第23話
猛は日本兵に刺された足を引きずり、普段の倍ほどの時間をかけて村に帰った。そうして訪ねたのはクルボのもとだ。
「クルボ、力を貸してくれ」
傷ついた猛を見た彼は驚き、「猛のために力になろう」と力強く言った。
「……まずは傷の手当てを」
胸からの出血は止まっていたが、足の傷は深く、じわじわと血が
「ありがとう、クルボ」
臭いだけでも胸が悪くなるのだから、それを口に入れたクルボの不快感はいかばかりか。
「気にすることはない。友達だろう? この傷はどうした?」
「そうだ。俺たちは友達だ。……クルボ、もう一つ頼みがある」
猛はスコップを借り、クルボを連れてあの遺体のもとに戻った。骸の皮膚は青黒く変わり、既に小さな虫が集まりだしている。側に屈み、遺体を確認したクルボが猛に目を向けた。瞳には戸惑いが映っている。
「頼む。その男を葬りたい」
猛が手を合わせると、彼は覚悟を決めたように小さくうなずき、大地にスコップを突き立てた。ジャングルの黒い土は柔らかだが、木の根が網の目のように伸びていて掘るのは易しくない。
クルボが穴を掘る側で、猛は遺体を見つめていた。……自分を追ってジャングルを抜けてきたこの兵隊も大変な苦労をしたことだろう。戦力にならない二等兵など、「見つからなかった」といって途中から帰れば良さそうなことだった。上等兵の上官だって形式的にやっているだけで、見つかるはずがないと思っているはずだ。
しかし、見つけずに帰れば、命令違反で懲罰を受ける可能性はあった。もし、この上等兵の上官が猛をなぶっていた中尉ならば、一時間は殴られる覚悟が必要だろう。それでもジャングルを彷徨するよりは、命に係わるリスクは小さい。それを真面目にここまで追跡して、逆に殺されてしまった。
「真面目さゆえの死だ」
クルボが穴を掘る手を止めて猛を見た。言葉の意味を理解できなかったのだろう。
「軍隊とはそういうところだ」
猛は言い直した。
クルボは納得したわけではないだろう。しかし彼は「そうか」と応じて穴掘りの作業に戻った。
猛は思い立ち、遺体の胸元をまさぐって認識票を探した。葬る前に、彼の名前を知っておこうと思った。それが殺したものの責任だろう。真鍮製のそれには〝
クルボが浅い穴を掘り終えてから、二人で死体を穴の中に寝かせた。
「これはどうする?」
クルボが坂田上等兵の銃剣を手に取った。彼がその銃を欲しがっているのが分かった。しかし、それをクルボに渡すべきではないと思った。
「万が一見つかったら、村の誰かがこの兵隊を殺したと思われる。埋めてしまおう」
猛はクルボの手から銃を取り上げた。銃弾だけは抜き取ってポケットに入れた。
「坂田上等兵、餞別だ」
そう告げて歩兵銃を穴の中に放り込んだ。兵隊の命より大切だと教えられたそれを投げたことで、何かを吹っ切れたような気がした。
「きっと、この兵隊も喜んでいるだろう」
そう言うと、クルボが首を傾げる。
「殺されて喜ぶのか?」
「いや。銃を返してもらったからだ」
「日本人の理屈は難しい」
猛の言葉を理解できないクルボが土をかぶせ始める。
「日本軍では、兵隊よりも銃を大切にするのだ」
クルボに説明した。
少しずつ土に覆われる遺体を見ながら、目の前にいるアメリカ軍にではなく、逃げ出した一人の弱兵に向ける日本陸軍の執念というか敵意を、不思議なものに感じた。そのことはクルボに聞かせたくないと思った。
坂田上等兵を葬った場所に、猛は人の頭の大きさほどの石を置いた。どこにでもある石だ。それが墓石だった。
その墓に向かい、猛は痛む脚を曲げ「南無阿弥陀仏」と三度となえた。
「俺は村を出たほうがよさそうだ」
猛が話すとクルボが顔をゆがめた。
「村を出る前に、その傷を治さないといけない。傷に虫が付けば、命が無い」
クルボが猛の胸と太ももの傷を指して言った。
彼の気持ちは嬉しかったが、猛は決意を変えるつもりはなかった。
村に帰って小屋で横になると、マユが駆け込んできた。クルボに怪我をしていると聞いたようだった。彼女もクルボ同様、薬草を噛み潰して嫌な臭いのする傷薬を作った。
「ありがとう」
猛は心から礼を言った。それは傷薬を作ってくれるからだけでなく、これまで世話になったことに対する感謝の気持ちだった。
薬を塗られた時、ひどい痛みを感じて「ウグゥ」と呻いた。太ももの傷は深く、草の汁と血の混じったものが流れて床を汚した。
「まだ、歩くのは無理だよ」
マユが引き留めるように言った。
「マユもクルボも良い人だ」
猛は素直な気持ちを告げた。彼女たちと別れるのは辛かった。
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