天女が棄てた羽衣⑱

 起きて楽屋の洗面所で歯を磨いていると、鏡に映った自分の顔が思いのほか強張こわばっていることに気付きました。

 はじめは気のせいか、ただの緊張だろうと思ったんです。

 今回の公演は、尊敬する大先輩のお姐さんが3人も出演なさいます。華麗な空中技の凛音お姐さん、衣装が煌びやかなたんぽぽお姐さん、一瞬で人を惹きつける魅力のあるルビーお姐さん…実際、全てのお姐さんのショーをお勉強させていただくつもりでした。加えて夢香も、今週のショーはかなりの自信作のようでした。

 そのような中にあって、私も中途半端なものはお見せできないと、とりわけ今期には賭けていたんです。なにせ…来月には、夢香との合同2周年記念興行も控えていましたから。

 実際、初日の終演の後、私はステージに一人残って遅くまで振り付けの精錬に励んでいました。まだまだこんなクオリティではいけない、もっともっと良くしてお披露目しなければと焦っていたのは事実で…。

 だから、疲れもまだ残っていたのかもしれない。それでも、舞台は待ってはくれないのだからと、気を引き締め直したんです。

 そうすると逆に、緊張感はどんどん膨らんでいきました。心臓がバクバクと脈打ち、呼吸が浅くなりました。

 思わず歯ブラシを取り落とし、呼吸を整えながら洗面台の中に転がった歯ブラシを見つめていると…

 

 私は突然の出来事に短い悲鳴を上げ、すぐに蛇口の水をかけて火を消しました。

 幸い、もともと濡れていたせいもあり焦げ跡は一目でわからないほど目立たないものでしたし、夢香が目を覚ますこともありませんでした。


 その日は一日、──正確にはその日からずっと──気分が優れず、感情の起伏をコントロールしづらい状態でした。

 劇場が開場した後も、香盤をこなしている最中も、無性に息苦しくなったり悲しくなったりしました。この心の動きは何なのだろう、神経の不調だろうかと疑う私に、更なる災難が待ち受けていたのです。

 それが、朝起こった謎の出火です。

 歯ブラシのみならず、。他のお姐さんのポラ、割り箸、差し入れ、電気のスイッチ…

 ただし、それらはランダムでした。見たもの全てが燃えるわけじゃありません。加えて、出火には時間差があって、どのくらいしたら発生するのかもまちまちだったんです。ほとんどの火は豆電球よりも小さなものだったため数秒と経たずひとりでに消えていきましたし、私が確認できた限りだと5、6箇所程度でしたが、それらを発見する度に私は気が狂いそうになりました。

 私が視線を注いだものが燃えているのは確実でした。このままでは、いずれ法則が露呈して、いつ私が犯人扱いされてもおかしくない。そう考えた私は…

 その日の夜、夢香が寝静まった後で、共演者全員の衣装や小道具に手をつけました。一点を見つめないように気をつけながら、ロープを切り、鏡を割り、靴にゴミを入れたりしました。ああ、ごめんなさい、本当にごめんなさい、火の件も含めて全て、踊り子の誰かが悪戯でやったことにしたかったんです。罪をなすり付けようとしました。私にとっては、怪現象よりも、絶対的な立場のお姐さんがたからの叱責の方が、もっとずっと恐ろしかったのです。

 そんな隠蔽をしながらも、寝ている間は──ほとんど眠れはしませんでしたが──どこにも意識が向かないからか火の手が上がることはありませんでした。もっとも、きつく目を閉じていたからたとえ種火が出ていたとしても気付かないのですけど。


 しかし翌日、危惧していたことになりました。火の勢いは弱まるどころか、昨日よりも大きく現れるようになったんです。他の姐さんたちにも目視され始め、ちょっとした騒ぎになりました。もちろん、私自身の私物も多く燃えていましたから、私も被害者の一人と見做され、疑いが向くことはありませんでしたが、実際火が付くと困るのも事実でしたし、朝、前もって濡らしておいた衣装は乾かさずにそのまま着て舞台に上がりました。そしてその日の夜も、嫌がらせに見せかけるための工作を続けました。


 次の日、いよいよ恐ろしいことになりました。

 ついに共演者の着用中の衣装や客席からも出火したんです。歯ブラシの時とは比べ物にならない、大きな大きな炎です。

 加えてそれは、私自身にも襲いかかりました。自分の左手から生じた火が、肌を焦がし、火傷の痕をくっきり残してしまいました。

 このままでは私が目を向けたもの全てが炎上してご迷惑をおかけしてしまう。私の身も滅んでしまう。そう考え、──もちろん実際に気分や体調を崩していたのもありますが──できるだけ長時間、トイレに籠ることにしました。次第に、私が私でなくなっていくような、意識が空白になる時間が増えました。きっと神経がやられてしまったため、私の頭が防御反応でそういうふうにしたんだと思います。


 そこから先は…一ノ瀬さんもご覧になったように、舞台袖の暗幕が燃え、気付いたときには凛音姐さんを刺しており、私はいよいよ取り返しのつかないことをしたのだと認めざるを得ませんでした。現在は、燃えやすいものが少なく、万一火が出ても誰かにすぐ見つかるようなステージの上で目を塞いだまま、なるべく外に意識を向けないように集中して過ごしています。私の視線が火を放ってしまう。私の意識が着火剤となる。私の存在自体が凶兆になっている。私が、呪いを振り撒いている────

 自分でも、どうしたらいいのかわかりません。

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