があるにも拘わらず、隣に座ろうとする人間には警戒を持つように、とは思うくらいだ。


 そう、キラに出来ることは、ここまで。あの犬と同じだ。場所は与えられるが、それ以上は出来ない。

 だから、キラは舵を切る。


「君、ゴルザムから乗ってきたの?」

 出来るだけ初対面を装って。他人であることを強調して。そして、慌てはじめたワカバを見下ろした。


 今さら慌てても遅いのだ。逃げ場のない列車の中で、通路側を塞がれて、一体どうするつもりだったのだろう。そんなことを考えながら、人畜無害の顔をして。

 ワカバは素直だ。良い意味でも悪い意味でも、ワカバは問われたら、答える。マーサとの会話、ガーシュとの会話を盗み聞きしていた頃からそうだった。

 問われれば、その答えだけを伝える。

 だから、ワカバは不思議そうにキラを見た後、肯いた。

 予想通りの反応を示したワカバには、まず、周りが感じているだろう『キラ』の違和感を少し消してもらおう、そう思った。


「やっぱり。だって、仕立ての良い服、着てるんだもの。いいなぁ。僕は、ほら、さっきの無人の駅の傍……って言ってもずっと向こうなんだけど、ロゼって町があって、そこからなんだ。ねぇ、ゴルザムってどんなところなの? やっぱり賑やかなところ?」

 キラは好奇心いっぱいに喋り続け、ワカバはその新緑色の瞳をぎこちなく動かした後、視線を下方へと落とし、小さく頭を振る。キラは構わず、その反応を都合良く解釈する。


「そうなの? ゴルザムに住んでるんじゃなかったの?」

 どう答えるのかは分からなかったが、ワカバはそのまま頭を小さく振ってくれた。

「じゃあ、あれか。ローリエに帰るところとか? それだったら、次の駅……か」

 そう言うとキラは、ワカバを静かに見つめた。まるで夢の中で鬼に出会ったような、そんな表情で、ワカバはキラを見つめている。そして、一言。そんな鬼に伝えた。

「ちが……います」

 小さく縮こまっていくワカバを見ていると、わずかにキラの心は痛む。


 キラがワカバに用意したものは、ロゼとローリエにある小さな小屋をひとつずつ。

 ロゼの方は、つい一年前に住人が亡くなったそうだ。その親戚あたりを名乗るように手紙には、指示してある。もう一つ、ローリエは町よりも少し離れた場所にある、元は教会だった場所。畑なんかもあるし、時々、忘れたように町人がお祈りにやってくるような場所だ。

 おそらく、その町人も何が祀られているのかも知らないような、そんな場所だった。


 その教会にポツンと置かれた白磁の女神の手は、民に広げられ、その力を失った。

 同じように佇むディアトーラの女神像の手は、民の願いを叶えるために、その力をその掌で掬い上げている。

 今では、ワカバとは正反対の場所であり、本来ならば正位置に存在するだろう場所だ。おそらく、ワカバも気にしないだろうし、こんなことを知っているリディアスの民もいない。

 リディアスで教会と言えば、魔を削ぐ場所であると信じられているのだから。

 ワカバの答えを聞いたキラは、大きく驚く風にして、目を丸くした。


「えっ、まさか、オリーブ?」

 オリーブの町は、今のワカバの肩書きであれば、一番よく似合う場所だ。しかし、実際のワカバからは一番遠い場所。キラは大袈裟に、周りに伝える。

「そこに、住んでるの? えっと。あ、家族とかそんな人がいて、そこにいるだけ、だよね。だって、君、……」

 そこまで言って、言葉を止める。そして、勝手に思い当たったかのようにして、息を呑む。

 ワカバの表情は変わらない。どこか不安気なのは、きっとその内容ではなく、キラがおかしなことばかり言うからだ。しかし、その方がキラにとって都合が良い。キラはワカバに口を挟ませないように、ただ喋り続けた。彼女が魔女ではなく、人間の女の子であるということを、意識づけるため。


「どうしてそんなところに行くの?」

 わずかに頭を振ったワカバが、一言だけ零した。

「……人に……会いに……」

 それは、ワカバが必死になって違和感を治めようとした結果。きっと、「あなたに会いに」ではないのだろうと考えた結果。しかし、声色を変えたキラがさらに続ける。

「騙されてるよ、きっと」


 息を呑んだワカバの瞳が急激に潤み始める。申し訳ないとは思わなかった。人を簡単に信じることは、彼女にとって致命的な事態を招きかねない。

「その人って、信用できる人間なのかい?」

 信用できるわけがない。キラなんて、偽りの塊なのだから。

 ワカバの頬に涙が伝う。それは、キラが思っていたよりも早くに流れ、意外でもそうでないようでもあった。

 そして、キラは意識を別方向へ向ける。


 キラはそもそも泣き虫が嫌いだ。

 それは、ワカバから離れたいというキラの気持ちの反映でもあった。


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