第20話:ラティフは知ったかぶる

「奥様。朝餉あさげのご用意が済みました」


 ラティフはアミーナの部屋を仕切る、幕越しに声を掛けた。


 粘土はすべて取り払い、いつもの姿だ。アミーナの前ではズバイルと名乗っている少年の姿だ。


 醜悪な夫と一晩過ごした新妻の屈辱たるや。ラティフには想像もつかない。

 どうして、ああいった風に添い寝をするだけで女性たちは屈辱なのか。まったく意味が分からないが、そういう理屈ではない。とにかくアミーナにはここでの生活に嫌気を感じさせたいのだ。

 幕の向こう側ではさめざめと泣きはじめているだろうアミーナを思うと少々気の毒であった。あったが、心を鬼にせねばならない。


 しかし、返事がない。かと言ってすすり泣く声もしない。顔も知らない旦那が帰ってこないことを嘆いて寝ていたアミーナが、声を震わせてもいない。これは不思議なことだ。


 ラティフは再度、声をかける。


「奥様、失礼します」


 そして、幕を恐る恐る押し開き、様子をうかがえば。ラティフは驚いて声をあげた。


「わっ! 起きていらしたならお返事をくださいませ」


 アミーナは右腕を支えに体を起こしていた。眠気はないのか。すっきりした様子だ。

 彼女の右腕の横にはへこみがある。

 そのへこみはアミーナだけではなく、他にも寝ていた男がいることを示している。ラティフだ。

 

「ああ、ごめんなさい。ぼうっとしてたの。起きていたのにね……」


 いつもの飛び跳ねるような声音ではない。何が起きたか分かりかねるような。情報が処理できていないような。そういうものだ。


「奥様? お加減が悪いんですか?」


 大成功した。と言いたいが。よくわからない。


「……ねえ。ズバイル。旦那さまが見当たらないの。どこに行ったか知らない?」


 アミーナの声音は質問なのか。詰問なのか。分かりかねる色だった。


「お見かけしておりませんので、僕にはわかりかねます」


「そう。残念だわ」


「旦那さまのことをいかがに思いましたか?」


「……あの方が私を値踏みしないのに。あたしがあの方を値踏みするわけにはいかないわ。優しい方だとは思うわ。ズバイルが慕うのもわかるわ――」


 なんか、違う。思っていたのと違う。

 

 アミーナには優越感というか。余裕というか。そういったものが漂っている。

 

「――ズバイル。赤ん坊ってどうやってできるか知ってる?」


 アミーナは今日知ったことを得意げに披露しようとしているのだ。


「存じておりますよ。若い男女がねやを共にし、美味しいご飯をたくさん食べれば自然と子どもはできるものです」


「なんだ!? 知ってるじゃない! ズバイル! あなた物知りね!」


 ラティフは女を知らない。知ったかぶりである。アミーナも知ったかぶりである。

 

 ラティフは己の体を知っているし、その魔術的な誓約や呪いか祝福により、大人にはならない。子を望むこともない。そういう理屈でいるから心配はしていないが。

 

(なにかの間違いで子どもができちゃったらどうしようか)


 という不安に襲われながら、朝を過ごした。

 

 アミーナはニコニコだった。

 

「次はいつ旦那さまはおかえりになるの? わかったらすぐに教えるのよ!?」


 と食い気味だった。

 

 なにか、話しが違う。


 パンと茶を飲み下しながら、それとなく「ご機嫌がよろしいですね」と訊ねる。

 

「だって、あたしは結婚できないと思っていたから、結婚できただけでも喜びよ。ラティフ様はおじいちゃんみたいな人だったけど。子どもを望んでくれているし、あたしも子どもを望んでいるの。別に多くは望まないのよ」


 アミーナは食事もそこそこに部屋にこもって、なにやら刺繍をはじめていた。

 

 ラティフはまた、今後のことを考え始めなくてはならなくなった。

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