Scene.14 上津不動産
僕らはパーテーションに囲まれた席で息を吐いた。
外観も決して華やかとは言い難いが、事務所内も蛍光灯の明かりが心許なく、どことなく薄暗い。訪れたのは契約の時以来だが、質素を通り越し湿っぽい雰囲気なのは相変わらずだった。壁際の神棚も薄らと埃を被っている。
「……本日はどういったご用件でしょうか」
賃貸担当だという痩せぎす男性は、机越しにメモを取り出した。四十代くらいだろうか、猫背と落ち窪んだ眼窩がどこか陰気さを醸している。
「私たち、おたくの管理するステアハイツの住人なんですが」
「そうでしたか、いつもお世話になっております」
丁重に頭を下げる担当者に、美澄さんは端的に切り出した。
「実は下階の住民が……」
「騒音ですか」
「いえ、うるさかったんですけど、ここ数日静かで」
「それは……まあ、はい。良かったですね……?」
確かに首を傾げたくなるのも分かる。でも訴えたいのはそうじゃない。
「静かというか、気配がしないんです」
「……外出されているのではないでしょうか。ご出張やご旅行ということもあるでしょうし。お客様は、そちらの入居者様とご面識がおありだったのでしょうか。そういった長期外出の可能性はありませんか」
「そこは……知りません。朝、顔を合わせる程度でしたので」
男性は怪訝そうに数度瞬いた。一体この二人は何を言いに来たのだろう、とでも言いたげだ。彼は僕らのアパートで起こることについて何も知らないのだろうから無理もない。
どこからどう説明したら良いか、と顎に手を遣ると、取り込み中のパーテーション内に別の男性スタッフが割り入ってきた。
「……ああ、いま来客中だが、何かね」
彼は僕らの対応をしていた痩せぎすの男に耳打ちし、クリアファイルを手渡している。別のスタッフはそれだけで去って行った。
中身の資料を一瞥し、担当者は小さく唸る。
「本来、入居者の個人情報はお教えしない決まりなのですが……下階の方、というのはステアハイツ一〇三号室の方でお間違いないでしょうか」
「え、ええ」
「退去されてます。二日前に」
突然明かされた情報に、僕らは思わず顔を見合わせる。やはり何の前触れもなく、入居者が消えていた。
居住している僕らに――部屋が離れている僕はともかく、美澄さんに一切知られることなく退去することなど可能なんだろうか。
「……ずいぶん突然ですね」
「賃貸業界にはしばしばあることです。しかし退去されている以上は問題は解決したということでよろしいのではないでしょうか」
「その、退去理由とかって」
「……重大な契約違反があった、とだけ」
個人情報保護の問題があるだろうから多少なりと濁すだろうとは大方予想していたが、この口振りは何だか引っ掛かる。
机上で手を組んだ美澄さんは、訝しむ様子を隠さずに真っ向から担当者を睨んだ。
「引越した様子もないのに、急に人間だけいなくなるなんておかしいでしょ。前にいなくなった私の隣――二〇一号室の住民だってそう。契約に違反したら、貴方たちに消されるの?」
かなり踏み込んだ言葉に、隣に座る僕はひやひやしていた。
ビジネスライクに対応されているのはそうなのだが、彼女にとっては進展しない会話への苛立ちみたいなものもあったのかもしれない。何にせよ、いつも冷静な美澄さんにしては珍しい。
しかし担当者は手元の資料を数枚捲り、追及を受け流すように肩を竦めた。
「何か勘違いされているようですが、一〇三号室の方と同様、前回の二〇一号室の方もご自身のご希望で出て行かれました。それ以上は申し上げられません」
彼はそれだけ言って、口を真一文字に引き結んだ。
既に退去済みとはいえ、入居者の情報を明かすこと自体が規約に抵触するのだろう。その先はどれだけ追及しようと、満足のいく回答はなさそうだった。この調子だと僕の部屋の前の入居者について聞くこともままならないだろう。
同じく黙ってしまった美澄さんに代わり、僕は話題を変えて問い掛けてみる。
「……契約の時はあまり気にしていなかったんですけど、あの物件って僕が入居する前に何かあったりしていませんか?」
「何か……といいますと」
「その……誰か亡くなったり、とか」
僕にとっての本題はこちらの方だった。毎夜の如く見る悪夢は、あの部屋に起因する心霊現象じゃないのか。円さんも何かを視ているようだったし。
しかし僕の望みを絶つように、担当者は書類に目を遣り首を傾げる。
「書類上に記載はありませんね。そうした心理的瑕疵があれば入居時にお伝えすることになっていますので」
「僕、今の物件で続けて変な夢を見ることがあって……それで、何かあったんじゃないかと思って」
「そう……ですか。私どもとしましても、ご紹介した物件にご満足いただけないのは残念なことです。お住み替えのご相談でしたらお伺いさせていただきますが」
「あ……いえ、引越したいわけでは」
暗い眼窩を向ける担当者に、僕は慌てて首を振る。いま住み替えをすれば二十万円の違約金がかかってしまう。資料がその手にある以上、彼も把握しているはずだ。
物件に文句があるなら違約金を払って出て行けとまでは言わないのだろうが、言外にそんな意志も見て取れる。
「もう良いよ。行こう」
腹立たしげに短い溜息を吐き、美澄さんは席を立った。これ以上長居しても情報は得られないと感じたのだろう。僕としてもこの剣呑とした雰囲気に取り残されるのは勘弁してほしくて、その背を追うように席を立った。
パーテーションを出る前に振り向き、ひとつだけ聞き残したことを聞いてみた。
「そういえば……あの求人広告ってどんな目的があるんですか? あの三ヶ月住むってルールは何なんでしょうか」
形だけでも見送ろうとしたのか、担当者はゆらりと机の向こうに立った。
「三ヶ月もお住まいになれば、あちらのお部屋の良さがお分かりになるかと。隣室の方ともご交流いただけるでしょう。それにあれは――」
痩せた頬が定位置と思しき場所まで持ち上がる。慣れた営業スマイルだった。
「長らく入居のない物件の、単なるPRの一環でございますよ」
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