第44話 死人がなんぼのもんじゃい
――死人が闇夜を歩く。
古今東西を問わず人間が恐れる極地は常に死であり、それは平静ならざる異常なものとして魂に刻み込まれてきた。死は静物であり、生きとし生けるものと同じように動いては決してならない、――そんな不文律がある。
その絶対を破る時、人の
ミエコが照らした先は、まさしく死が蠢く景色であった。
「ど、どうしたら……」
ソロエに誂えてもらった
関係ない民間人が、何かの術や怪異によって操られていたら――。
解けるはずの呪いに関係なく、銃で撃って殺してしまったら――。
ミエコの口から漏れた言葉は、自覚しないまま
だが――。
「あー、死んでますね、これ」
伊沢の気の抜けた一言が、張り詰めた空気に針を穿った。
「そうね。でも、こう暗いと面倒だわ。伊沢」
と。ヒノエが振り向きもせずに指図した。
「分かっていますよ。姿を現してくれた
数瞬、口元で呪いを唱えると、まるで塵をぶちまけるように人形を虚空へばら撒いた。
――はらはら、と落ちると思いきや、一枚一枚の人形は、意志を持つように無骨で爛れた
通路の照明の如く、青白い炎が煌々と二階フロア全てを照らし出す。
暗闇が祓われ、奥行きも足下も、全てが生気のないボンヤリとした白光に暴かれる。発破用の配線も、道具達も、全てが視界に飛び込んでくる。
故に、死人も。
「気色悪いですねぇ、お嬢様」
自動小銃の銃口を、寸分の狂いもなく死人の額に狙いを付けながら、志乃が僅かに左に離れた。物怖じもなく、
「み、皆、良く普通でいられるわね」
「へ――?」
ヒノエが今日一番、意外な声を漏らした。
「ミエコ、あれが怖いの?」
嘲りも怒りも何もない、敢えて言えば驚きに似た声であった。
「だって、あれ、人間じゃ――」
「いや、死んでますよ」
厚かましさすら覚える伊沢の即答に、ミエコは酷く面食らった。当代一流の呪い師なれば、そこを見誤ることはないだろう。そうと分かっていても、眼前には低く呻きながら、ゆっくりとこっちに向かってくる、腐ったような血肉を垂れた異形が目に入ってくる。
この怪異は、人の
「そ、そうかもしれないけど、……というか! し、死んでるって本当なの? 死んでるのに歩いてるって、おかしくない⁈」
上擦った声に「何言ってるのよ、ミエコ」とヒノエが眉を顰めた。先程とは打って変わり、伊沢に似た拍子抜けした抑揚のない声である。
「死人扱うなんて、姫の髑髏で散々見てるじゃない。アレだって骨とは言え、死んだ人間よ。
「そんなこと言ったって……」
脳裏に浮かぶのは、老ノ坂本拠にて
「まぁ骨じゃない分、生々しいですねぇ。それでもこれは――」
伊沢が目を細め、口元で何やら唱え始めた。
式の明かりに照らされて、芥川龍之介のような容貌が殊更に気色悪く、細くなって闇に浮かんでいる。寸時の
「何がなるほど、よ」
「大陸系の呪術ですね、これは。
死人を操る『道教』の筋です、とニタリと笑みを零した。
益々気色悪い顔色に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら、ミエコが
「それって、き、
と訊ねた。
「おー、よぅ知ってまんなぁ、ミエコはん」
伊沢ではなく、半ば欣然とした声色で丸島が振り返った。「わしも
と、唐突にネクタイを緩め、ジャケットを脱ぎ始めた。
「ま、丸島さん?」
ミエコが視線だけ逆三角形の背中に向けるが、丸島は気にかけない様子でするすると上着を脱いでいき、革靴すらもぽいっと履き捨てた。先頭のヒノエは後ろを振り返ることもなく、司令塔として飄々と指示を飛ばした。
「明かりはとれたけど、爆弾には粘着した怪異。目の前には死人が三体。私は弓で。伊沢は奴らの脚を押さえて。志乃さんは撃つ位置を工夫してください。ミエコもね。丸島さんは――」
「好きにやらせて貰うでぇ」
「結構よ」
「ほな、見ときやミエコ嬢!」
短兵急に。
肚の底に響くような唸り声が、フロア全体に木霊した。
轟々と、地獄の釜が開いたような音、否、声である。死人からではなく丸島が、逆三角形の体躯を震わせながら、両手で顔を握り締めている。
丸島さん――、と声を掛ける間もなく、ミエコは直ぐに見て取った。
上半身の有りと有らゆる皮膚がブツブツと沸き立ち、毛穴という毛穴全てから悍ましいほど勢いよく体毛が伸び始める。髪の毛も、逆三角形の背中も、顔を覆う手も腕も、無骨な脚すらも――、青白い炎に照らされて黄褐色の毛に、黒い横縞模様が、肉肉しく浮かび上がる。
「まさか――」
異能。
怪異とはひと味違う。
人間の意志により操作された、怪異に似た人の業。千差万別の力の一つを垣間見て、ミエコは唇を噛んだ。
「いやー、久々やでぇ」
下半身のズボン以外は短毛で覆われ、漂う微かな死臭を払いのけるように、獣の臭いがミエコの鼻腔を刺した。丸島の手が観音開きのように開かれると、そこには。
「虎――」
「せやで。
一段低くなった重い声だった。
人間の面影など微塵もない。
そこに在ったのは確かに
ミエコが丸島の姿に驚き言葉を失う中、ヒノエの凛とした声がフロアに響き渡った。
「――では、始めましょう」
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