ダブルテイル・ブラックウルフ
甘味感
第1話
起伏の激しい荒野を6台の魔動車が隊列を組みながら進んでいた。
そこは荒野の中でも街道と呼ばれ、街と街を繋ぐ比較的安定した道である。そのため速度を上げても横転する気配はなく走りやすい。地図に明記されている交通網の1つだ。
先頭を走る魔動車の中で、男はハンドルを片手に欠伸を1つ噛み殺す。
時刻は昼の一時。太陽は雲に隠れたり、現れたりを繰り返している。車の内部では車内温度をコントロールする魔法具により心地よい温度が保たれており、車窓から見える荒野の熱とは無縁であった。
先ほどの休憩で口にした昼食が腹を満たしていて、そのうえ代わり映えしない風景が続けば眠気を覚えてしまうのも無理のないことだ。
しかし気を抜くことは許されない。
男の運転する魔動車は後部座席が運送用に作り替えられたものであり、大型だ。いや、そもそもこの隊列を構成する6台の内、最後尾を走る2台を除き全てが運送用の車体だ。
運送という名前の通りに4台の魔動車のどれもが売り物となる物品を大量に抱えている。だからこそ、そんな金のかかった隊列の先頭を走る者が気を抜くなど許されることではない。
だが、眠いと思うことを誰が咎められようか。
男は一向に消えない眠気に仕方なく、車内温度をコントロールする魔道具への魔力供給を切った。そしてそれから嫌々ながら車窓を開けることにした。
熱波が顔を叩く。
暑さに思わず顔をしかめるも、しかしこれで鬱陶しい眠気は消えてくれるはずだと男は満足げだった。
だがそんな淡い考えはシャボン玉のように儚く砕ける。
満腹感と代わり映えしない風景という悪魔のコンビには、暑さすらも良いスパイスにしかならない。
眠気に対して徐々に苛立ちが募るが、それでも眠気はどこにも行かない。男をおちょくるように目の前でヘラヘラと笑っている。
やがて男の苛立ちが車速に現れてきた。
魔動車に供給する魔力量が増え、いくら整備されている街道と言えども揺れを無視できないほどの速度になってしまった。
すぐさま男はハッとなり、速度を緩めると同時に後方を確認した。
男が先頭を進んでいるのは後方の2台を除く、4台の魔動車を運転する者のなかで最も魔力容量が大きいためだ。
魔動車は魔力を動力として動いているため、多くの魔力供給が行える人物、つまり魔力容量が大きいものほど速度やパワーを出せる。
だからこそおもむろに速度を上げた結果、隊列から大きく離れたと思ったのだ。
サイドミラーから見える後方では、少しだけ小さくなった後続車両の群れを視認できた。
そのことにホッと一息をもらすも、しかし何故か違和感のようなものを覚えた。
眠気が急激に冷えていく、そしてその代わりに男の胸中では言い様のない漠然とした不安と焦燥感がとぐろを巻き始めていた。
その正体がなんなのかは分からないが、少なくとも良いことは起こらないとだけは分かる。
男の行動は早かった。
ただのカン。大した根拠もない。しかしそれでも男には迷いはなかった。
助手席の全てを占有してしまっているほどに大型の、通信用の魔道具に手を伸ばす。
確かに男の行動は早かった。しかし───
『ボギー!ボギー!!バンディット!!バンディット!!』
迫り来る悪意の方がより素早かった。
通信魔道具からの音声は、最後尾を走る契約傭兵のものだった。
『こちらチャプター!最大速度で振り切るか?』
男こと──チャプターはそう質問しつつも、内心ではもう無理だと気付いていた。なぜなら、通信魔道具から聞こえる音声に酷いノイズが走っているからだ。
通信魔道具は、場の魔力が安定していなければノイズが走る。だから答えはチャプターの予想通りに最悪であった。
『無理だ。既に魔力弾による攻撃を受けている!』
繰り返しになるが、魔動車は魔力の供給量によって速度が変わる。
だからこそ、1度魔力弾の射程に入った後で逃げ出すことは至難である。なぜなら魔力弾による攻撃を防ぐために魔力幕を張らなくてはならないため、そこに魔力を割かれ魔動車に送る魔力が減るためだ。
チャプターはどうするべきか判断するために更に質問を重ねる。
『こちらチャプター。バンディットの数を知らせ』
『数は7!中に少なくとも2名は乗っている!戦闘は不可能!デードの車両を守りチャプターまで先行させる!こちらは遅滞戦闘に移行する!』
返答は早口で焦っており、余裕がなかった。
契約傭兵は4人組だ。2人ずつに別れて2台の魔動車を運転しており、デードというのは狙われていない方の、通信していない方の魔動車を運転している傭兵の名前だ。
『こちらチャプター。ネツエラ、貴君らに幸運を』
逃げ切ることも不可能だと言うことだろう。契約傭兵──ネツエラは遅滞戦闘に移行すると口にした。
戦闘は不可能だと、勝てないと口にしていながら、遅滞戦闘に移行すると言ったのだ。自らの命より、チャプターらの生存を優先したのだ。
本来、このような状況に陥った場合、高確率で傭兵は依頼主を切り捨てる。別に非情という訳ではない。誰だって命は大切だ。命あっての物種という言葉があるほどに普遍的な考え方だろう。
しかしネツエラはそれをしなかった。
理由は単純に、チャプターらと彼らが仲間であったからだ。
良い契約内容は良い傭兵を呼び寄せ、やがて必然的に良い関係で結ばれ、その良い関係性は長期の契約に表れ、長期の契約は強固な仲間意識を作り上げた。
チャプターの質問も本来ならばしなくて良いものであった。
契約傭兵が攻撃されたとて、チャプターらには関係なく、そのまま無視して走り去って良かったのだ。それが傭兵の仕事であるのだから当然のことだ。
だがチャプターは切り捨てることは出来なかった。先のネツエラと同じように。
『こちらネツエラ。明日の名酒を願うとする。さらば』
形式張った戦争で使われるような言葉をチャプターが彼らに掛けたからだろう。ネツエラも襟をただしたような畏まった声で、そんな言葉を告げた。
チャプターとネツエラは種族が違う。
チャプターは鹿の角を生やした角のビークス。デウルである。そしてネツエラは猫の耳としっぽを持った爪のビークス。カノークスだ。
同じビークスではあるが習慣が違う。そのためチャプターには、ネツエラの言葉の深い意味は分からない。しかし今際の言葉であることを悟った。
ネツエラは最後まで誠意を見せた。デードを向かわせ、自らは遅滞戦闘を行うと口にした。ならば必ず生き残らなければならない。
『こちらチャプター。聞いていたな?シグマ、アードモア、シャスティル。全速力だ。絶壁は必ず踏破する。逃げ切るぞ』
隊列の残り3名からの力強い返事を聞き、チャプターは魔動車の魔力吸引ペダルを深く踏み込み、魔動車に注ぎ込む魔力の量を増大させた。
魔力はどこにでも存在している見えない力だ。
それらを肌から、呼吸から、食べ物から身体に取り込んでいくことで体内の魔力として操作可能な魔力に変わる。
その魔力吸収量は個々人により異なり、基本的に魔力容量が大きな者ほど吸収量も大きくなる。
魔動車を動かすのに使う魔力は、基本的に吸収量と釣り合いが取れるだけを使う。
だが、今回はその基本から大きく外れている。そのためチャプター以外は全ての魔力を魔動車に注いでいた。
ぐんと速度を上げた魔動車は1台だけを取り残し10分近く走り続けた。
チャプターの横にはいつの間にか契約傭兵のデードが運転している魔動車が並走していた。
チャプターだけは他の3人より魔力容量が大きく、余裕がある。あまり速度を上げると他の面々と離れてしまうため、魔力を残していた。それを遊ばせるつもりはない。チャプターは通信用魔道具に手を伸ばす。
『こちらチャプター。デード、バンディットの追跡確認を願う』
『こちらデード。了解。速度を落とし確認──前方!バンディット!』
チャプターは即座にその声に従い前方に視線を向ける。
すると魔動車をバリケードにして道を塞ぐようにしている人の群れが目に映った。
チャプターは横にそれて避けるかと考えるが、その瞬間には手遅れであった。
チャプターの運送用魔動車の横腹に1台の魔動車が追突した。
それは容易く魔動車を横転させ、隣に並走してデードの魔動車にもぶつかった。デードの乗った魔動車はバランスを崩し街道から逸れてチャプターの魔動車と同じように横転した。
後続に続いていた3台の魔動車は追突こそしなかったものの、速度をゼロまで落としてしまった。
それを見逃すほど敵対者は優しくなどない。横転したチャプターを含めた4台を瞬く間に取り囲んでしまい。魔動車から降りた数名は口元を歪めていた。
横転した魔動車の中からチャプターは彼らの姿を睨む。
数は目に見える範囲だけでも4名。包囲の形からして少なくとも後2名はいるように思えた。
デードらが無事ならば数の上は互角だが、如何せんチャプターらは魔力を使いすぎた。まともに戦えるのは余裕のあるチャプターと傭兵であるデードとデードの同乗者だけだろう。
仮にチャプターらが魔力を減らしていなかったとしても、戦闘経験というものはどう足掻いても埋められない。
チャプターは魔銃を放つ程度の戦闘しか経験がないのだ。それは傭兵を除く4名全て同じである。
終わったと確信するには充分すぎるほどに絶望的な状況であった。
現状をどうにかするために、現状を正しく理解すると、思わず笑いが起こった。
これらは計画的なものであったのだろう。初めから手のひらの上で踊っていたのだ。これは大規模かつ周到な計画。
ならず者の組織として規模が大きすぎる。
ここまで大きなならず者組織ならばしっかりと討伐しろと、この領地を管理する貴族に恨み言をチャプターは心の内で吐き捨てる。
そんな風に他所に思考が逸れるほど目の前は真っ暗だった。
そんな暗闇を1台の車が横切った。
ド派手に、馬鹿馬鹿しいほどにド派手に、1台の魔動車がチャプターの前にいた4名の内2名を轢いた。
「は?」
やがてその魔動車は少し遠くで停止した。
そこから1人、真っ黒に塗り潰された男に見紛う女が降りた。
女の髪は黒く頭の後ろで長髪を結びポニーテールにしている。
その瞳は青く、冷たく、熱量を感じさせぬどころか、奪い取ろうという気迫すら感じさせるほど鋭い。
そしてなにより目立つのは頭に付いている2つの耳。それはピンと立っており、黒髪も相まってその人物の種族がなにかを教えてくれる。
それはかつて、あまりの強さから恐れられ、徒党を組まれ、国を消された種族。
近縁種からも別物として扱われ嫌われている種族。
狼の耳と尻尾を持った。黒のビークス。ギーツ。
その場の全ての視線を受けて黒のコートが風で靡いた。後ろで黒い尻尾が左に流れ、それと同時に頭のポニーテールも流れた。
荒野に2つが尾を引くと、誰かが怯えたように口を開く。
「ダブルテイル……」
それはここ2年で傭兵たちに広く浸透したコードネーム。
それは傭兵ではないチャプターすら知っている存在。
それは子供を寝かしつける時のお伽噺。
2尾の黒狼。
もちろん、チャプターとて目の前にいるソレがお伽噺の中から出てきた存在ではないことは分かっている。
分かっているのだが、恐れないということは不可能だ。
なぜなら、その2尾の黒狼がお伽噺の中から出てきた訳ではなくとも、お伽噺の中で語られるようになった存在であることに違いはないのだから。
お伽噺になった存在。
無論本物ではないのだろうが、目の前にいるソレも偽物ではない。紛れもなく黒のビークスで、紛れもなくギーツである。
チャプターより先に限界が来たのはならず者であった。
彼らはチャプターら一行を囲うことを辞めて、遠くからゆるりと歩いてくるギーツに対して警戒網を引いた。
刻一刻と、一歩一歩、ソレが近寄ってくる。
そこでならず者の中から1人の男が声を上げた。
男はチャプターと同じ角のビークスで、同じデウルではあるが、鹿ではなく牛の角を持っている。
「落ち着けテメェら!群れてねぇ狼なんぞ恐れるこたぁねェ!それに良く見ろ!上玉だぞ!胸はねぇが面は良い。首輪付けて飼い慣らしてやるぞ!」
きっと奴らならず者のボスなのだろう。この言葉で及び腰だった他の面々に余裕が戻ったように見えた。
チャプターは内心で彼らを嘲り、嗤った。
先ほどまで子供のように怯えていたというのに、今では好色そうな下卑た笑みを浮かべている。学のない変わり身の速さはいっそ清々しいものだ。
ボスの言葉遣いもそうだ。あまりにも下品で聞くに堪えない。
チャプターは知らず知らずに、自分がどこか遠くから見ている傍観者のような気持ちになっていた。
それこそお伽噺を聞いているように。
2尾の黒狼。呪われた狂気。目につく限りを殺し、同じ種族すら殺す。明らかに破綻している王族。同族に冷たく、他者に冷たく、どこまでも冷徹に命を奪い続ける黒い狼。子供を好き好んで殺すという悪魔のような悪魔。
尻尾が2つあったという伝承がそのままお伽噺の名前になった。
「撃てェェェ!!!」
チャプターがぼうっとしている内に戦いが始まった。
どうやら魔力弾の射程圏内にアレが足を踏み入れたようだ。
魔力弾は魔法を持たない者でも扱える基本的な遠距離攻撃だ。仕組みは単純。体内の魔力を1点に圧縮して放つだけ。魔銃さえあれば子供でも扱えるシロモノだ。
だからこそ、それに対抗する魔法も当然ある。
ソレは魔力幕を当然のように纏った。
魔力を身体の周りに纏う技術。それは布のように薄くどこか頼りないが、その効果は劇的で、魔力を用いた全ての攻撃を中和してくれる。
ソレの魔力幕はどうやら超一流といって差し支えないほどに洗練されており、幕切れは一切ない。
いつの間にか8名に増えていたならず者の掃射を全て消し去っている。
ハッキリ言ってならず者の魔力弾は効果はない。しかしならず者は魔力弾を撃つことを辞める気配はない。
それは当然のことで、8名の魔力総量とたった1名の魔力量を比べて負けるはずないという理屈があるからだ。
8名で削り切れないなどということはあり得ない。そんな笑顔が、自信が、彼らならず者の口元に表れていた。
やがてソレが緩慢な仕草で腰に下げた2本の剣の内1本を引き抜いた。
するとならず者の中で数名が少しだけ前に出た。
魔力とは血液のようなものである。体内にあればあるほど身体能力が上がり、逆に減れば減るほど身体能力が下がっていく。
魔力弾を撃ちまくった数名は近接戦闘など不可能だろう。だから少しだけ後ろに下がり、魔力量に余裕のある者が前に出たのだと、チャプターは呑気に分析した。
これから近接戦闘が始まる。
きっと魔力の削りあいが面倒なのだろうな、とチャプターは見た。
そう、既にチャプターはソレに勝って欲しいとは欠片を思っていなかった。どこまでも傍観者のように、非現実的に、他人事のように眺めていた。
魔力は基本的に半透明である。
限界まで圧縮して灰色に濁るということを見たことはあるが、一般的に半透明という認識があるほどに、魔力には色がない。
だからこそ、チャプターは目の前の出来事をやはりお伽噺のようにしか感じられなかった。
ソレは右手で握った抜き身の剣を腕ごと横に水平に倒した。
そして魔力をそこに圧縮し始めた。
白から灰。やがて黒く染まり始めた。
繰り返すが魔力とは基本的に半透明である。限界まで圧縮して初めて灰色に見える程度の色しか持たない。
それが真っ黒に染まるほどとはいったいどれ程の魔力が注ぎ込まれているのか。
剣は黒い閃光をバチバチと爆ぜさせる。
無理やり魔力を圧縮しているのだろう。
目の前で起こっている出来事に1人、ならず者が逃げ出した。
釣られてもう1人が背を向ける瞬間。
その魔力が振り抜かれ、解き放たれた。
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