第15話 クマ
森へ入ると空気が変わる。
戦いの熱気や喧騒は、木々を抜ける冷たい風や葉擦れの音にかき消されていく。
直ぐ近くで戦闘が行われているのが嘘のようだ。
遠くかすかに戦争の気配はするものの、今はもう他人事のように思える。
それにしても、なんだか進んでは戻ってばかりを繰り返している気がするな……。
「フー、コッチ」
「おおっと、そんなところにいたのか。全然分からなかったぞ……。森の中でアンに本気で隠れられると、まず見つけられないだろうなぁ。そうだ、ゼットも大丈夫か?」
どこからともなくアンに声を掛けられる。
相変わらず図体はでかい癖に姿を隠すのがうまい。
「アンのおかげでわしも大丈夫だぞ!」
「よかったよかった。クマは……呼吸が浅いな。意識も無いし……そろそろ死にそうだな。急ぐか」
「なんじゃ~? 何かこのクマを助ける方法でもあるのか?」
「ああ、ちょっとな。いろいろ頑張ってみるから、ちょっと静かにしといてくれ」
「ワタシハシンゾウ……タベルワネ」
アンがテイマーの心臓を食べている間に、俺の悪魔で本格的にクマを食うことにする。
クマは地面に倒れ伏し、浅い呼吸を繰り返している。
相変わらず素晴らしい手触りだ。
なんとか生かしてやろう。
悪魔の声に耳を傾ける……そうして――この命を、弄ぶのだ。
大きな傷口に手を当て、その身体をゆっくりと侵食していく。
やはりこのクマはモンスターのようだ。
しかも……人が混ざっているな。
ならば簡単だ。
ウェンディゴの時と同じ要領でやればいい。
死にかけているせいか、悪魔はするすると簡単に侵食していく。
これまでよりずっと早い。
人懐っこい性格だったし、なるべく記憶は残してやった方が良いだろう――。
あっ……、しまった。
アンと同じように人に寄せちまった……いや、今からでも何とか……。
くっそ、俺のモコモコが……う~ん、あれぇ……。
「疲れた……」
「ねぇ、フー。その子って……さっきのクマ?」
「ああ、そうみたいだな。なんか……ちょっと失敗したわ」
「失敗? 何を言ってるのよ……成功じゃない。 とっても可愛いわよ!」
「んでもなぁ……ちっちゃくなっちゃったぞ?」
「フー……、お前……魔人だったのか?」
「なんだゼット? まじん? 魔人ってなんだ?」
「いや、魔人は……どうなんだろうな。わしにもよくわからんが……」
「なんだそりゃ。しっかし無駄に疲れたな……、おーい、生きてるか~」
「ん……、れぇ~? あたしは……、んぅ~……、はれぇ?」
ゼットは何か考え込んでしまったので放っておく。
クマはすっかり人型になってしまった。
残念だ……。
髪色だけはクマと同じ、明るい栗色だ。
見た目は……その辺の村娘だな。
僅かばかりの抵抗の結果か、耳だけはクマのものが乗っている。
じっと見ていると確かにあのクマの面影が無くも無いような……。
全体的に丸い印象だ。
顔も目もなんだか丸っこい。
髪と同じ色の瞳はくりくりと良く動く。
胸はアンと比べればささやかなものだ。
気持ちある程度か。
尻はでかい。
どのみち性欲が死んでいるのでよくわからんが……まぁガキだな。
頭をわしわしと触ってみるが、クマのモコモコに比べてやはり物足りない。
「俺はフーだ。覚えてるか~? お前の名前は何にしようかな……クマ子とかでいいか」
「いいわけないでしょう?」
「じゃあフワフワとか……」
「この子の名前は……クリスティーヌにします」
「長いなぁ……」
「ん~あれれぇ? フー? くりすてぃーぬ? ……わかんない」
「おぉ……普通にしゃべれるんだな……なんでだろうか。アンの時もそうだったが……まさか俺の脳みそ混ざってたりしないよな?」
「私とあなたじゃ言葉使いが全然違うじゃない」
「それもそうか……」
「ふ~……はっ! フー! えへへ、あたし、フーのこと好き~」
「どうやら俺のことは覚えているようだなぁ。しかし、モコモコのクマにするつもりだったのに……ミスってガキになっちまった」
なんだが妙にフガフガしたしゃべり方だな。
クリスティーヌと名付けられた、元クマのモンスターは俺にしがみついてくる。
ガキかと思ったが、並んでみるとそれほど小さいわけでも無いな。
背丈も俺の肩くらいはある。
しかし、こいつも力強いな……背骨がきしむ。
「この子だって可愛いじゃない。特にお耳が素敵。私はアンよ、あまり怖がらないでね」
「あん~? あ~……う~ん……わかったぁ!」
「まぁ可愛い!」
クリスティーヌは今度はアンに抱きつく。
俺の時とは違い恐々とではあるが、アンは顔をとろけさせている。
随分と今の姿がお気に召したようだ。
「だけどなぁ……俺はクマの時の、あの暖かくて、もっこもこの体が良かったんだけどなぁ」
「フーは、わたしのからだが好きなの~?」
「いやまぁそうだけど、そうじゃなくて……、あのもこもこのなぁ――」
クリスティーヌの体が膨らむ。
ああ、そうか。
よく考えれば確かに……。
アンと同じようにやったのだから、そりゃそうなるわな。
クリスティーヌは見慣れたクマの姿になった。
ちょうど背丈は二倍ほどか。
からだもモコモコだ。
素晴らしい。
「やればできるじゃないか! うわぁあああ、クリスィーヌ!」
「んぁぅっ! ふふっふふふっ、んふああっははははっ、くすぐったいよ~、フー」
「その状態でも普通に喋れるのかよ……」
「私より滑らかに話すのね……」
クリスティーヌはでかい体で身をよじる。
思わず吹き飛ばされそうになるが毛をわしづかみにして耐える。
この肌触りは手放せない。
しかし……ウェンディゴほどでは無いが、やはり馬鹿力だな。
本気で殴られたら頭もげそうだわ。
爪もよく見ると結構えぐい形をしている。
死んだテイマーのボロボロの体や、そのあたりに散乱していた異様に損傷の激しい敵兵の残骸を思い出す。
「あぁっ……俺のもこもこがっ……」
などと考えていると、急にクリスティーヌがしぼんでしまう。
だが手足はクマのままだ。
部分的にも変えられるのだろうか。
アンと違っていろいろ自由だな……。
「ふぁぁ……、これ……お腹へるよぉ」
「なんかアンより簡単に戻れるんだな。しかし……クマの姿は燃費が悪いのか? まぁそれでも心臓が必要ないのは良いな」
「ねぇフー、お昼ごはんにしましょうよ。クリスティーヌ、あなたはさっきまで死にかけてたんだから、無理しなくていいのよ。楽な姿に戻りなさいね」
「いいのぉ~、フー?」
「今は別に構わんよ。飯食おうぜ! おいゼットいつまで考え込んでるんだ?」
「うん? ああ、すまんな。寝とったわ。魔法使ったもんで疲れたんじゃなぁ」
「ほんとかよ……爺さんも自由だなぁ。まぁ飯作るから手伝ってくれ。あと魔人とやらについても教えてくれよ」
「ああ! そうだそうだ、魔人だったな。まぁ飯を食ってからにしようか!」
「フー、あなたが集めてきたローブ、ひとつ貰うわよ。クリスティーヌにつけてあげましょう。裸じゃ可哀そうよ」
「はいはい」
皆で昼食の支度にかかる。
確かに、もう昼はとっくに過ぎているはずだ。
戦闘では大量に血を失ったし、俺も少々疲れた。
うまい飯を食って力を付けたい。
それにクリスティーヌにたらふく飯を食わせれば、一晩くらいクマの姿が維持できるかもしれない。
どうせ眠れないだろうが、あの毛皮に包まれるのは暖かく心地よさそうだ。
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