章子

坂本梧朗

その1

 何十というスナックやバーが詰めこまれているビル、その中の一つのスナックでの話。


 仕事は簡単だ、カウ ンターの中で六時間余り、水割りやつまみを つ くったり、客と話をしている内に過ぎてしまう。酒も飲むから半分酔っ払って仕事をしている様なものだ、そしてその方がうまく いくのだから……開店の準備を終え、カウンターの中に立って 、章子はばんやりそんな事を考えていた。壁の時計を見ると六時半を過ぎたところ、まだ客が来る時刻ではない。有線のメロディーだけが店の中を流れている。

「きのうさ、あれからディスコに行ってさ、 三時頃まで踊ってたかな」

 隣で煙草を吹かしていた亜矢子が言った。目尻のあがった切れ長の目を紺色のアイシャドウが縁取っている。頬紅を濃く塗る癖がある。今日は黒のタン クトップと赤いマキシを着ている。

「へえ 」

 章子は返事をしながら煙草に火を点けた。

「そしたらさ、ホテルに行こうかってさ、 誘うの。何かさ、当然の事言うみたいな顔してさ。冗談じゃないよ」

 章子は昨晩の事をほんやり思い出した。十時過ぎに来た三人連れだ。 製鉄に勤めていると自慢気に話していた。カウンターに並んだ背広の襟に製鉄のバッヂが光っていた。 製鉄は有名な大企業だ。その地方にも大きな製鉄所があった。 三人はそろっ て三つ揃い で、一本のほつれ毛もない様に整髪された頭は動かす度にてらてら光った。 いかにもエリー トコースを歩い てきたらしいスマートな、それ でいて横柄な顔つき。 嫌な奴らだ、そう思った自分の気持が甦ってきた。 年は三人とも二十五、六 、会社の期待を担う一流大学出の幹部候補生な のだろう。 ところが話し出すと、酒のせいもあろうがに合わぬ卑猥な言葉がぽんぽん飛び出した。 そんな事には慣れているはずなのに、昨日の章子は彼等に嫌悪を感じた。なぜだろう……彼等かエリートだったから……そうかも知れない。 彼等はしつこく話しかけてきた。水商売の女とはそんな話題で話すものだと言う様に……確かにそうなのかも知れないが……考えながら章子は苦笑した。しかし昨日の章子は彼等の言葉の端々に見下した侮りを感じ、愛想よく受け応えしながらも、胸に反発がわだかまっていった。それで三人を亜矢子にまかせ 他の客に移ったのだ。亜矢子は笑い声をあげ、賑やかに話していた。三人にうまい言葉でおだてられていたのだろう。おだてられればすぐ乗る娘だ。店が終ると、その中の一人とつきあう約束をしたと言って出ていった。

「婚約者がいるんだってさ、そいつ。もうすぐ結婚するんだって。こっちは何も聞きやしないのにさ。そう言った後でホテルに行こうかだもんね。何考えてるんだろ」

「亜矢にしてはしおらしいじゃない 。そんな事にひっかかるなんて」

「ひっかかったんじゃないけどさ……誘うぐらいだったら、婚約者の話なんか出さなけりゃいいんだ」

 亜矢子は唇をすぼめて煙を勢いよく吐き出した。

「いけ好かない奴」

 ブスっとした顔で言った。章子はその顔を見て笑った。根はいい娘なのだ。この娘も男に捨てられた……。

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章子 坂本梧朗 @KATSUGOROUR2711

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