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  • 第55話への応援コメント


    遅ればせながら拝読いたしました。とある不思議な宝物(と呼ぶべきか魔道具と言うべきか)に関わった人々の、長大な年月にまたがる数奇な物語の短編集とでも称すればいいのでしょうか、個々のストーリーの心理描写が実に緻密で、かつ各話の時代の空気と言ったものも雰囲気がよく出ており、明日乃さんの本作にかける気合のようなものも感じられて、なかなかに読み応えのある作品でした。

    先に、ちょっと長くなりますが、ここまでの語句等で気づいた変換ミス等を。

    第10話 首筋から背中にかけて固く晴れたしこりがあり、
      >腫れた

    第18話 もう、自由にしてあげもいいのではないか?
      >あげても

    第22話 猛を見下ろし、彼は繰り返し、猛を思い軍靴で蹴った。
      >重い軍靴で

    第27話 「准教授」という語句が出てきますが、この用語は2007年から使われるようになったという話ですので、時代に即した言葉にするなら「助教授」かと。

    第34話 この回で初めてこれまでの舞台がインドネシアであると明かされるわけですが、第11話に「マレー語、タガログ語」という語句があり、そういう言葉を想起するということで、私はフィリピンが舞台かと思っていました。まあこれは、主人公が東南アジア各地を転戦してきたものと解釈してもいいのですけれど、問題なのは、第二次世界大戦ではインドネシアに米軍が上陸して基地を置き、同地の日本軍を壊滅させた、ということは起きていなかったということです(私も先ほどあれこれ調べて確認できた次第 w)。というわけで、修正するとしたら、やはりフィリピンにしておくか、いっそのこと「ある南の国」で押し通すか。

    第42話 棚橋母娘のように携帯電話の電源を切り、拡声器の音も届かない場所に住んでいた住人の非難は遅れていた。
      >避難は

    第44話 父親の感心が母親に向いて、
      >関心が

    第47話 あるいは、一人の男を数百数千年半を生かし続けた。
      >数百数千年間生かし続けた。?

    第48話 驚くほどの易しさのために、
      >優しさの


    さて、本作の中心になるガジェットは、言ってみれば「なんでも願いが一つ叶う道具」で、第一章ではその神話的なありようがまさに神話のような語り口で、哲学的、あるいは神学的と言ってもいいような問題に踏み込みながら、一種突き放した視線でもって語られます。
    さてはここから欲と財にまみれた、哀しくも享楽的な人間模様の数々が展開されるのか、と思いきや、続く三つの物語は全然そんな方向でなく、ごく普通の人の個人的な願いにまつわる話ばかりが続きます。結果、たとえば猛の章では「自分が願ったせいで大量の戦死を伴うかたちの敗戦に至ってしまったのでは」と主人公が悩んだりもして、それなりにスケールの広がりも感じさせるんですが、かといってそこから戦争のやり直しとか歴史の書き換えなどにはつながらず、"希望の書"を巡ってはどこまでも一個人の内省的な自己問答が続きます。

    これはこれで意欲的なアプローチだと思います。下手をすると宇宙を作り変えられるかもしれない魔法具を手にしても、あくまでプライベートな願いをぶれることなくつぶやく人々――下手をすると喜劇すれすれの展開を、正面から肯定的に描くという試みは十分共感できますし、かなりのところ成功してもいると思います。

    が、一つの作品として見た場合、何かしら手放しで絶賛するのをためらわせる要素があるように思われてなりません。ゆるい連作短編として見た場合はそうでもないんですが、長編と読むと、何かこう……各章でのスケール感に整合が取れていないような気がすると言いますか。

    こう書くとあまり心楽しい気分にはなられないでしょうが、最後の章では震災小説としての色付けにやや傾き過ぎたような気がします。繰り返しますが、この章だけのストーリーであるならば、もしくはこの章を中心に据えた全体構成であれば、かなり印象は違ってくるんですけれど、序章に続けて1945、1984(オーウェル、あるいは村上春樹へのオマージュ?)、と続けてのこの話だと、トータルの論旨が合ってるようでどこかずれてしまってるような。

    一つには、ある日本人の一族の物語でありながら、一世代分がまるまる伝聞情報ばかりになってるので、なにやらわかりにくいところができてしまってる、というのもあるかもしれません。1984と2011の間に、短くても学さんの話が入ると、だいぶんわかりやすくなったのではと想像しました。

    そういうわけで、たぶん書き手の狙い通りなら強烈な印象を残したはずのラスト一行も、なるほど、とは思ったんですけど、「いや、でもこれでオチてるのかな?」という疑問がちょっと残りました。まあ反面、最後の最後に「原発のない安心して暮らせる世の中にしてください」などと願ったりしたら……それはそれで別の話になってしまうような気もしますね……。


    なにはともあれ、語ろうとしたこと自体はわかるつもりですし、前述したように、これだけのガジェットを前にした市井の一市民の、匿名的・普遍的な人間性というものも活写されていて、一種の人間賛歌的な小説にもなりえているとは思います。

    はっきり連作奇譚集ということにして、もう何人かダメダメな人生になった人なんかも交えた形で章数を延ばし、最後に今回の2011を持ってきたら、あるいは……などと考えたもしましたが、まあ湾多が文字数を増やしたがるのはいつものことなので 笑、聞き流しつつ、参考にしていただければと思います。


    連載完結、お疲れさまでした。めくるめく展開、という物語ではないですけれども、読みだしたら一気に最後まで行きついてしまう、読み手を引きこむ物語でした。

    作者からの返信

    湾多珠巳さま、コメント並びに誤字の指摘、ありがとうございます。
    この物語、原発事故と、最近の原発への回帰現象への、私の思いをつづったものです。
    神の呪いにも似た数億年もの影響が残る放射性廃棄物。そのリスクを知りつつ崇める原発村の人々……。危険性がないかのように布教する政治家や発電企業……。
    人の欲は神を利用し、もてあそび、時に神を殺す。一人の欲得が、世の中にどうした影響を及ぼすのか……。(最近、トランプ大統領の発言に振り回される世界にも絶望すら覚えます)

    第二次世界大戦、インドネシア。アメリカ軍がかかわった戦闘はボルネオ島での一時期でしたね。ご指摘ありがとうございます。
    猛の派遣先はフィリピンでもよかったのですが、インドネシアを持ち出したのは、故中曽根元総理がそこで慰安婦の調達をしていたからです。小説の中では慰安婦は書きませんでしたが、当時の日本軍が遠い場所でどれほどのことをしてきたのか、それは小説の主人公たちが原発事故の被害者というだけでなく、歴史の加害者であるということも表したかったから……。まぁ、ご指摘の通り、うまく書けてはいませんでしたが。
    攻撃してくるのが当時ボルネオ攻撃の主軍、オーストラリア軍でも構わないのです。あるいは、おしゃる通り、場所をフィリピン南部の島としても物語としては問題ありません。そこは、私の頭の中で整理がついたら、書き換えましょう。

    学の話……彼は、この世界から消え去ることを願って失踪してしまった。正直、それを書けませんでした。それは何を隠そう、自分自身の気持ちだから。面倒くさいこの世の中からさっさと消えてしまいたいとも思うのですが、残された家族のことを思うと、それも行い難く……。それでこんな小説を書いていたりします。(;^_^A
    というわけで、機会があったら、書き直すこともあるでしょう。今は、これが限界です。
    読んでいただき、ありがとうございます。