第7話 王家の【紋章】のある者の役割
この世界の王家の役割は、大地を鎮めることである。
この世界は王様のおかげで平穏だった。何千年もの間、風は穏やか、海は静かで、作物がよく実り、動物も絶えることがなく、魔物という存在も大人しくしていて、人々は豊かに暮らしていたそうだ。
しかし第十三代目の王様、つまり現在の王ラファエ様が王座について数年でそれが崩れた。ラファエ王が倒れてしまったからだ。
ラファエ王が床に伏せるようになると世界には強い風が吹くようになり、海は大荒れ、作物も枯れるようになって動物が減り、魔物が暴れ、人々には【症(パンドラ)】が現れるようになった。
【症】というのは病というよりは体質というべきもので、医者にも治せないという。しかも発現している【紋章】によってそれぞれ特別な症状が現れるそうだ。例えば【獣人(セリアンスロープ)】であるライカンさんは特定の動物に姿を変えられる特殊能力を持っているが、【症】のせいで制御が効かず、興奮すると勝手に狼になってしまうといったように。
そしてこれらの異変は【紋章】の発現している王家の人間が役割を果たせば改善するらしい。
そんな自然的なことがたった一人の人間の力でどうにかなるとは思えなかったが、それは私の常識であってこの世界の常識ではないようだった。この世界の王家の人間、王様には、自然でさえ統べる力があるらしい。
「姫君にはラファエ王の跡を継いでいただいて王家の役割を果たしてもらいたいんです。これは姫君にしかできないことなんです」
リルクエットさんは訴えるようにそう言ったけれど、私は頭を縦に振ることができなかった。
「私でなくても王家の人間であればいいのなら、ラファエ王様の御兄弟や姉妹で良いのではありませんか? いらっしゃらないのなら、難しいかもしれませんけど新しいお妃様をお迎えして、お子さんが役割を果たせば良いのではありませんか?」
だからはっきりそう言った。
子どもを得ることが難しいなら仕方がないけれど、こんな私に頼らなくても良いならそうして欲しい。
たぶん、無理なのだろうけど。
「ラファエ様には御兄弟も姉妹もいらっしゃいません。それからこの先、ラファエ様がお子様を得られることはないでしょう」
「もう八十の爺だからな」
悲し気なリルクエットさんとどこか投げやりな態度で答えたライカンさん。
「はち……じゅう?」
私は耳を疑って唖然としてしまった。今、ライカンさんはラファエ様のことを「八十の爺」と言った。
おかしい。だってラファエ様は私のいとこにあたるはずだ。私が十六なのにいとこが八十だなんて。
「私の世界とこの世界では時間の流れ方が違うのですか?」
「同じです。姫君とラファエ様の年齢に大きな差があるのは、僕が二つの世界の時代を合わせられなかったからです。異世界を繋ぐとき、合わせられにくいのが時間や時代なんです。どうやら今回はだいたい六十年くらいの差があるみたいですね」
「それじゃ、元の世界に戻ってもこちらに来る前の時間に戻れないのですか?」
「それは安心してください。一度繋ぐことができた時間は再び繋げます。最初だけが難しいんです。……姫君がお望みであれば、向こうに送るときに元の時間に戻して差し上げますよ」
寂しそうに笑うリルクエットさんの表情に胸が苦しくなった気がした。
「今回ばかりはリルクエット様が時間を合わせるのに失敗したことに感謝した方がいいかもしれないわね。ミハイル様とアン様の子どもであるマリアちゃんが若くて元気のある状態でここに来てくれたのは嬉しい誤算だわ」
にっこり、シャルロさんが笑いかけてくる。リルクエットさんも微笑んで頷いた。
「そうですね。姫君は間違いなく枯渇したこの世界の救世主となるでしょう」
それからまたリルクエットさんは真剣な顔で懇願してきた。
「姫君、いえ、マリア様。どうかこの世界をお救いください。このままではこの世界は壊れてしまいます。この世界はマリア様にしか救えないんです」
心の底からの訴えだった。リルクエットさんは心の底から私のことをこの世界の救世主だと思っていて、私にしか救えないのだと思っている。
この、私に。
――やめてほしい。
「本当に私しかいないのですか? 【紋章】が発現すれば、血を継いでいれば良いのでしょう? ラファエ様の親類にあたる人がどこかにいるはずですよね?」
「もちろん王家の血を引く方々は他にもいらっしゃいます。しかしこちらが把握している血縁者は誰も王家の【紋章】が発現しなかったんです。おそらく世界が壊れかけている影響でしょう。王家の血を引く方々はただでさえ短命で、前国王のエマ様も急に崩御されたので、一刻を争うのです」
「リルクエットさんたちが把握できていない血縁者がどこかにいるとか、そういう可能性はないのですか?」
「もちろんその可能性は私たちも考えた。今も世界中を探しているが、見つかっていないのが現状だ。探し始めて四十年は経っている」
バンシークさんが淡々と語った。
「マリアちゃんは四十年越しに見つけ出せた王族で、しかも王家の【紋章】まで出ている貴重な存在だわ。本当に世界の宝、希望なの」
四十年。ほとんど父と母の一生ではないか。そんなに探しているのに見つかっていないのか。ようやく見つけた希望だからこんなにも私に期待を寄せているのだろうか。
やめてほしい。
他に誰かがいるのなら、その人に任せたいのに。この世界がどんな世界かも知らない私なんかに任せないでほしいのに。
「マリア様に酷な選択を迫っていることは僕たちも分かっています。ですが、お決めください。僕たちの世界を救ってくださるのかどうか、お聞かせください」
全員の目が私に向いている。
吐きそうだ。
私は先程までただの高校生だったし、今だってただの高校生だ。それなのにどうして世界を救うことができるのか。どうして世界を救わなければならないのだろうか。
だってそんなにも重すぎる責任をこんなしがない高校生が負いきれるわけがない。だから首を縦に振ることができなかった。私はどこかの物語の主人公のように、あるいは正義感の強い母のように、自信を持って世界を救ってみせると言える人間ではなかった。
でも横にも振れなかった。この世界の問題を聞いて、それを救えるのが今のところ私だけしかいないのだと聞いて、「できない」「責任を負いきれない」と正直に話して断ることは無責任すぎるように思えた。
ここで私が断ったら、ここにいる人たちを見捨てるということになる。不特定多数の顔の見えない人を救うだなんて大層なことは考えられないけれど、顔を知った人の頼みを断ることは難しい。自分の努力次第でなんとかできるならなんとかしたいと思わなくもない。
でも、でも……。
だめだ。
「……少し、時間をいただけませんか? ちゃんと考えさせてください」
答えが出せない。問題を先延ばしにしたって仕方がないことは分かっているつもりだが、この場ではこう言うのが精いっぱいだった。
今すぐここで決めろと言われることを警戒していたが、リルクエットさんは「分かりました」と承諾してくれた。
「それでは今日はここで解散して、また明日、同じ時間にここに集まりましょう」
「明朝にしてください」
ツェペシュさんは苛立っているのを隠しもしない声で「そう待てません」と続けた。
「お昼過ぎよ。朝なんて頭のはっきりしていない時間に重要な決定をさせるわけにはいかないわ」
次に口を出したのはシャルロさんだ。ツェペシュさんに睨まれても平然としている。
「私も午下だとありがたい」
「俺はいつでも」
バンシークさん、ライカンさんがそう続いたので、集まる時刻は正午過ぎになった。
時刻が決まるとバンシークさんとライカンさんは部屋を出て行った。ツェペシュさんは何か言いたそうに私を睨んでいたが、私の隣にシャルロさんがいたからか、結局何も言わずに出て行った。
誰かが今すぐ答えろと迫ってくるかもしれないと思っていたのでほっとした。確かにクセのある人たちだが、話したら分かってくれる人たちなのかもしれない。
「僕はみんなを領地に送るので、シャルロくんは姫君を部屋に案内してもらえますか?」
扉の前でリルクエットさんが振り返っている。シャルロさんは私の隣で「えぇ。分かったわ」と頷いた。
「それでは姫君。ゆっくりお考えくださいね。おやすみなさい」
リルクエットさんは優しく微笑んで扉を閉めた。
部屋には私とシャルロさんだけになった。
「私たちも移動しましょうか」
頷いて答えた。
シャルロさんの隣について部屋まで移動した。随分歩いた気がしたけれど、どういう経路で歩いたのかやどんな廊下だったのかは覚えていない。シャルロさんは道中話しかけてくれたけれど、内容も覚えていない。ずっと考えていたのでそこまで気が回らず、気がついたら扉の前まで来ていたのだった。
案内された部屋は幼い頃に読んだ本の中のお姫様の部屋そのものだった。亜麻色のフローリングに白い壁、チェストや鏡台などの家具は白を基調としていて、ベッドは大きく天涯付きで、フリルのついた布団や枕、クッションが置いてある。おまけにとても広かった。私が暮らしていたアパートより広いのではないかというくらいだ。
「メイクを落としましょうね」
シャルロさんは私を鏡台の前に座らせ、液体で湿らせたコットンで私の顔を拭いていった。それが終わると次は着替えて洗顔するように言われたので、併設してあるバスルームに移った。渡された寝間着は淡い桃色のネグリジェでかなり着るのに勇気がいる代物だったけれど、観念して着替えた。首には肌身離さずつけてほしいと言われた【紋章】のネックレスを下げる。それから顔を洗ってバスルームから出るとシャルロさんは「かわいいわぁ~!」と手を合わせて褒めてくれた。やっぱり悪い気はしない。
仕上げにパックをして、保湿クリームを顔に伸ばしてもらって全てが完了した。
柱時計を見てみると八時を指していた。リルクエットさんの「おやすみなさい」や寝間着から推測するに、午後八時だろう。
「今日は疲れたでしょう。貴方が起きるまで誰も来させないようにするから、ゆっくり休みなさいね」
シャルロさんは部屋を出たところでそう言ってくれた。
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「おやすみ、マリアちゃん」
「おやすみなさい」
ひらひらと手を振って去っていくシャルロさん。私はシャルロさんの姿が見えなくなるまで見送ってから扉を閉め、一人になるとすぐに灯りを消してベッドに潜り込んだ。眠かったわけではない。ただ何もするつもりがないのに灯りをつけておくのも勿体ないし、考え事は寝転がってすれば良いと思っただけだ。
この短時間でたくさんの情報を頭に詰め、慣れないこともしたので疲れているはずなのに眠れそうにない。頭が冴えてしまっている。普段から眠りは深くないのだが、不安なことや考えなくてはならないことがあるときはいつもこうしてよりいっそう眠れなくなる。特に今回は問題が大きすぎるのでこのまま徹夜してしまうかもしれなかった。
私は世界を救うか救わないかの選択を迫られている。
どうして私なんかがという問いに対する答えを考えても意味がないのに考えてしまう。だって私はつい先程まで自分の大学受験ですら決められずに悩んでいた高校生なのだから。
困ったことになってしまった。
どうして父や母は話してくれなかったのだろうか。どうして父と母はこの世界を離れたのだろうか。父は責任感の強い人だった。よっぽどのことがない限り、王太子としてこの国、世界を守らなければならないのに母と共に異世界へ渡るなんて無責任なことはしないはずだ。母だって正義感も責任感も強い人だった。愛していても父を自分の世界へ連れ帰るなんてことはしなかっただろう。それなのにどうして父と母は母の世界に渡ったのだろうか。
父と母がいたらどうなっていたのだろうか。父がリルクエットさんに召喚されていたのだろうか。母も一緒に召喚されただろうか。私も一緒に呼ばれただろうか。そしたら私がこうして悩むことはなかっただろうか。
どうして父と母は……。
そこまで考えてやめた。突然胸が苦しくなってきたからだ。
私はしばらく考えるのをやめて自分の身体を抱きしめていた。
いくらかして胸が苦しくなくなると、再び今日のことを考え始めた。
でもとだってを繰り返して。
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