キョウジ・ザ・シルバー ~加速した世界の支配者~
キョウジは戦いが嫌いではないが、かといって戦闘狂というほど欲している訳ではなかった。戦わずに済むならそれに越したことはない――尤も今回はそのケースではない
ナダの街は周りを鉄条網で囲まれている。2方に海を背負い、埠頭に繋げたボートの中に住んでいる者も多い。つまり逃げ場はないという事だ。度重なる襲撃に遭いながらもそこを放擲しなかったのは資源の問題もあるが、それが一番大きい。
そして今、キョウジは鉄条網が切れた入口に立っている。この程度のバリケードは大した防護壁にもならないだろう。それでも必要なものである、と彼は思う。自分たちはこの場に生きるのだ、そういう意志を示すために。
やがて敵が砂塵の向こうからやって来た。さほど数は多くないと見た。オートバイに乗った男が5人、バギーが2台で、そこには3人ずつ乗っている。大した数ではないとは言っても、彼らが全てデモンなのであれば侮ることは出来ない。
「腐るほどガソリンを収奪したんだろうな」
少し憎々しく思いながらキョウジは呟いた。奴らが度々街を襲撃、略奪しながら住人を殺戮して占領しないのは、つまりそういうことだ。奴らに働く気はない。奪うことに慣れてしまっている。だから「生産」を住人に任せて、実が熟したころに奪いに来る。奴らにとっては「収穫」と言えるものなのかもしれない。
キョウジにはそんな事情は知ったことではなかった。だがそういった無法者に憤りを覚えるほどには正義感もあった。世直しをしている驕りは無かったが、不逞の輩を見過ごすほど寛容でもなかった。
「さて、もう少し……」
キョウジは奇襲をするつもりは無かった。この開けた土地ではそもそも不可能である。だが先手は取らなければならない。出来るだけ引き付けた後、彼はホルスターからオートマチック拳銃を抜いた。銃は滅多に使わない。銃弾は貴重だからである。デモンを屠る、隕石から取れた金属を使った銃弾ならなおさらである。今装備しているのは普通の鉛玉だ。つまり牽制程度にしか使わない算段である。それですらもいつ補給出来るか分からない。
大して射撃の上手いキョウジではなかったが、その時は上手く行った――銃弾は正確にバギーのタイヤに当たり、パンクさせた。それからもう一台にも撃つ。車は横滑りしたが、転倒はしなかった。まず罵声が聴こえた。それから賊たちがマチェットを持ってぞろぞろと降りてくる。オートバイの奴らも停止した。銃火器を持っている者はいなかった。貴重品である銃火器は、いかに収奪を繰り返した賊にしても簡単に手に入れられる物ではない。
オートバイの賊は降りていない。まるで横隊の脇を固める騎兵のようだな、などとキョウジは思った。
「なんだなんだ、てめぇはっ!」
誰かがリーダーになって統率を取っている、という訳ではなさそうだった。その中のひとりは最初憤怒の表情を見せたが、やがてそれは侮蔑の色に変わった。こちらがたった独りだと見たからだ。
「てめぇ、正気か? たった独りで俺たち〈スパルタカス団〉に戦いを挑もうなんざぁ」
これ位の勢力なら問題ないな、とキョウジの心は平静だった。力はあるかもしれないが、専門の訓練を受けた兵士ではない。ただのチンピラだ。彼はもっと強力な敵と戦ったことがある。
「街も大分やせ細って来たのかもしれねぇな。こんな優男独りを用心棒に雇うたぁ」
言ったのは別の男だった。キョウジはそれを聞き流していた。彼らと話すつもりはなかった。あるのはただ戦闘である。その意思表示をするようにキョウジは左のベルトに差してある鞘から刃渡り30センチほどのやや大き目な短剣を抜いた。それは彼の瞳と同じような銀色の鈍い光を放っていた。
向こうから嘲笑が起こった。
「へっ、独りで、しかもそんなしょぼい得物かよ」
「俺にはこれで十分。十分な相棒だ」
とは言え、確たる銘がある訳でもない。無銘の短剣――キョウジは武器に名前を付けて愛でるような趣味を持っていなかった。無骨なのである。
「まぁいい。野郎ども、まずこいつからやっちまえ!」
賊たちがマチェットを振り上げて駆け出す――その前にキョウジは疾駆していた。彼らにはそのキョウジの姿は見えなかったに違いない。
そしてその瞬間、彼の瞳が煌めいていたことも。
いつもの光景。時間が間延びして、相手の動きがとても鈍く見える。奴らの罵声も歪んで低く聴こえる。そういった時、キョウジはいつも思うのである――彼らの時間が遅くなっているのか、それとも自分が加速した時間の住人なのか。
その答えが出たことはない。だがそれが唯一無二の彼の能力だった。
銀の目は世界を鈍化させる。その中でキョウジのみがいつもと同じように動ける。相手には自分が超スピードで動いているようにしか見えないだろう。
その結果は明白。
キョウジはすぐに3人を捉え、ひとりの首を刎ね、ひとりの心臓を突き、ひとりの腹を抉った。彼らは断末魔を上げる暇もなく、黒い霧となって消滅した。それがデモンの死だった。
場はすぐに恐慌に陥った。
「ま、まさかてめぇ……〈
「俺の名も割と売れてきたようだな」
さして嬉しい訳でもないが。
「くそ、くそっ、まとめてやれぇ!」
3方から賊が襲い掛かる。普通ならタコ殴りになるところだ。だがここでもキョウジは〈加速時間〉を発動させる。降ってくるマチェットをスウェイバックするように回避。それから一番惑っている男の首に短剣を突き刺す。それから距離を取った。短い時間で〈加速時間〉を連続している。この力は無限大には使えない。本当はもっと休みを取って使わなければいけない。最大使用時間は20秒。連続すればその時間はどんどん短くなっていく。もっとも過剰に使用した経験はない。体感でそれ以上使ってはいけないという確信があるだけである。もしそうなれば、きっと身体は崩壊してしまうだろう。
つまり自分は無敵でない。
「や、野郎!」
戦闘訓練も受けていなければ、大した戦術眼も持ち合わせていないんだろうな、とキョウジは思った。今頃になってオートバイの男たちが轢き殺そうとエンジンを唸らせた。しかしここまで接近すれば十分な速度を得られない。
〈加速時間〉を使わずともキョウジには十分な身体能力がある。突進してくるバイクを紙一重で回避し続け、、同時に横蹴りを入れて賊を転ばせた。こういった輩はどうして似たような顔になっていくのかね、なんて考える余裕すらあった。
残りは7人。キョウジは再び後ろ跳びして距離を取る。時間を掛けるつもりはなかった。完全に算を乱し、狼狽している名も無き賊に後れを取る気は全く無い。
「こ、この……」
「地獄で待ってな」
〈加速時間〉――最大発動。
その20秒間の間に、キョウジは全てを終えた。ほとんど止まって見える男たちをひとり、またひとりと屠っていく。黒い霧は濃霧となって辺りに漂う。それが霧散した時、立っていたのはただひとり、キョウジだけだった。彼は掠り傷ひとつすら付いていなかった。主を失った車やバイクが無残に転がっている。
「こんなもんか、大したことなかったな」
しかしこれが賊の最大戦力という訳ではないだろう。この敗北が知れ渡れば奴らは主戦力を投入してくるかもしれない。それを分かった上で俺の仕事は終わったから後はよろしくと行くことは出来ないだろう。一度は守ったかもしれないが、結局略奪と被害の構図が変わらなければ、すこし寝覚めが悪い。
「……乗り掛かった船だ。やるしかないな」
しかし難しい事を考えるのは後でもいいだろう。
今は自分を待つ者のところに戻りたかった。
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