第5話この世で最も感染力の高いウイルスの名は『二人だけの秘密』

今日は登校日初日ということもあって、午前中で下校になる。これくらい気力と体力を残して毎日下校出来たものならば、日本の世界幸福度ランキングはもっと上位になるに違いない。

 いつもよりも軽快にさえ聞こえる予鈴を耳にし帰り支度をしていると、不意に力強く身体をどつかれた。


「よ、清継きよつぐ!今年も同じクラスだな。それに汐森&向崎、有名カップルも再誕ってか?」


「黙れ圭吾けいご、まずはその汚物のような口を閉じろ」


「さすがに酷くねぇか…」


「何が酷いだ。俺が恋花れんかと別れたって言いふらして回ったのお前だろ」


「あれ、バレてる?」



 板橋圭吾いたばしけいご。こいつをあまり親友と口にしたくない理由がこれだ。あまりに軽率で馬鹿だ。

 去年恋花と付き合うきっかけを作ってくれたのは間違いなくこいつの功績だ。だからせめて別れたことも報告するのも義理だろうと思い、圭吾にだけその事を伝えたのだ。『誰にも言うなよ』と二人だけの秘密にすれば誰かに告げ口したくなるのが人間というもの。最早噂にして広めていいよの裏返しだ。だから俺は最小限の範囲に抑える為『あまり言いふらすなよ』と言い換えた。まさかそれが、学年中に広まってると誰が予想できたか。


 圭吾は悪びれる様子もなくヘラヘラと続ける。


「いや、周知されてた方が傷口も塞がり易くなるかなって」


「誰が傷口を焼いて塞げと言った。」


「痛いのは最初だけだからさあ」



 麻薬の密売人みたいな事を言うな。最早こいつに何を言っても無駄だろう。言い方を間違えたのではない。圭吾という純粋生命体に話した俺が間違えていたんだ。いずれにせよ、遅かれ早かれ周知される事実だ。何も言うまい。



「それで?お前の言ってた『親睦会』ってのは何なんだ」


「よくぞ聞いてくれた。この後さ、皆でカラオケ行こうぜえ」



 そんな事だろうと思った。親睦会にカラオケをチョイスする所が圭吾らしい。普通見知って間もない人達の前で歌を歌うなんてハードルが高いと思う筈だ。その感覚がこいつには備わっていないんだろう。


「いや…、俺は」

「みんなー!この後一緒にカラオケ行かねえかあ!勿論それぞれの自腹でな!」



 俺の返答を聞くまでもなく、圭吾はクラス全員に聞こえるような大声を上げた。

 すると数人の女子達が直ぐに俺達の元に駆け寄って来る。



「え、汐森しおもり君も一緒に行くの!?」

「いや、だから俺は」

「汐森君の歌とか超レアじゃない!?」



 ええい、散らばれモブキャラ共。にしても断れる雰囲気ではなくなって来たぞ…

 その時、圭吾が離れた所で談笑している恋花にも声を掛けた。

「なあ、向崎こうざきもカラオケ行くだろ?」


 その言葉に、俺は身体を一瞬強く跳ねさせた。

 少し、胸が苦しくなる。



「えー、どうしようかなあ」



 恋花は考えるポーズをするが、何を考えているのか俺には分かる。恋花はカラオケには行きたがらないだろう。

 話せば驚く程ノリが良いし、遊びとなればしっかり場を盛り上げる。そんな恋花だが、基本的にはこういった親睦会のようなものは苦手なタイプだ。腰を重くする筈だろう。


 俺はそんな恋花の事を分かってて声を掛ける。

れん…」


 瞬間、恋花にギロリと視線だけで人を殺せそうな睨みを利かせられる。

 要するにこう言いたいのだろう。その名前で呼ぶなと。お前は禁忌の存在か何かか。


 俺は改めて周囲に聞こえないような声量で



「向崎、この後予定ないならみんなと一緒に行って来いよ」


「何であなたにそんな事言われなくちゃいけないわけ?」


「お前自己紹介で何て言ったか忘れたのか?カラオケでも遊びでも気軽に誘って下さいって言ったんだぞ」


「うっ…」


「ここで行かなきゃ、付き合い悪い奴だと思われるぞ。一週間後には便所飯だ」



 大袈裟おおげさだが俺の言葉も一理ある。恋花はそんな様子で考えを巡らせていると、やがて不気味な程作られた笑顔をして見せた。


「それで、汐森君は参加するの?」


 周りの女子達の視線も集まる。恋花の奴、俺にしか聞こえない言葉を発しやがる。正しくは、

 『それで、汐森君は参加するの?するわけねえよなあ!』だ。


 いずれにしたって、最初から答えは決まっているよ。俺は無意識にため息を吐いてしまう。



「悪い、俺は行けないや。午後からバイトがあるんだ。みんなで行ってきてくれよ」


「えーー!汐森君の歌聴きたかったのにい」



 モブ達が嘆く。でもこれは仕方ないのだ。恋花が参加してようが、そうでなかろうがこの予定は決まっていたのだ。

 これで満足かとばかりに俺は恋花に尋ねた。

「向崎さんはどうするの」


「んー、行こうかな」


 今この子じゃあって、じゃあって言った?信じられない。アタシ傷付いちゃうんだから。

 俺の心に住まうオネエがむせび泣くが、これで良い。予定が無いなら、交友関係を深めるのが得策だろう。他の男子達も喜んでる。


 圭吾は少し寂しそうな俺の顔を覗いて話した。



「お前、始業式にまでバイト入れなくても良いんじゃないか?誰かに代わって貰えねえの」


「俺が代わって入ったんだよ。小学生の娘さんの入学式に参加するんだってよ。ピンチヒッターの俺が休む訳にはいかんだろう」



 圭吾は他にも何か言いたそうだったが、俺は小言は面倒なので言葉で制す。



「また誘ってくれよ。その時には必ず参加するからさ」


「お前、ほんと良い奴だよな」



 今そのワードは傷をえぐる禁止用語なのでお控え頂きたい。


 俺の親睦会不参加にいつまでも嘆いてみせる女子達を引き連れ、圭吾達は去って行く。クール気取ってみたは良いが、やっぱり行きたかったのが本心なのかも知れない。

 だって恋花も参加したし!あああ、やっぱりバイト入れるんじゃ無かったかなあ!


 和気あいあいと遠ざかる姿を見て、俺は一年前の事を思い出していた。



『なあ、向崎もカラオケ行くだろ?』

 あの時も、最初に圭吾が恋花を誘った。

『いや私はちょっと…』

 高校一年生の恋花は今よりももう少し内向的でカラオケなんて行くようなタイプじゃなかったと思う。

『それで、汐森君は参加するの?』

『ああ、みんなの前で歌うのなんて俺も嫌だけど、みんなと話すきっかけが出来るかも知れないし』

、私も、行こうかな…なんて』


 それから俺達は少しずつ仲良くなった。良くクラスの男子に言い寄られる恋花からしてみれば、俺は何だか特殊な人間に映っていたらしい。

 自然と付き合うようになるのに、時間は掛からなかった。


 今度もまた、恋花はみんなとカラオケに行く。去年と違って、その景色に俺の姿は無い。これをきっかけに誰かと仲良くなったり、俺では無い他の奴と遊びに行ったりするようになるのだろうか。

 

 そんな事ばかり考えて、俺は俺自身の知らなかった女々しさに腹を立てる。

 それから自嘲気味に笑う。


「はは…」


 どうやら俺は恋花の事をただ好きだったのでは無く、どうしようもないくらい心底惚れていたことに、今になってようやく気付いたー。

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