3

「ええ? 名前覚えてないの?」

 厚美のすっとんきょうな声が、昼休みの教室に響く。

「まだ、ね」

「まだじゃなくて、もう6月だよ……」

 意味もなく窓の外を見る。まだ梅雨の気配は感じられない青さだ。

「じゃあ、唐揚げもらうね」

 厚美はいつものように私の弁当から唐揚げを奪う。私も厚美の弁当から唐揚げを奪う。厚美の家の唐揚げはふにゃふにゃしていておいしい。いつもこうしてるわけだけど、

「けど、これって食中毒になる確率は2倍になるよね」

 私が問いかけると、厚美は「?」といった顔で見つめてくる。

「食中毒になる因子が唐揚げに含まれてる確率が1%だと仮定して、こうして交換すれば1%のガシャを2回引くことになるじゃん?」

「うん」

「つまり当たりを引く確率が倍にならない?」

「そうだね、そのときは一緒の病院に行こうねっ」

 返答になっていない気もするが、厚美はもちもちとした笑顔を私に投げかけ続けた。

 いや待てよ、唐揚げに食中毒の因子があった場合、普通なら被害人数は1人だが、交換こしている場合は被害人数は2人になるわけで、確率2倍で被害人数も2倍となれば期待値は4倍ということになるのか?

「で、1年生は8人いて、黒木ちゃんはオシャレ番長でしょ。それから……」

「え? あ、オシャレ番長ってなに?」

 思考の渦に巻き込まれているうちに知らない話が進んでいた。オシャレ番長ってなに?

「黒木ちゃん。化粧してるしスカートも短いでしょ? それで生徒指導の先生によく怒られてるらしくて、だからオシャレ番長。かわいいねって言ったらすごく喜んでくれるよ」

「へー、意外」

「化粧してるのは見たらわかるでしょ?」

「いやあ……?」

 ファッションのことはよくわからない。黒木といえば話しかけても「ウス」しか言わないイメージがあったけど、普段ははっちゃけているのか。

「あと、脚長いうえにミニスカだから『脚だけ星人』って呼ばれてるらしいよ」

 なんだそのケツだけ星人みたいな生き物は。

「そんでねー、日下くさかちゃんはオスの三毛猫飼ってる子でしょ」

「めちゃくちゃ珍しいな」

「それと、百合草ゆりくさちゃんは家にエスカレーターがある子」

「もっと珍しいな……。1年は変なやつばっかなのか?」

 そう聞くと厚美は、箸の頭であごをつつきながら、普通といえば……とその名前を口にした。

「クハラちゃんかな」

「クハラ?」

「うん、久原って書いてクハラ。あの、私と同じくらいの背の子。真希ちゃんと同じ中学出身だよ」

 あー、あのおかっぱチビか。クハラ……珍しい名前だ。というか、

「あのおかっぱチビこそ変なやつじゃないの? なんか急に話しかけてきたし、目がぎょろぎょろしてるし」

 だが厚美はぴんと来ていない様子で、

「そうかなー。普通の子だよ。あと、おかっぱじゃなくてボブ! ボブって言うの、今どき」

 と繰り返した。

「あ、でもね、久原ちゃん三城ウチに首席で入学したんだよ」

「首席? 入試で?」

「そう、だから入学式で新入生代表の挨拶してたの」

 そういう制度があること自体知らなかったけど、へー、頭いいんだな、あいつ。

 でも三城の首席ってどれくらいの価値があるんだ。それならもっと上の高校を目指す手もあるのに。

「ここまで覚えた? で、1年生はあと4人いて……」

 厚美が残りの1年を紹介しようとしたので、慌てて制す。

「待って。『く』が多すぎる」

「『く』?」

「久原だの、日下だの、『く』が多すぎて覚えきれないから、残りは明日にして」


 ◆


 あとの昼休みは宿題でもやろうかと思っていたが、真希から伝言を頼まれてしまった。

 麗のいる2つ隣のクラスへ向かう。

 他のクラスに足を踏み入れるのは少し勇気が要る。そっと歩いても水底の泥が舞ってしまうような、そんな違和感を教室にもたらしてしまう。

 B組の教室の後ろの方の席に麗の姿を認める。

「麗、伝言」

 一応用事を告げてから教室に入る。

 泥が静かに舞い上がる中を進んで、麗のもとへ歩み寄る。

「どうしたんですか」

 麗は箸を止めて顔だけ私の方へ向けた。麗の両脇にいる友人たちも一斉に見てくる。いや、大した用じゃないんだけどさ……。

「今日は体育館使えなくなったからロード練だってさ」

 伝えると、麗は涼やかな顔立ちを欠片ほども崩さずに、

「そうですか。ありがとう」

 とだけ言った。

 用は済んだので帰ろうとしたら、麗の友人が真ん丸な目で見つめてきた。

「麗ちゃんのペアってこのひと?」

 目を合わせて「この人」とは、麗とはまた違った天然さを感じる。天然同士で噛み合う部分があるのだろう。

「ええ、こちらがいつもお話ししている鏡花さんです」

 麗の丁重なご紹介にあずかり、面食らう。というか、いつもお話ししているのか。

「へー、背高いって言ってたもんね。近寄りがたい系の美少女ペアだ」

「ホントですね、二人がダブルス組んでるなんてカッコいいですね!」

 麗フレンズたちが天然に任せて恥ずかしいことをばんばん放ってくるので、視線を振り切るように踵を返して教室を後にした。


 麗。――さっき教室の入り口でそう呼んだとき、教室中の視線が集まった気がして、気まずいけど少し誇らしかった。あの子が麗さんのダブルスのペアなんだ、お似合いだなあ――とか、思われたかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る