Scene.10 酔いの随に
キッチンで料理をしながら立ち飲み始めたこともあり、座卓に鍋を持っていく頃には焼酎瓶の半分は空いていた。
思ったよりペースが早いのは、僕も円さんもロックで飲んでいるからだ。互いに三杯目、僕は視界がふわふわと酩酊してきたし、涼しい顔の円さんもさすがに仄かに顔が赤い。失敗したな、何か食べる前に飲んでいるせいか酔いが回るのが早い。
ただ何となくそれを悟られたくなくて、僕はあくまで平静を装って彼と向かい合って炬燵に座し、「いただきます」と両手を合わせた。
「圭一くん、もう眠そうじゃない?」
「……そんなことないです。ほら、食べましょ」
鍋をよそった小鉢を手渡して、僕は自分の箸をとった。
温かい鍋を突きながらも、円さんの言う通り眠気は微かにちらついていた。昼間に熟睡しているんだから、アドバンテージはこちらにあるはずなのにな。
「仕事、忙しい?」
「まあ、年が明けたのでそれほども……もう毎年のことなので、もう慣れですね」
「コンビニ勤めだよね。長いの?」
「大学時代にバイトしていた職場にそのまま就職した感じですね……家から近いし良いかなって」
「へえ」
思えば、彼とこうして何でもない話に花を咲かせることもそうなかったな、なんて謎の感慨を抱いてしまう。酒の力って凄い。
「制服着てるところ見てみたいな。今度行ってもいい?」
「冷やかす気満々じゃないですか……」
呆れ混じりに笑ってしまう。円さんを拾ったのが退勤後で良かった。勤務中に会ってたら問答無用で追い返しているところだ。
「芦峯さんは……忙しいことなんてあるんですか」
「俺があくせく働くところ、想像できるかい?」
「できませんね」
「うん。依頼を受けるかどうかは内容と気分次第。お陰でほぼ年中自由にさせてもらっているよ」
そう言って円さんはグラスを干した。
もちろん霊媒師としての仕事には危険も伴うのだろうが、羨ましいことこの上ない生活だ。前に衣食住も常連客に頼っていると言っていたから、あまり利益だとかを細かく考えなくても生きていけるのかもしれない。
「……一件いくらくらいなんです?」
彼の空いたグラスに新たな酒を注ぎながら、僕は声を潜めた。
酒の席ということで、普段は聞かない下世話なことも聞いてしまう。円さんの生態はそもそも謎が多い。
しかし意味深な笑みとともにすっと立てられた指の数に、僕は絶句した。絶対千とか万とかそんな単位じゃないことだけは、彼の表情が物語っている。
「めちゃくちゃ暴利じゃないですか……」
「そう? 一般の目に視えも触れもしないものを祓えるんだから、安いものだろう? 報酬もその時の気分次第だから、一概には言えないけどね」
そんなブラックジャック的な料金形態があり得るのか。いや、あり得るのか。要求を飲もうとしない僕に悪霊を差し向けるような人間だ。気に食わない依頼主に暴利を吹っ掛けるくらいはやる気がする。
あまりこの話は深掘りしない方が良いと悟り、僕は酒を一口飲み下して話題を変えることにした。
「昼間は、どこに行ってたんですか」
「ん、聞きたい?」
目を細め、彼は長い指を順番に立ててみせる。
「仕事仲間の集う職場、十年来の友人とドライブ、家族の待つ家、恋人の隣……どれか当ててごらん」
「……全部嘘でしょ」
「正解」
さすが、と円さんは口の端を上げてグラスの中の氷を揺らした。
分かってるよ、教えてくれる気がないときの言い訳だって。いつだって誰のそばにも居つかず離れていく癖に。
この人について詳しくなりたくはないが、悲しいかな、段々思考回路や趣向が読めるようになってきたことも事実だ。こういうのを腐れ縁って言うんじゃないだろうか。
何となく互いに黙ってしまって、しばらく静かに鍋を食む音だけがした。
誰の隣にもいない生活、考えてみれば不思議だ。先程羨ましいと思ったその生き方は、裏を返せば孤独を深めているとも言える。思い返せば、いつも円さんは自ら進んでそうあろうとしている。
鍋の湯気の向こうに、視線を投げた。
「……芦峯さんは、どこかに留まろうとか思わないんですか」
「思わないねえ」
「どこかへ帰りたいとも?」
「それもないねえ。どうせ人は死ねば同じ場所へ還る」
「……意外と厭世的ですね」
「死んだ時の心残りは少ない方が良いだろう?」
事もなげなその答えに虚を突かれた気がして、傾けていたグラスの手が一瞬止まってしまった。
人は死ねばどこかへ還り、新たな生命に巡ると前に彼は言っていた。ただ強い思い入れや未練を残したまま死ねば、それが現世へと自らを縛る鎖になるのだという。長く留まれば感情は煮凝り、愛憎は呪いとなり、生者へ悪影響を及ぼしていく。
この人に家族はいない。実の母親も妹も、過大な思い残しをして現世に留まり怪異と化していた。昨年の夏にその魂を来世に送り出したのは、他でもない彼の手によるものだ。
ふらふらと現世を渡り誰の記憶にも残らず、必要以上に人と交わる望みを抱かず、やがて煙となって消えるまで、ひとりで死者の背を見送り続けるのだろう。この先も、自分を現世に縛り付ける未練など残さないように。
いつからこの人はそう決めて生きてきたんだろう。一切の執着を持つことを諦めたとき、円さんはどれだけの感情に蓋をしたんだろう。
あれだけの笑顔を湛えてスクリーンに消えていったくじらちゃんを、彼は覚えていないのだろうか。とうの昔に死んだ彼女だって、誰かへの想いを抱えたまま逝けたのに。
酔いの
不確かになる視界を誤魔化すようにグラスの残りを一気に呷り、僕はやり場なく焼けた息を吐いた。
「縁起でもないことを……酔ってるでしょ」
「そうかもね……ほら、空いてるよ」
隙なく注ぐな。そんなだから余計に酔うんだよ。新しくとろりと揺れる液面を恨めしく見つめる。
円さんは自分のグラスを手に取り、目の高さに持ち上げた。乾杯、らしい。
「圭一くんは、俺より先に死んでね。億劫だけど、見送りくらいはしてあげる」
「嫌です……絶ッ対に……意地でも……芦峯さんより長生きします」
彼に付き合い、僕も無理にグラスを傾けた。喉が焼けるような感触がして、意識が吹き飛び崩れ落ちる。
気づけば机に突っ伏していた僕に円さんはふっと息を吐くように笑った。そして今更のように口を開く。
「ああ、そういえば言ってなかったけど」
「……はい」
「俺、酔うと眠れなくなるんだ。悪いね」
「ずるい…………」
先に寝なけりゃ話を聞くと言ったのはあんたの方だろ、と口を衝きかけたが、それ以上何かを言うことはできなかった。アルコールに溶かされた意識が、あたたかくて深い泥に沈みこんでいく。
「おやすみ、圭一くん」
穏やかな彼の言葉が耳の奥に届くのと引き換えに、落ちるように視界は暗転した。
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