第8話 アナグマ
「なんかいろいろ潜んでるみたいだが……襲い掛かってはこないなぁ」
「そうね。美味しそう」
「よく食うねぇ……で、どいつの心臓が食いたいんだ?」
「なんで心臓?」
「え、いや……え?」
「え?」
この辺りの森は土が良いのだろうか。
動物やモンスターの気配が多い気がする。
ただ、襲い掛かってくる様子はない。
こちらの様子をうかがいつつも、じっと息をひそめている。
ひとりで洞窟を徘徊していた時は、小鬼たちは問答無用で襲い掛かってきた。
間違いなくアンのせいだろう。
実際ウェンディゴは間違いなくこの森の頂点であり、最強の捕食者だ。
今日、俺が知るだけでも三十一個の心臓を食っている。
そんな彼女が美味しそうなどとつぶやいているのだ。
警戒心の強い動物などは言うまでもなく、たとえモンスターであったとしても震えあがっているだろう。
それにしてもよく食う女だ。
そう思い声をかけるがどうも話がかみ合わない。
まだ心臓が食べたり無いのかと思ったが、何か違ったようだ……。
「いえ、動物のお肉を普通に……」
「美味いから心臓食ってるのかと思ってたが……ウェンディゴとしての習性か何かなのか……」
「心臓を食べるのは……どうしてかしら? そう……多分気分の問題ね」
「気分……」
「お腹が減ったら……それは……、普通にお料理したものを食べたいわ」
「ああ、そうなのか……」
「ええ……そうなのよ」
「だが確かに、少し腹が減った気もするなぁ~。何か捕まえて食うか」
「私はヘラジカのお肉が好き」
「まじかよ……。角ならあるぜ?」
「それ私の頭から落っこちたやつでしょう? ……どうするのそんなもの?」
「売れそうじゃないか?」
「そう……私の角……、変な気分だわ」
アンはヘラジカを食いたいらしい。
たしかにヘラジカの肉はうまい。
背中の肉とレバーなんか最高だ。
とはいえめったに捕れるようなものでも無いし、そもそもウェンディゴ的にどうなんだろう。
共食いにならないのだろうか。
まぁ人の心臓食ってる時点でいまさらか。
ちなみにこいつの頭か落ちた大きな角は回収して持ってきている。
馬鹿みたいに重いが、確か特殊な薬や細かな道具になるので、それなりの値段で売れたはずだ。
見た目も無駄にカッコいい。
下手すると盗賊から集めた硬貨よりもいい稼ぎになるかもしれない。
アンは微妙な顔で自分の頭から落ちた巨大な角を見つめている。
「しかし罠も弓も無いからなぁ。いっそのこと大型の動物かモンスターでも襲ってきてくれると助かるんだが……。落とし穴でも掘るか?」
「あそこにアナグマがいるわね」
「え? アナグマ!? おいおい、最高じゃないか! 本当か!?」
アンがフラフラと道をはずれ歩いていく。
五十歩くらい移動し、大きな木の前で止まる。
くるりと振り向き、人差し指を立て俺の視線を集めると、そのままクイッと根元へ誘導する。
小さな穴がある……。
「ここ」
「良く見つけるなぁ~。よーし、どれどれ……う~ん、――いててっ、かまれた! くそっ、こいつ……逃げられた!」
「あら? こっちの穴から出てきたわ」
穴に手を突っ込んでゴソゴソとほじくりまわしていると、なにかに指先を噛まれた。
煙で燻し出してやろうかと考えていると、別の穴から出てきたアナグマの背中を、アンがひょいと摘まみ上げた。
素早いな……。
「生意気なアナグマだ……。だがこいつは丸々と太って毛並みも良い……ずいぶんと美味そうじゃないか! よし、俺が下ごしらえするから、火をおこせるか?」
「火……わからないわ」
「じゃあ枯れ枝でも集めておいてくれ」
「わかったわ……ごめんなさいね」
「いやいや、アナグマを見つけただけで十分な戦果だぞ!」
暴れるアナグマをアンから受け取り、僅かに悪魔の力を侵食させる。
すぐにアナグマは眠るように脱力する。
肉の解体にも悪魔の力が使えるな。
特に血抜きが簡単にできる。
水が自由に使えない状況でこれはありがたい。
とはいえ、あまりいじくりまわすと食欲が失せる。
それにアナグマの解体ならば、この手がしっかりと覚えている。
盗賊から回収したナイフを使い、毛皮を剥ぎ取り、内臓を取り出す。
脂が多い……これはうまそうだ。
後はなにか野菜もあればなぁ……。
「フー、これ食べられないかしら?」
「ん~? おお! アン、お前最高かよ! その茸、毒はあるがクソ美味いんだ! 昔は命懸けで食ってたが……まぁ~今の俺達なら食っても問題ないだろう、へへへっ」
「ふふふっ……そうね。採ってきてよかったわ」
薪を集め戻ってきたアンが、少し不安そうな顔でオレンジ色の傘の茸を見せてくる。
かなり珍しいものだ。
毒があるので基本は食わないものだが、ギリギリ死なない程度の毒で、尚且つやたら美味いので、この季節になるとよく馬鹿が食って寝込むことになる。
つまり俺のことだが……、この体ならばなんとかなるだろう。
それにしてもアンは食材を見つける天才かもしれない。
もともと森で暮らしていたので、色々と詳しいのだろうか。
丸々と太ったアナグマにキノコとは豪勢だ。
はやる気持ちを抑えつつも、大急ぎで火をおこし、盗賊から回収した鉄鍋を熱していく。
脂身のたっぷりついたアナグマ肉を放り込むと、肉が踊るように脂が弾ける。
「たまらんなぁ~! あんまり覚えてねぇが、飯を食うのは久しぶりな気がするわ」
「そう。私は……どうなのかしら。よくわからないけど……、でもこれはとっても美味しそうね」
「よしよし――! いいぞ、取り分けていくから適当に食っていってくれ。しょうもない盗賊だったが、スパイスやら塩やらせしめられたのは運が良かった!」
「んっ――、おいし」
「うっは、うんめぇな!」
悪魔に食って食われてしていたが、いやいや……食事とは本来こういうものだよな。
アンは上品に口元を抑えつつ食べているが、自然に口角が上がるのを止められないようだ。
さっきまで生きた心臓を丸かじりしていた奴にはとても見えない。
「脂が甘いなぁ~。よし、キノコいくか……。毒あるから、アンは無理して食うなよ。俺は……まぁ馬鹿だから行くぜ!」
「私も……食べるわ」
キノコを裂いていくと独特の香りが広がる。
鉄鍋へ放り込むと、アナグマの脂を吸いながら綺麗な焼き色を付けていく。
「さぁ、食おう。完ぺきな焼き上がりだ」
「いい香り……」
「ああ~これこれ、この香りと味な。アナグマの脂と合うなぁ~! 今まで食った中で一番うまい食い方かもしれん」
あっというまにキノコを食いつくし、残りのアナグマ肉を二人で奪い合うように食べていく。
手も口も止まらない。
最初は上品に食べていたアンも、いつのまにかあばら骨に齧りつくように肉をこそげ取って食べている。
そんな食べ方をしていてさえ、相変わらず上品さはまったく損なわれてはいないのだが、それゆえにむしろ、たまに口元から覗く白い歯や赤い舌、アナグマの脂に濡れた唇が、何とも言えない妖艶さを感じさせる。
しかし……そんな様子さえ冷静に観察できてしまう自分が悲しいな。
「ああ、とっても美味しいわね。もっとお肉も食べたいわ。――あら? 馬鹿な狼が集まってきたみたいね」
「あ~? 狼? ああ、黒狼かぁ……めんどくせぇなぁ」
どうやら久しぶりの料理に夢中になりすぎていたようだ。
アナグマがうますぎたせいだ。
森の狼どもが集まって来た。
パタパタという小さな足音がそこらじゅうの茂みから聞こえてくる。
数匹程度であれば、アナグマの骨くらい恵んでもやらんでも無いが――、どうやらそう言う状況でも無いようだ。
もうこの群れはアナグマの骨などでは満足しないだろう。
俺達を食い殺す気だ。
もう少しアナグマ肉の余韻に浸りたかったのに腹立たしい。
そんなことを考えていると、アンがローブを脱ぎ捨て裸になる。
「アン……ご機嫌斜めだな」
「せっかくの食事を邪魔されるのは……不愉快だわ」
「こいつらは黒狼だ。肉はまずいから、遠慮はいらんぞ」
「ええ……、ワカッテイルワ――」
ウェンディゴの姿に変身したアンは、相変わらず人間離れした跳躍を見せる。
周囲に黒い土と落ち葉を大量に巻き上げながら、狼達をその剛腕で引き裂くように殺していく。
随分とご立腹だ。
狼達の悲痛な叫びが森中に響き渡る中、おれは食事の片づけに集中する。
水が無いので何をするにも不自由だな。
灰を振りかけ、ぼろ布で汚れをふき取る程度しかできない。
アナグマ美味かったなぁ……。
ナイフや鍋を一通り綺麗に磨き終えるころには、すっかり辺りは静まり返っていた。
顔を上げると、アンがウェンディゴの姿のままこちらを向いて、ぽつんと立ち尽くしている。
表情など浮かべようも無い骨面のはずだが、こころなしか少ししょんぼりとして見える。
「フー、ドウシマショウ……モドレナイワ」
「えぇ……、やっぱ人の心臓食わないと戻れないのか」
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