第49話 ザハリテへ
「……不問にするんですか?」
「そうなるでしょうね。表向きでは、なにも起きなかったわけですから」
人払いを済ませた屋上。
お互いに包帯まみれのボロ姿で、茜色に染まった街並みを眺めている。
アイザさんは立ちながら。俺は脚を怪我しているから、堂々と長椅子に腰掛けながら。
刺客の身柄は、高度に政治的な判断とやらでヘイザー卿に一任された。
肯定的に解釈すれば、某国、即ちルベリタに貸しをつくったのだろう。
アカガネの脱走は不慮の事故、続けざまの襲撃は、存在自体が揉み消される。
一連の事件の被害者は、口の堅い軍人たちと市民権のない異世界人、そして物言わぬトカゲたちだけだ。
一匹は、市街地の寸前まで迫っていたらしい。
人目につくのも
刺客のひとりだろう。見失ったその背格好は、女性のように小柄だったと言う。
「甲獣を
「……すみません」
どこか口調に親しみを感じる。
いま指摘するべきではないし、そういう軽い気分でもない。
「勝手に同情していたんです。人に痛めつけられるために、彼らは生まれてきたのかと思うと」
「……はぁ。全方向に気を遣うのが、あなたの個性のようですね」
十二匹いたクロガネは、五匹がその場で息を引き取り、三匹が快復せずに死んだそうだ。
生き残った四匹も万全とは言い難い。それぞれに、癒えることのない傷を負った。
「トカゲたちは……、どうして刺客を襲ったんでしょうか?」
「コゼット隊長に聞いた話ですが、クロガネは『守る』という行動に仲間意識を覚えるそうです」
「……俺が、トカゲを庇ったから?」
「一因だろうと言っていました。仲間内の助け合いにしては過剰反応だったようなので、他にも理由があるとは思います」
いずれにしても、俺の選択が彼らの運命を変えてしまった。
罪悪感に動かされて、余計な世話を働いて、たくさん死なせてしまった。
無知は罪だ。無知であらざるを得ない俺は、どうしようもなく罪深い存在なのだろうか。
「それはそうと、ユーベルへの謝罪は済ませましたか?」
「……まだです。会ってないので」
借りた剣を折ってしまう最悪の所業。
残った
「柄が無事だっただけマシでしょう。それでも、魔動器は肉体の一部のようなものですから、誠意を尽くしてくださいね」
「……はい」
そういう割に、ユーベルさんの剣をぞんざいに扱いがちなのは、気のせいだろうか。
俺の全財産は大銀貨が八枚ほど。
これが晶石製の価格になって、『岩』への越属が可能で、他にもデザインとかブランドとか込々になると……、たぶん余裕で足りない。
そもそも没収された銀貨を財産と呼べるのか?
「近いうちに、
「え、剣を持っていいんですか?」
「いちいち借りたのでは身を守れませんから。今回の件を踏まえれば、総司令官も許可してくださるでしょう」
オーダーメイドの剣とは……。わくわくする一方で、お値段のほうが心配だ。
やばい。いきなり出費が
「あの、軟禁中でもできる内職ってあります?」
……あらら? 俺を見下ろすアイザさんの表情がおかしい。そんなにポカンとされることを言っただろうか。
「……まさか、これまでの生活費も払うつもりでしたか?」
「それは違うでしょう。俺の意志で泊まってるわけじゃないんですから」
「であれば、なぜお金が必要だと?」
「現物は、さすがに扱いが変わりません? 弁償にしても、自分の剣を買うにしても」
若干の得心を交えながら、あからさまに呆れた表情を見せつけられる。
「なにもかも、お代は結構です……。ご自分の立場を理解して――、いや、説明を怠ったこちらの落ち度か……」
アイザさんは途端にふらふらしはじめた。
隣りに座るよう促すも、
「昨夜も言いましたが、あなたは、一部の人々にとって神同然。この大陸における最高権力者となり得る存在です」
「……まぁ、信仰の対象ですもんね。俺は、異世界から来たってだけですけど」
「過去の勇者たちも同じ境遇だったはずです。それでも戦った。勇者が現れなければ、この世界は魔族の手に
話のスケールが大きすぎて、自分が当事者だとは思えない。
救世主、裏を返せば魔族の宿敵。城主の男は、なぜ俺を生かしたのか。
「嫌な言い方ですが、勇者は権力の湧き出る泉です。誰もがその威光に預かろうとする」
「……つまり、すでに勇者を得た勢力からすれば、新たな勇者は邪魔な存在だと?」
「そこまでは言いません。ルベ……、某国も現存の秩序を重んじたまでです。勇者が並び立って、これまで良かった試しがない」
神聖な権力の並存。
それぞれが別々の『神』を錦の御旗に掲げれば、その
魔族に対抗する五大国の同盟に、必要な求心力はひとつだけ。
ルベリタは、他国の領内で蛮行を働いてでも、俺という存在を抹消しようとした。
感情がついてこないけれど、理屈は分かる。むしろクロヴェルの態度のほうが不可解だ。
「どうして、俺を守ってくれたんですか?」
「……勇者は必要な時に与えられる。白い月の意志を、我われは読み解かねばなりません」
白い月の意志……?
「わが国だけで、ましてや某国だけで決められる問題ではないのです。とにかく遠征が終わるまでは、あなたを隠す必要がある」
「――そう。まずは遠征を成功させねばな」
重みのある声音に振り返れば、バッジさんがゆったりと歩いていた。
そのままの姿勢で良いと手のひらで合図をして、アイザさんとは反対の隣りに立つ。
「ど、どうされたのですか?」
「労いに来た。あとは、業務連絡を少しばかり」
目線が高すぎて、見上げるのがキツイ。
かと言って、隣りに座りませんかとは、ちょっと提案しづらい。
凄く偉い人だし、礼拝堂で掴みかかって以来だから、どんな顔をすればいいのやら。
しばらく俺は、適当に相づちを打つだけだ。
畏まって受け答えするアイザさんに、ちょっぴり肩の力を抜かせてもらう。
「ユーベル=グラソンの盾を使いこなすとは。いよいよ正規兵として
「……シュダカさん?」
「え? あ、いや、光栄です……」
不意打ちに対応できなかった。
「さて、クリーガ隊長には近日中に護衛の任から外れてもらう」
「……な、なぜですか?」
「おや、遠征に参加する気がないと?」
「ッ! 承知しました! 謹んで辞退させていただきます!」
喜びが頬に表れている。
まぁ、当然と言えば当然だ。アイザさんの判断は、なにも間違っていなかったのだから。
それでも、わずかな不安が
……そこまで喜ばれると、ほっぽられる側の心境は複雑なのですが。
「シュダカ殿の行き先だが、ナザロに任せようと考えている」
「……兄上に?」
「マレルオ家の線も考えたが、リシュトには文官派が大勢いる。ザハリテのほうが、
今度はお兄さんに世話になるのか。お部屋を使わせてもらってます。
「しかし、最前線に送るというのは……」
「関係者を絞りたい。それに、遠征が始まれば、最前線ではなくなるしな」
ザハリテ行きは確定として、遠征までの期間をどうすべきか、議論の中心はそこに移った。
暇だ。俺に発言権はないし、建設的な意見を出せるわけでもない。
これから、俺はどう生きていくべきだろうか。
勇者なんてやっぱり御免だ。歓迎されないどころか命を狙われる。
異世界出身を隠して田舎でひっそり暮らすべきだけど、そしたら元の世界には帰れない。
そう。俺が元の世界に帰れば、なにもかもが上手くいく。まさしくWin-Winだ。
絵空事でもいい。それを言えば、世界を越えた現実がとっくのとうに絵空事。
俺は帰る。絶対に帰る。
そのために、まずは生き残ろう。頼るべき人を頼って、手掛かりを見つけだす。
いざ、新天地のザハリテへ。
……西の端に向かうのは、かなりの後退なのではないか?
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