第〇〇四話 訓練と馬車

 最近、俺の体調が安定してきたのを見て、父が嬉しそうに言ってきた。


「ルーシャス、少し体を動かしてみないか? 剣術の真似事でもいい。お前と手合わせするのが、長年の夢だったんだ」


 魔力の消費をある程度コントロールできるようになってから、家族と気軽に触れ合えるようになった。その喜びを隠しきれない父の、まるで少年のような笑顔を見てしまっては、断るなんて無理だった。



 ◆ ◆ ◆

 


 ――訓練場。



 木剣を両手で握る。硬く乾いた木の感触が手のひらにじかに伝わり、わずかに汗ばんだ指が滑りそうになる。ずしりとした重みが、まだ鍛えきれていない腕にじわじわと負担をかけてきた。握っているだけなのに、肩や肘がすでに軋むようだ。


「まずは構えからだ。足は肩幅に開いて腰を落とせ。剣は体の中心で構える。いいか、力任せに振るうな。剣の重さを使って、体全体で振るんだ」


 さすが騎士団を率いる公爵だけあって、父の指導は厳格そのもの。でも、その言葉の端々には、息子と剣を交えられる喜びと、俺の体を気遣う優しさがにじんでいた。


「足腰がまだだな。だが、筋は悪くない」


 そう言われても、情けないことに数分も経たないうちに息が上がり、額からは玉のような汗が噴き出す。


 でも、ここで倒れるわけにはいかない。俺は、スヴェルが父や騎士たちと訓練していた時の戦闘データを思い出した。脳裏に焼きついたその動きを、なまった体に重ねてイメージする。


 ――スヴェルの動きはこうだった……!


 ぎこちなかった俺の動きも、父の的確な指導とスヴェルのデータを元に、少しずつ形になっていった。


「ほう、様になってきたじゃないか。じゃあ、少し打ち合ってみようか」


 父が楽しそうに木剣を構える。


 放たれた軽い一撃を、俺は必死に受け止めた。カーン、と乾いた音が響く。一撃の重さに腕がしびれるが、歯を食いしばって耐える。


 数合打ち合ったあと、父がほんの少しだけ力を込めて斬りかかってきた。


「――ぐっ!?」


 次の瞬間、地面が跳ね上がったかのように視界が傾き、俺の体は吹き飛ばされ、地面を転がった。全身の痛みと、酸素を求める肺の苦しさで、視界がかすむ。


「すまない、ルーシャス! 少し力を入れすぎたか!」


 駆け寄ってくる父の心配そうな顔に、不甲斐なさがこみ上げてくる。


 俺は、土にまみれた体にむち打ち、震える足でゆっくりと立ち上がった。


「……まだ、やれます」


 その言葉に、父は一瞬驚いたような顔をしたあと、誇らしげに笑った。あの笑顔は、今まで見たどの父の笑顔よりも嬉しそうだった。


 その後の訓練は、俺が完全に動けなくなるまで続いたのだった。


 

 ◆ ◆ ◆



 その日の夕食。


 疲れきった俺は、腕すら上がらず、フォークもまともに持てなかった。


「ルシャ様、無理をなさってはなりません。リリーがお手伝いいたします」


 リリアナが心配そうに手を伸ばした、そのときだった。


「いいえ、リリアナ。その役目は母親である私がやるわ」


 いつの間にか隣に座っていた母が、にこやかにフォークを受け取り、俺に向かって差し出してくる。


「ルーちゃん、あーん」


 母がにこやかに微笑みながら、フォークをゆっくりと俺の口元に差し出してきた。


 普段は公爵夫人として気品を保っている母の、そんな無邪気な仕草に、思わず顔が熱くなる。


 周囲の視線が気になりつつも、逆らえば倍返しが待っていそうな気配に、俺は観念して口を開けた。


 温かい料理が口に入り、思わず小さく安堵の息が漏れた。味よりも、母の優しさのほうが胸に染みる。


 家族の温かさに包まれながら、俺はこのシャドウブレイズ領を守るためなら、何だってやってやろうと、改めて心に誓うのだった。


 

 ◆ ◆ ◆


 

 数日後、父と母、そしてアルカリオと一緒に、俺は屋敷の馬車保管庫を訪れた。


 目的は、馬車のゴーレム化実験だ。父の許可もすでに得ていて、アルカリオに改造を頼んでいた。


 目の前にあるのは、俺が領内を移動する時に使っている、四頭立ての大型馬車。貴族が乗る『コーチ』と呼ばれるタイプで、なんと俺専用だったらしい。


 ちなみに「コーチ」という言葉は、某ブランドやコーチングの語源でもあるらしく、「大切な人や物を送り届ける」が由来らしい。


「ルーシャス様、ご依頼どおり、改造は完了しております」


 アルカリオが馬車の上部を指差す。そこには、シャドウブレイズ家の紋章であるフクロウを模した、立体的なエンブレムが取り付けられていた。


「このエンブレムの目に、魔石をはめ込めるようになっています」


「見事な仕上がりだ。ありがとう、アルカリオ」


 さあ、実験開始だ。


「みんな、少し離れていてくれ」


 そう言って、俺は馬車にそっと手を当てた。そして、体内の魔力をゆっくりと馬車全体へと流し込んでいく。


 俺の魔力に反応して、馬車が淡い光を放ち始めた。見守る三人が息を呑むのが気配で分かる。


 魔力が十分に浸透したのを確認し、俺はあらかじめ用意していた詠唱を口にした。


 名前は神話で神の使いヘルメスが履いていたという、翼の生えたサンダルの名にする。

 

 ――我が手によって生まれし者。

 ――汝の名はタラリア、我が意志の下にあれ。

 ――汝に仮初めの命を与えし対価として我が魔力を汝に分け与えん。

 ――汝は我が命令を忠実に従え。

 ――我が敵は汝の敵、我が友は汝の友。

 ――秘められし力、今解き放たん。魔石の脈動、その身に巡り力と成れ。

 ――汝の眼は道を見通し、車輪は大地を掴む。

 ――禁断の果実、智慧の種子が汝の心に芽吹き、道の記憶を辿れ。

 ――その記憶は汝の内に根を張り、揺るぎなき轍となりて進め。

 ――風を切りて野を駆け、我が望む地へと滞りなく導け。

 ――束の間の命、定められたり。タラリアオトムの囁き、静寂を呼び眠りを与えん。

 ――今、汝の目を開け、汝の心を燃やせ。

 ――タラリアよ、汝我が呼びかけに応じ起動せよ。


 

 フクロウのエンブレムが、じわりと赤い光を宿し、まるで生き物の瞳のように煌めいた。直後、馬車の下で何かが軋むような音が響き、巨大な車輪がゆっくりと――だが確かに、自らの意思を持つように揺れ動き始めた。


 床板の下からは低く鈍い振動音が響き、まるで鼓動のように馬車全体が震えている。


 アルカリオが驚きに目を見開き、父と母は思わず息を呑む。周囲の空気が一瞬、緊張で張り詰めるのがわかった。


「タラリア、起動。五メートル前進」


 俺の命令に応え、馬のいない馬車は静かに、そして滑らかに前へと進み出した。


「おお……! 本当に動いている!」


「素晴らしいわ、ルーちゃん!」


 父と母が感嘆の声をあげ、アルカリオも職人の目でじっとその動きを見守っていた。


「乗っても大丈夫かい?」


 父の提案で、俺たちはタラリアに乗り込み、屋敷の周囲を一周することに。走り出すと、驚くほどの静かさと安定感。まるで最新のサスペンションでも積んでいるかのようだった。


「これなら、どこへでも行けそうだ」


 流れる景色を眺めながら、俺はそう呟いた。家族の笑顔に包まれながら、俺はまた一つ、新たな力を手に入れたことを実感する。


 この力があれば、きっと――


 まだ見ぬ未来に思いを馳せながら、俺はタラリアの心地よい揺れに身を委ねていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る