Drop.005『 Shaker〈Ⅲ〉』

 

 

 

 花厳かざりには、三つほど年の離れた恋人がいた。

 

 

― Drop.005『 Shaker〈Ⅲ〉』―

 

 

 その恋人は、現在の桔流きりゅうと同じ、25歳の青年であった。

 つまり彼は、28歳の花厳にとっては“年下の恋人”だった。

 花厳は、そんな彼に、幼さすらも感じていたと云う。

「――やっぱり年下相手となると、俺の方はどうしても色々と遠慮しちゃってね。――それに加えて、ちょっと過保護気味だったから、むしろあの子には、俺の方から我儘をしやすい環境を与えちゃってたのかもしれない……」

 それゆえか、講師の仕事に加えて舞台の稽古が重なるなどで、花厳がなかなか会えない日が続くと、いざ二人で会う予定をとりつけても、その日中、彼の機嫌が直らなかったりもした。

「それで、寂しい思いをさせたお詫びをして欲しかったのか、今年に入ってからは、妙にプレゼントを欲しがるようになって。――その果てで、何に影響を受けたのか分からないけど、今年の夏頃からは、“プロポーズになるくらいの指輪をプレゼントしてくれないと安心できない”って、言われてね」

「――で、あの指輪……」

「……そう」

 花厳は、恋人との当時のやりとりを思い出しているのか、空を見つめたまま苦笑した。

「浮気をした事も、ないがしろにした事もなかったけど、――たとえ俺がそうしていたとしても、あの子の不安をあそこまで大きくしてしまったのは、きっと俺だから。その事にも申し訳なさはあってね。――だからせめて、少しでもあの子の不安を軽くできるならと、あの子が望むような指輪を贈ろうと思ったんだ」

「――じゃあ、やっぱり、お店に忘れ物をなさったあの日に、その指輪を渡す予定だったんですね」

「うん」

 つまり、あの日。

 指輪を忘れさえしなければ――、否、忘れた指輪をちゃんと手渡せていれば、花厳は、今もその恋人と――。

(俺が、もっと早く気付いていれば……)

 花厳の話を受け、桔流が改めて自責の念に駆られていると、花厳は言った。

「でもね。――お店に行った時にはもう、渡す予定はなくなってたんだ」

「……え?」

 一体、それはどういう事か。

 花厳が初めて桔流達のバーに訪れたあの日。

 花厳が店に訪れたあの時にはもう、あの指輪は己が役目を失っていたと云うのか。

「あの指輪ね。――あの店に来る前に、あの子に渡す予定だったんだ」

 花厳は、あの日。

 恋人が働く店に出向き、仕事を終えたところへサプライズとして指輪を渡しに行こうと考えていた。

 しかし、その考えが大きな仇となった。

「――まったく……。――喜んでもらえるかもなんて、余計な事を考えるものじゃないね」

 花厳は、またひとつ苦笑する。

 指輪を贈るため、彼の退勤時間を見計らって店の近くまでやってきたその時。

 偶然にも、否――、不遇にも、花厳は、店の裏手で見かけてしまったのだ。

 その店の同僚と思われる男と抱き合っている、彼の姿を――。

「………………」

 話の内容からか、相槌も打てず言葉を失っているらしい桔流に苦笑すると、花厳はまたゆっくりと続ける。

「見てしまった瞬間は、なんとも言えない心境にはなったんだけどね。――でも、少し時間が経った頃に、妙にほっとしたような気持ちになってる自分に気付いたんだ」

 ちゃんと、情熱的に愛してもらえる相手を見つけられたのなら、自分の恋人でいるよりもその方が良いに決まっている。

 花厳は、そう思ったのだ。

「だから、新しい恋人のためにも、ちゃんと別れておかないとと思って、少し時間をおいてから、“見てしまった事”と、“別れよう”っていうメッセを送ったんだ。――ただ……」

 そうして、別れのメッセージを送信した後。

 恋人から返ってきた反応は、花厳を非常に困惑させるものであった。

「メッセしたら、すぐに電話がかかってきてね」

 そうして折り返されてきた電話に出れば、恋人からは花厳への叱責が連ねられた。

 ――ずっと自分に寂しい思いをさせ続けた花厳が悪い。

 ――ずっと我慢してきたのに自分を一番にしてくれなかった花厳が悪い。

 ――自分は悪くない。

 スマートフォンの向こうから花厳を責め立て、泣き喚きながら多くの言葉を投げつけた恋人へ、花厳が最期に贈ったのは、そんな彼への懺悔の行いであった。

 花厳は、彼への懺悔を込めて、そうして泣きじゃくる彼が落ち着くまで、ただただスマートフォン越しに彼の言葉を聴き、彼の言葉に頷き続けた。

 そして、彼が落ち着いた頃。

 最後にひとつだけ謝罪をし、改めて別れを告げた。

「――それじゃあ、あの時――“連れが来るかも”とお伝え頂いたのは……」

 桔流が尋ねると、花厳は、ふ、と懐かしむように苦笑する。

「寂しいって泣かれて、もういいって怒って帰っちゃった後でもね、いつも、少ししたら必ず電話がかかってきてたんだ。――それで、今どこにいるのか聞かれて、やっぱり話したい会いたいって言ってくるのがお決まりだったから。――その日だけは、もしものためにと思ってね」

「なるほど……」

「多分。――俺が店に居て、自分の席がなかったら、また怒っちゃうから……」

 優しすぎるのだ。

 苦い笑みを張り付けたまま、穏やかに語る花厳に、桔流はそう思った。

 また、その恋人も、決して泣き喚きたくてそうしていたわけではなかったはずだ。

 ただ、感情の制御が苦手な上、自身の気持ちを言葉にする事も苦手だったため、泣き喚くしかできなかった。

 さらには、精神的にも弱く、子供の面も強かった。

 だからこそ、恋人と会えない寂しさを自分で紛らわす事もできず、ただただ押し潰されるしかなかったのだろう。

「あの子は悪くないんだ」

 花厳の言葉に、桔流は緩く頷く。

(その人は本当に、花厳さんの事が好きだったんだろうな)

 そうでなければ、泣き喚くほどの寂しさに苦しむはずもないのだから。

 きっと、彼が他の男を縋ってしまったのも、寂しさに耐えかねての事だろう。

 そして、花厳への逆上も、そんな弱い自分を守るための必死の自己防衛だったのだろう。

 だが、だからと云って、一生懸命に愛そうとした花厳が悪いという事にはならない。

 桔流は、それきり黙した花厳に言う。

「花厳さんも、悪くないです」

「………………」

 そんな桔流の言葉に、目を伏せたままの花厳は、言葉に窮しているようだった。

 それを受け、桔流は静かに続ける。

「花厳さんが悪いなら、その恋人さんも悪いです。でも、恋人さんが悪くないなら――、花厳さんも悪くないです」

 続けられた言葉を受けると、花厳は顔を上げ、桔流を見た。

 桔流は、真っ直ぐに紡ぐ。

「お二人は、お互いの事をちゃんと好きだったからこそ、遠慮し過ぎちゃったんだろうなって、俺は思います。――でも、花厳さんと違って、その人は耐える事が苦手だったし、――花厳さんの事しか考えられなくなっちゃうタイプだったんでしょうね」

「俺の事しか……?」

 桔流は、ゆっくりと頷く。

「恋は盲目、なんて云いますけど。――世の中には、大好きな相手に、心も体も時間も、自分の全てを捧げちゃう人も居るんです。――交友関係も含め、その人以外のモノは全部犠牲にして、大好きなその人に自分の何もかもを費やしちゃうような人が」

「そうか。――じゃあ、あの子も」

「多分、ですけど」

「……そうか」

 桔流が頷くと、花厳はまた申し訳なさそうな顔をした。

 そんな花厳に、桔流は言う。

「――でも、恋人さんは、どれだけ花厳さんのために自分の人生を捧げているか、花厳さん以外のものをどれだけ犠牲にしているかを、花厳さんに言わなかったんですよね」

 花厳は、しばし考えながら頷いた。

「うん……。そうだね。――“他の人達はもっと一緒に居られてるのに”とか、“寂しい”って言われるだけだったかな……。――だから、“俺も仕事だから”としか言えなくてね……」

「ちゃんとお互いに気持ちを伝え合えなかった上、お互いの生き方も合わなかったのが、すれ違いの原因――、ですかね……。――その課題を、お互い冷静に話し合って乗り越えられていたら、また違ったのかも……」

 ――仕事が忙しいと言われた。

 ――どうしようもない事だと分かってはいるけど、寂しくてたまらない。

 店にやってきては、寂しさを嘆く一人客達も多かった。

 しかし、そんな彼らにとって、桔流達のバーは、気持ちのはけ口や心の安定剤になっていた。

 だから、他の男、他の女に頼らずに済んでいた。

 だが、花厳の元恋人には、そのような場所がなかったのだろう。

 それゆえ、寂しさが限界に達した彼は、別の男に縋ってしまった。

 そして――、だからこそ、彼には、花厳との離別の結末が訪れてしまったのだ。

「そうか……」

 桔流の言葉に、今一度そう呟いた花厳に、桔流は苦笑しながら言った。

「色々、大変でしたね……」

「ははは。うん。大変だったかも……。――ありがとう」

 そんな桔流に礼を言った花厳は、相変わらず苦笑していたが、そこには少しばかりの晴れやかさがあるようにも感じられた。

 💎

「――今日はありがとう。なんだか、変な話に付き合わせてしまって悪かったね」

 店から出るなり、花厳がいつも通りの爽やかな笑顔を向けると、桔流もにこやかに笑い返した。

「いえ。――こちらが聞きたいと言ったお話ですから。――むしろ、花厳さんにとってはお辛い話だったのに、話してくださって、こちらこそありがとうございました」

「ははは。とんでもない。――桔流君に聞いてもらえて楽になったよ。また助けてもらっちゃったね。――本当にありがとう」

「ふふ。お役に立てたようでしたら良かったです。――それと、ごちそうさまでした」

 程よい日光に照らされる中、桔流が今一度頭を下げると、花厳はにこりと笑み、

「いいえ」

 と、言って、ジャケットを着直した。

(しっかし、どこまでイケメンなのかね……)

 ジャケットを着直す仕草も様になってしまう花厳を眺めながら、桔流は半目がちに思う。

(――まさか、この俺に気付かれないように会計を済ませられる男が居るとは……。――どう考えても手練れ……)

 そんな花厳曰く、過去に付き合ってきた男女は共に、相性が悪くてフラれる事も多かったと云う。

 しかし、少し席を離れたほんの数分の間に会計を済ませるスマートさを体感した桔流からすれば、仕事の多忙さが原因ではなく、相性が悪くてフラれるという事実は信じがたいものであった。

 そんな事を思いながら、桔流が、夕陽に照らされる花厳を堪能していると、花厳は言った。

「そうだ。桔流君。――今日は、結局俺の話ばかりになってしまったし。――今度は、普通に食事でもどうかな?」

 それにハッとしつつ、桔流が、

「あ、はいっ。ぜひっ」

 と、頷き微笑むと、花厳は嬉しそうに頷き返す。

 そして、目を細めて優しげに笑むと、含みを感じさせる声色で言った。

「今度は、桔流君の話も聞かせてほしいな」

 桔流は、そんな花厳の悪戯に気持ちが高揚するのを感じながら、平静を装い、

「ふふ。いいですよ。――俺の方こそ楽しい話題なんてないですけど、良かったら色々聞いてください」

 と言いながら小首を傾げ、上目遣いに笑んでは仕返しをした。

「ははは。うん。――楽しみにしてるよ」

 そんな桔流に頷き返した花厳の笑みには、心なしか晴れ晴れとした明るさが宿っているように感じられた。

 他愛のない悪戯を仕掛け合えるほどには、花厳の心を癒す事ができたのかもしれない。

 桔流は、そう感じ、改めて安心していた。

(完全にじゃなくても、少しでもこの人の肩の荷を下ろせたんなら良かったかな)

 桔流は、ふとそんな事を思いながら、互いの帰路の分岐点までの道すがら、花厳との他愛のない時間を楽しんだ。

 

 💎

 

 桔流との食事を楽しんだ翌日。

 次回の舞台に関する打ち合わせを終えた花厳は、そのすぐ後に開催された“決起会に備えた決起会”という不思議な位置づけの飲み会に参加した。

 そして、そんな飲み会も無事に終え、帰路を辿っていると、今ではすっかり行きつけとなったバーから見慣れた人物が出て来るのを目にした。

(あれ……?)

 バーから出てきた人物は、その店のバーテンダーだった。

 しかし、そんな彼はいつもと違い、バーテンダーの装いをしておらず、私服姿であった。

(今日は、早上がりなのかな?)

 花厳はそう思い、そんな彼を何気なく遠目がちに見ていた。

 すると、店から出て来たはずの彼は、すぐに店内に戻り、またすぐに顔を見せた。

 そうして再び店から出て来た彼は、先ほどは居なかった、――どちらかといえば可愛らしい面立ちの青年に肩を貸していた。

 しばし離れた場所からでも、その彼の声はよく聞こえた。

「お前さぁ。――潰れると帰れなくなんだから。ガツガツ飲むなっていつも言ってんだろ~? 馬鹿だな~」

 そんな彼の声は、文句を言いつつも酷く楽しげで、彼の顔を飾る砕けた笑顔も、酷く明るく映った。

 その声も、その笑顔も、花厳は見た事がなかった。

「ほら、帰ろうぜ」

 あの様子では、たとえ気付く事ができる距離であっても、花厳が見ている事など、彼は気付きもしないだろう。

 案の定、酔い潰れた連れの青年に肩を貸しながら、呼びつけてあったらしいタクシーに乗り込んでいくまでの間に、酷く楽しげにする彼が花厳に気付く事はなかった。

 そして、そんな彼らを乗せたタクシーは、夜の街でひとつエンジンをふかすと、ゆっくりと発進した。

 花厳は、そのまま遠ざかってゆくタクシーをぼうっと眺め見送る。

 花厳は、その中。

 昨日、自分に向けられていた彼の笑顔を思い出していた。

(あぁ……)

 思い出した彼の笑顔は、それから脳裏に張り付いて離れなくなった。

(あぁ。そうか……)

 花厳は気付いた。

(また、一歩遅かったな。俺は……)

 そして、苦笑する。

(桔流君にはもう、恋人が居たんだな……)

 次いで、力なく笑い、小さく言った。

「今更気付いても遅いんだよ」

 そんな花厳の声は風に攫われ、賑やかな繁華街に呑まれていった。

 💎

「おやおや。御影みかげ。――また潰れちゃったのかい?」

 地域でも名の知れた稲荷神社――〈白幸しらゆき稲荷神社〉に面した大きな平屋の玄関で、己の同居人とその友人を出迎えた白髪の男――月泉つきいずみ樹神こだまは苦笑した。

 純白の毛並が美しいホッキョクギツネ族の獣亜人じゅうあじんである樹神は、その稲荷神社の若い神主であった。

「う~……」

 そして、同居人の友人――桔流に肩を借り、何とか住まいに辿り着き、玄関で呻いているのは、この稲荷神社で神主の手伝いをしているカラカル族の青年――なぎ御影である。

 そんな御影に、桔流は呆れた様子で言った。

「――ったく。ちょっと目ぇ離すとすぐコレだ」

 愛おしげに御影を見やりつつ、樹神は穏やかに言った。

「ふふ。いつもすまないねぇ。桔流君。――御影を担いで疲れただろう。君も少し休んでいったらどうだい?」

 すると、桔流は歯を見せにかりと笑うと、言った。

「ありがとうございます。樹神さん。――でも、俺、明日また仕事なんで。――ささっと帰って寝ちゃおうと思います」

 そんな桔流に、

「おや。そうかい? ――じゃあ、手荷物が大丈夫なら」

 と、穏やかに言った樹神は、手渡すために用意していたらしい瓊本にほん酒を桔流に差し出した。

 桔流は、それを見るなり大いに喜んだ。

「えっ! いいんですか! ――これ、珍しいやつ」

「もちろん。――丁度二本頂いてね。いつもの御礼に受け取っておくれ」

「わぁ~、めっちゃ嬉しいです! ありがとうございます!」

 そして、満面の笑みを浮かべ、心から喜んでくれているらしい桔流に微笑むと、樹神は言った。

「それじゃあ、下まで見送ろう」

 すると、桔流は樹神を制し、すくと立ち上がった。

「あ、大丈夫です! タクシーに下で待ってもらってるんで! ――ってのと、俺より御影、なんとかしてやってください」

 またひとつ、少年のように笑んだ桔流に、樹神は苦笑しながら礼を言う。

「ふふ。すまないね。ありがとう。――帰り道、気を付けてね」

「はいっ!」

 そして、酔っているせいか、いつもより子供っぽい笑顔と共に一礼をした桔流は、玄関の扉を丁寧に閉めると、頂戴した瓊本酒を大事に抱えながら、ぴょんぴょんと神社の階段を下った。

「――すみませんっ! お待たせしました」

 そうして、階段を下りきるなり、タクシーに乗り込み桔流が声をかけると、運転手は愛想よく出迎え、桔流を労った。

 桔流は、そんな運転手の心地よい運転に身を任せ、会話を楽しみながら、再び自宅までの帰路を辿った。

 その間、桔流は土産の瓊本酒を見やりながら、花厳とした食事の約束を思い出していた。

 そして、

(――せっかく美味い酒貰ったし、花厳さんが良いなら、次は家でもいいかもな……)

 と、思い至った桔流は、スマートフォンを取り出すなり、昨日登録した花厳の連絡先をディスプレイに表示した。

(近いうちに連絡してみよ……)

 心地よい運転に揺られながらひとつ思った桔流は、ふと夜空を見上げると、流れゆく星達を見送った。

 

 

 

 

 

Next → Drop.006『 Ice and a litttle water〈Ⅰ〉』

 

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