身を焦がす霹靂

 ティアドロップ型に磨かれた青い鉱石がいくつも下がったシャンデリアの下、白いクロスをかけたテーブルにティーセットを並べて、フィオは大好きな果実のムースを堪能していた。金の蔦草と白薔薇が描かれたティーカップを満たす橙色をした温かな紅茶から立ち上る湯気が、上品な香りをまとってフィオをふわりと包む。

 傍らで給仕をしながら、ベルは主人の愛らしい姿に目元を緩めていた。

 甲斐甲斐しくお世話をしているあいだも、フィオの一挙手一投足を目に焼き付けることをひとときも忘れない。最初こそ、惜しげもなく真っ直ぐに注がれる熱を帯びた眼差しに恥じらっていたフィオだったが、長くベルと共にいるうち視線を向けられることには慣れてきた。


 ぽつりと、雨粒が窓を叩く音がした。

 それからパラパラと細かい粒が窓を濡らしたかと思うと、あっという間に本格的な大雨になり、更に遠くで雷の気配もし始めた。


「いつの間に曇っていたのかしら。夕方にもなっていないのに真っ暗だわ」


 ワイングラスに似た形をした小さな硝子容器に半分ほど残っているムースを、金のデザート用スプーンで口に運びながら、フィオが心配そうに呟いた。

 絵画の額縁のような装飾が施された白銀の窓枠に切り取られた景色は、無粋な筆で塗り潰した暗い鈍色に覆われている。


「心配だわ……お庭の薔薇が散ってしまわないかしら」


 椅子に座っているフィオからは少し高い位置にある、飾り窓を見上げて言う。

 空模様は悪くなる一方で、窓硝子には大粒の雨が叩き付けている。


「雨のわりに風は然程ではありませんから、大丈夫でしょう」

「そうだといいけれど……」


 窓の外を気にしたまま手元へ向き直り、ムースをスプーンで一口分掬う。

 蓋の代わりに薄く被せられた鮮やかな緋色のゼリーと合わせて口元へ運ぼうとしたときだった。


「きゃっ!」


 雷鳴が轟き、ビクリと体が跳ねた。

 その拍子にムースがスプーンから零れ、スカートの裾を掠めて靴のつま先に落ちてしまった。


「あ……ごめんなさい、ベル。拭くものはあるかしら」

「はい、ただいま」


 これ以上物を落としてしまわないよう、一度グラスとスプーンをテーブルに置き、足をそっと差し出した。幸いスカートへの被害は殆どなく、掬っていた分が、綺麗に靴の上に盛り付けられている。

 ベルはフィオの足元に跪くと、手のひらに容易く収まる小さな足を左手に乗せて、そのつま先に唇を寄せた。


「ベル!」


 声を上げるフィオを目線だけで見上げると、ベルは目を細めて微笑んで見せた。

 そして、爪先に落ちたムースを舐めとり、艶のある白い靴が綺麗になるまで丹念に舌を這わせていく。

 獣のような、品のない音を立てることなどせず、静かに淡々とことを運ぶあいだ、フィオはベルの仕草に釘付けになっていた。目を逸らしたいのに、逸らせない。胸の内が熱を帯びていく感覚に襲われて、彼に言うべきことがいくらでもあるはずなのにただの一言も出て来ない。


「失礼致しました」


 最後に清潔な布で靴を拭うと、ベルは顔を上げて満足げに一礼した。そこで漸く、金縛りが解けたように固まっていたフィオの体から、ふっと力が抜けた。


「ベル……あなた、いま、なにをしたの……?」

「主人の好みを把握するのも、従者の務めですから」

「答えになっていないわ」


 僅かに声が震えた。

 怒りでも悲しみでもない。どう言い表すことも出来ない感情が喉元で詰まっていて最低限の言葉しか紡ぐことが出来ない。初めての感覚に困惑しているフィオに対し、当のベルはどこまでも穏やかな微笑を湛えてフィオを見つめている。


「ムースを落とされた際に、フィオ様がとても悲しそうなお顔をされたので、ただのひと匙でも無駄にしたくないほどお好きなのだと思いまして。ですが、靴に落としたものをフィオ様のお口に入れてしまうわけには参りませんから、賤しくもベルが頂戴致しました」


 ベルの口から、すらすらと零れてくる言葉を聞いて、フィオは抑えようと思う間もなく胸に詰まっていた正体不明の熱が涙となって溢れ出てきた。


「フィオ様」

「ごめんなさい……怒っているわけじゃないの。フィオにもわからないの……ベルが靴を綺麗にしてくれているあいだ、フィオは止めることだって出来たのに、なのに、そうしない自分がこわくて、よく、わからないの……」


 ベルがレースのハンカチでフィオの涙を拭う。真珠のように美しい純粋な涙が頬を濡らしている様や濡れた瞳でベルを見上げる愛らしい仕草を目に焼き付けながらも、従者の忠実な手は慣れた所作でフィオを慰めていた。


「なにを怖れることがありましょう。フィオ様はただいつものように、お心のままにあれば良いのです」


 甘い花蜜で出来た穏やかな声が、フィオの心に染み入ってくる。そのままで良いという単純な言葉が、フィオには暗がりに灯された救いのように感じられた。


「……ベルは、フィオを甘やかし過ぎだわ」

「私とて不出来な主人でしたら多少厳しくも致しますが、フィオ様にそうしなければならない要素は微塵もありませんから」


 苦し紛れに吐き出した一言も、ベルには全く効かなかった。

 頬を包む大きな手のひらにそっと自分の手を重ねて目を閉じる。そうしていても、ベルの真っ直ぐな視線が注がれているのが感じられてくすぐったい。

 ふと。違和感に気付いて、フィオはベルを見上げた。浅く首を傾げて見つめる氷の眼差しにとかされそうになりながらも、口を開く。


「そういえば、さっき、ベルはフィオの好みを知るためのようなことを言ったわね。それが方便でないなら、なにも落ちたものでなくても良いのではないの?」

「従者である私がフィオ様と同じものを口にするなど烏滸がましいことです」

「だからって、なにも靴に落ちたものなんて……」

「フィオ様のお召し物はお靴の裏に至るまで全てベルが綺麗に整えておりますから。先ほど汚してしまったお靴はしっかりと綺麗に致しますので」

「そういう問題でもないと思うのだけれど……」


 これ以上は堂々巡りだと察して、フィオは口を噤んだ。フィオがなにを言っても、ベルの言葉や行動を曲げることは出来ないのだと、会話の度に実感する。フィオには心のままにと言っている本人が、一番心のままに生きているように思えてならない。


「……もう、わかったわ」

「ありがとうございます、フィオ様」


 それは嬉しそうな声で言われ、フィオは最後の抵抗にと従者の目を見つめた。


「でも、床に落ちたものまではだめよ。いくらベルが綺麗にしているからってそんなことはさせたくないの」


「畏まりました。つまり、もしまた万一が起きたときには、フィオ様に口づけをする栄誉をお与え下さるということですね」

「どうしたらそう解釈できるの……」


 ベルを通すと、フィオが放つ言葉はなにもかもが素晴らしい栄誉であるかのようにすり替えられてしまう。何気ない一言もベルを窘めようと放った言葉も、日ごろから口にする、大して特別でもない感謝の言葉も。フィオ自身、甘やかされている自覚はあっても、自分で自分を甘やかし過ぎてしまうわけにはいかないと抵抗を試みるが、悉く失敗に終わっていた。


「フィオ様、お茶が冷めてしまいましたから、淹れ直しましょう」

「ありがとう、お願いするわ」


 このたった五文字のお礼にさえ、ベルはとろりと氷の瞳をとろけさせる。

 ベルが淹れ直したお茶と共に残りのムースを食べきると、フィオは相変わらず暗く不機嫌な空を見上げて心配そうに眉を寄せた。


「フィオ様、お気持ちはわかりますが……」

「ええ、わかっているわ」


 雷雨に濡れた窓から目を逸らし、明るい室内に意識を向ける。

 ティーセットは給仕用のワゴンへと移され、テーブルの上には切り花が活けられた花瓶や燭台が飾られるのみ。

 フィオはいつまでも色褪せない生花をぼんやり眺め、仰ぐように天井を見上げた。


「このお城は、フィオの望みを叶えてくれるのと同時にフィオの心の色を映す鏡でもあるから、心配のし過ぎは良くないのよね」

「ええ。城はフィオ様のお心の揺らぎを感知してうつろいますが、揺らぎがお望みでいらっしゃることか心配事かを見分けることは出来ませんから」


 目線を下ろし、ティーセットの片付けを魔法で済ませた器用な従者を見る。


「それを察して留めてくれるベルがいるおかげで、お城が無事に保たれているようなものだわ。フィオはどうしても心配してしまうから」

「恐縮です」


 恭しく一礼し、フィオに手を差し出す。フィオはベルの手を取ると、暗い窓辺から離れるように城の奥へ歩き出した。

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