第44話 死人がなんぼのもんじゃい

 ――死人が闇夜を歩く。

 古今東西を問わず人間が恐れる極地は常に死であり、それは平静ならざる異常なものとして魂に刻み込まれてきた。死は静物であり、生きとし生けるものと同じように動いては決してならない、――そんな不文律がある。

 その絶対を破る時、人のことわりは音を立てて崩れ、恐怖に塗れた闇が蠢き出す。

 ミエコが照らした先は、まさしく死が蠢く景色であった。



「ど、どうしたら……」

 ソロエに誂えてもらった人道銃二十六年式拳銃の銃口が僅かに震えた。どう見ても敵だ。否、分からない。そもそも死んでいるのか生きているのか、本当に確かめた訳じゃない。

 関係ない民間人が、何かの術や怪異によって操られていたら――。

 解けるはずの呪いに関係なく、銃で撃って殺してしまったら――。

 ミエコの口から漏れた言葉は、自覚しないまま瞭然ハツキリと当人の混乱を表していた。銃口を柱向こうの死人に向けながら、頼りない視線をヒノエに向けた。



 だが――。

「あー、死んでますね、これ」

 伊沢の気の抜けた一言が、張り詰めた空気に針を穿った。



「そうね。でも、こう暗いと面倒だわ。伊沢」

 と。ヒノエが振り向きもせずに指図した。

「分かっていますよ。姿を現してくれたに、照らして差し上げましょうか」――と言うと、伊沢は懐からいつものように人形ひとがたを右手いっぱいに取りだした。

 数瞬、口元で呪いを唱えると、まるで塵をぶちまけるように人形を虚空へばら撒いた。

 ――はらはら、と落ちると思いきや、一枚一枚の人形は、意志を持つように無骨で爛れた混凝土コンクリート璧に向かって飛んでいく。一定の間隔を空けて壁を覆うように張り付くと、伊沢の「おん」の一言共に人形達は一斉に青く燃え上がり始めた。

 通路の照明の如く、青白い炎が煌々と二階フロア全てを照らし出す。

 暗闇が祓われ、奥行きも足下も、全てが生気のないボンヤリとした白光に暴かれる。発破用の配線も、道具達も、全てが視界に飛び込んでくる。

 故に、死人も。



「気色悪いですねぇ、お嬢様」

 自動小銃の銃口を、寸分の狂いもなく死人の額に狙いを付けながら、志乃が僅かに左に離れた。物怖じもなく、ひようぜんと臨戦態勢を取る。だが余りに皆が動じないことに、ミエコは一人首を左右に振った。



「み、皆、良く普通でいられるわね」

「へ――?」

 ヒノエが今日一番、意外な声を漏らした。

「ミエコ、あれが怖いの?」

 嘲りも怒りも何もない、敢えて言えば驚きに似た声であった。



「だって、あれ、人間じゃ――」

「いや、死んでますよ」

 厚かましさすら覚える伊沢の即答に、ミエコは酷く面食らった。当代一流の呪い師なれば、そこを見誤ることはないだろう。そうと分かっていても、眼前には低く呻きながら、ゆっくりとこっちに向かってくる、腐ったような血肉を垂れた異形が目に入ってくる。

 この怪異は、人のかたちをしているのである。



「そ、そうかもしれないけど、……というか! し、死んでるって本当なの? 死んでるのに歩いてるって、おかしくない⁈」

 上擦った声に「何言ってるのよ、ミエコ」とヒノエが眉を顰めた。先程とは打って変わり、伊沢に似た拍子抜けした抑揚のない声である。

「死人扱うなんて、姫の髑髏で散々見てるじゃない。アレだって骨とは言え、死んだ人間よ。

「そんなこと言ったって……」

 脳裏に浮かぶのは、老ノ坂本拠にて蠢く髑髏の枯骨達。だが「あれだけ死体っぽくないじゃない」と、喋りながら可笑しな事をいっている意識に、ミエコは思わず反射的な笑みがこぼれた。

「まぁ骨じゃない分、生々しいですねぇ。それでもこれは――」

 伊沢が目を細め、口元で何やら唱え始めた。

 式の明かりに照らされて、芥川龍之介のような容貌が殊更に気色悪く、細くなって闇に浮かんでいる。寸時のまじないをピタリと止めると「なるほど」と呟いた。

「何がなるほど、よ」

「大陸系の呪術ですね、これは。何処どこ何方どなたかは存じ上げませんが――」

 死人を操る『道教』の筋です、とニタリと笑みを零した。

 益々気色悪い顔色に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら、ミエコが

「それって、き、僵尸キヨンシー?」

 と訊ねた。

「おー、よぅ知ってまんなぁ、ミエコはん」

 伊沢ではなく、半ば欣然とした声色で丸島が振り返った。「わしもでちぃと働いてたさかい、このは分かるでぇ」

 と、唐突にネクタイを緩め、ジャケットを脱ぎ始めた。

「ま、丸島さん?」

 ミエコが視線だけ逆三角形の背中に向けるが、丸島は気にかけない様子でするすると上着を脱いでいき、革靴すらもぽいっと履き捨てた。先頭のヒノエは後ろを振り返ることもなく、司令塔として飄々と指示を飛ばした。

「明かりはとれたけど、爆弾には粘着した怪異。目の前には死人が三体。私は弓で。伊沢は奴らの脚を押さえて。志乃さんは撃つ位置を工夫してください。ミエコもね。丸島さんは――」

「好きにやらせて貰うでぇ」

「結構よ」

「ほな、見ときやミエコ嬢!」



 短兵急に。

 肚の底に響くような唸り声が、フロア全体に木霊した。

 轟々と、地獄の釜が開いたような音、否、声である。死人からではなく丸島が、逆三角形の体躯を震わせながら、両手で顔を握り締めている。

 丸島さん――、と声を掛ける間もなく、ミエコは直ぐに見て取った。

 上半身の有りと有らゆる皮膚がブツブツと沸き立ち、毛穴という毛穴全てから悍ましいほど勢いよく体毛が伸び始める。髪の毛も、逆三角形の背中も、顔を覆う手も腕も、無骨な脚すらも――、青白い炎に照らされて黄褐色の毛に、黒い横縞模様が、肉肉しく浮かび上がる。



「まさか――」

 異能。

 怪異とはひと味違う。

 人間の意志により操作された、怪異に似た人の業。千差万別の力の一つを垣間見て、ミエコは唇を噛んだ。

「いやー、久々やでぇ」

 下半身のズボン以外は短毛で覆われ、漂う微かな死臭を払いのけるように、獣の臭いがミエコの鼻腔を刺した。丸島の手が観音開きのように開かれると、そこには。



「虎――」



「せやで。獣化じゆうかゆうねん」

一段低くなった重い声だった。

 人間の面影など微塵もない。

 そこに在ったのは確かにであり、逆三角形の上半身は全て短毛に覆われている。筋骨隆々の体型はそのままに、ネコ科らしい髭がピンと伸びていた。

 ミエコが丸島の姿に驚き言葉を失う中、ヒノエの凛とした声がフロアに響き渡った。



「――では、始めましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る