第4話:ことの始まり_4
「ただいま」
「おかえりなさい」
あお君が帰ってきた。私はなに食わぬ顔であお君を出迎える。あお君は飲食店特有の匂いをさせていた。
「今日も寒かったね」
「ホントだよ。風が吹くと耳が痛い」
「遅い時間のほうが、同じ夜でも風が冷たい気がするよね」
「暗いからかな。俺コート換えて良かったかも。着倒したからかペラペラになってる気がしてたし」
「……あぁ、ちょうど良かったのかもね?」
あお君は、にこやかに脱いだコートをハンガーにかけた。今日着ていったのは、新しくしたほうのコートだ。サトコからもらった写真にも写っている――。
「このコート、オシャレだよね」
私は適当にコートを褒めた。シンプルなよくある形のコート。だが裏地は柄が入っており、見えないところにもオシャレを……という商品に見える。
「あ、あぁ。なかなか良いだろ?」
褒められて満更でもないのか、あお君は良い笑顔でそう答えた。
「どこで買ったんだっけ?」
「え? ……新しくできたあのショッピングモールだよ」
「あ、そうなんだ。同じようなデザインで、レディースもあるかな? 私も、シンプルだけどちょっとおしゃれなコートほしいんだよね」
「あー……うーん、わかんない。そこまで見てないから」
「そっか、残念。なんてお店だった?」
「え? ……忘れたけど」
「……そっかぁ、じゃあしょうがないね。あ、私もうお風呂入ったから、最後どうぞ」
「うん」
聞かれてバツが悪かったのか、あお君はいそいそと準備をしてお風呂へと向かっていた。しばらくして、シャワーを使う音が聞こえてきた。それに合わせて私はあお君がクローゼットの中にしまった今日着ていたコートを取り出すと、他の服と同じように写真を撮った。
「……首のところにメーカー書いてあるよね? そうじゃなくても、洗濯表示のタグと一緒に……」
メーカーを調べてみると、それなりに高級なブランド品だった。レディースの展開もしている。が、デパートやアウトレットでは見かけても、ショッピングモールではあまり見かけない価格帯のお店である。同じ商品がアウトレットの通販で出てきたが、それでも七万は超える値段だ。あのショッピングモールに果たして入っていただろうか? と思いながら、私は最寄りのお店を調べてみることにした。
「入ってないじゃん」
念のためショッピングモールの案内ページでも調べてみたが、あそこにこのお店は入っていない。ポップアップやイベントで一時的に開店していたということも書かれていない。だから、ショッピングモールで買ったというのは嘘だ。では、いったいどこで買ったのだろうか。私もあお君も、ネットで注文することがある。それならそうと言えば良いのに言わないということは、ネットでは買っていないのだろう。わざわざお店で買ったと嘘を吐いたということは、その所以が知られたくないこと、やましいことだとでもいうのだろうか。
あお君は、先週は残業続きで、一日も定時では帰ってこられなかった。会社帰りにどこかへ寄るという話も聞いていない。メッセージの履歴から一番遅かったのは金曜日で、その日なら買いに行けたかもしれない。一番近いお店でも、あお君の会社から三十分はかかる。そこへ寄り道したとしたら、購入時間も含めて最低一時間半はほしいだろう。金曜日は本当に、残業していたのだろうか?
コートの写真を撮って、クローゼットへ戻す。今年の冬新作のコート。早めに買うにも限度があるだろう。それに、前から準備していたのなら、コートが必要になったタイミングですぐに出せばいい。コート一着出すタイミングすら、私には怪しく見えていた。
誰か女性と楽しそうに過ごしていたことを知ってしまい、出張だと言っていたひすら怪しくなった今、これまでと同じようにあお君に接する自信はなくなってしまった。まだ浮気したと決まったわけではない。私がただ疑っているだけだ。でも嘘を重ねていることはわかった。それがどうしてなのかはまだわからない。見当はついているし、きっと浮気に関することだろうと思っているが確定はしていないのだ。
一度手を出してしまった以上、中途半端なところで終わってしまっては、きっとこの先あお君と一緒にいても疑う続ける人生になってしまうだろう。そんな状態では楽しく心から笑えない。もし、あお君が浮気していなかったら、私が勝手に招いたことだ。疑ったことを誠心誠意謝るか、死ぬまで胸の内に秘めておくかはわからない。が、浮気したしていないがハッキリするまで、やり過ぎない範囲で解明することを心に誓った。
「……困ったら、サトコに話聞いてもらおう……」
それに、私には味方がいる。私は努めて冷静に、なにもなかったフリをしてあお君がお風呂から出てくるのを待った。
コートはちゃんと元通りに戻しておいたし、テーマパーク産のトップスにキーホルダーも戻した。ノートも使っていない物に紛らわせてしまったし、よほど勘が良くなければ探っているとは気が付かないだろう。
――しかし、なかなかあお君がお風呂から戻ってこない。あまりにも遅いときは、私は先に寝てしまうこともある。今日はどれくらい入っているつもりなのだろう? リビングで待つのはやめにして、私は趣味部屋で日記を書くことにした。今日起こったこと、感じたことを文章にしたためていく。消せないように油性のボールペンを選んだ。つらつらと動かすペンは意外にも淀むことなく一日にあったことを書いていく。考え込むこともあったが、考えたあとはそんなこともない。
夢中になって書いていると、既に三十分が経過していた。それなのに、まだあお君がお風呂から出てくる気配はない。廊下のドアも開けっ放しだし、私も今趣味部屋のドアを全開にしている。壁が薄いとは言わないが、開けっ放しにして静かにしていると、シャワーを流している音なんかは聞こえてくるのだ。今はシャワーの音はしていないが、脱衣所のドアも開いていないし、出てくるときのドアを開ける音もまだ聞こえてきていない。つまりまだお風呂場にいるはずだった。見送ってからコートを調べ、日記を書き終えるまでに四十分以上かかっている。男性のお風呂の時間が平均どれくらいの長さなのかは知らないが、前はに十分程度で出てきた気がする。明らかに以前よりも長くなっているのだ。
「お風呂でなにしてるんだろ?」
ゆっくり入りたいときもあるだろう。それを邪魔するのは気が引ける。帰ってくる前に歯も磨いていたから、今洗面所も兼ねている脱衣所へ行く理由はなかった。
「……仕方ない、ベッドへもう行っちゃおっかな」
私は今日これ以上探りを入れることはやめて、大人しく寝室へ向かった。なんとなく寝つけなくて、ついスマホを見てしまう。よせばいいのにサトコから送られてきたあお君の写真を見ては、他になにかヒントがないか探してしまっていた。そんなことをしても、まだ自分の疑問を解決できないのに。
諦めてスマホを手放して目を閉じた。疲れているはずなのに、頭が冴えてしまって眠れない。眠たいのにいつもグルグルと寝る前に考えごとをしてしまう悪い癖だ。やめたいのにやめられない。
……それから、どれくらい時間が経ったのだろうか。遠くのほうでドアを開ける音がした。しばらくくして、ドライヤーの音も聞こえてくる。やっと、お風呂を出たのだ。
――ガチャ。
すぐに小さく、寝室のドアを開ける音がした。寝ているのかとあお君が気を遣ったのだろうか。ゆっくりと時間をかけたのだろう。閉まるときの音が鳴るまで少し時間が空いた。ようやくウトウトとまどろみの中へ入りこもうとしていた私の頭が、現実へと引き戻された。
重たくなった瞼は簡単には開けられず、目の周りと後頭部にかかるどんよりとした重さを抱えていると、ギシリとベッドが軋んだ。だが、あお君はなかなかベッドには入ってこない。なんとなく視線を感じるが、眠たくて仕方ない私は目を開けなかった。
――ガチャ。
彼はベッドへ入ることはなく、またドアを開けて寝室から出ていってしまった。もうずいぶん遅い時間だろうに、まだ寝ないというのか。私は手探りでスマホの電源ボタンを押すと、必死にまぶたを開いて液晶の眩しさの中今の時間を確認した。
深夜一時半。
こんな時間まで、いったいなにをしていたのだろうか。私は明日の日記に書かなければと思いながら、スマホから手を離してようやく眠りについた。
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