第37話 隠れても無駄よ
街並みに人影なく、この一画だけが万物が死に絶えたような静寂に包まれていた。晩夏の生温い夜風が少女の断髪を僅かに揺らすばかりで、帝都の影が
『……辺りに異常はありません。行きましょうか』
伊沢の打った式が闇夜から見下ろす中、ミエコは玄関の前に立った。
『本当に何の変哲も無い――はずなのにねぇ』
『見かけだけよ。気をつけて』
隣り二軒に家はなく、商家の如き通り土間。奥には気色ばんだ闇が蹲っている。古色の風合い滲み出る引き戸に手を掛けると、音もなくすすす――と滑るように開いた。
『特高は何も見つけられなかったって言うけど……』
『大丈夫。
自信を滲ませる少女の声色にミエコも伊沢も小さく頷く。見通せない廊下の先から、ひんやりと湿った風が肌を撫でる中、ミエコはジャケットから懐中電灯を取り出した。突起が少なくするりと滑ってしまいそうな胴体であるが、電池を含めたずっしりとした重みが手に馴染む。
影を切り裂く
『真っ直ぐ行った所よ。……黒い気が溢れ出てるわ』
僅かに言葉が震えている。ミエコが『大丈夫?』と声を掛けるが、弱気を振り払うように黒き巫女は背中に掛けていた短弓を両手に構え、通り土間、突き当たりの床を指差した。
『…………いるわ、地下に』
懐中電灯の光が滑り、照らされた土間は焦げ茶色に映えるばかりだが、よく見ると不自然な取っ手が地面から僅かに盛り上がっている。
『詰めが甘いわね、特高警察も』
ただ、継ぎ目が上手く土汚れで隠されており、
――この先に。
――何が。
――何がいるのだろう。
人か、怪異か。いやどうせ敵だろう。
懐中電灯を近くの
『引き戸ね、コレ。ちょっと――、重いけどッ!』
地面に手を掛け、乙女らしからずセーラーパンツが張り詰める程に大きく股を開き全力で引っ張った。金属製の枠に木製の扉、上を薄く覆っていた土から埃が沸き立ち、ギリギリと音を立てて地面が口を開ける。開けた途端、溢れ出てきたのは臭い――だった。
「『なによ……、この臭い』」
生臭い。
だが魚のそれではない。
『
『よく冷静で居られるわね、まったく』
頬を伝う汗を拭う。地下へと続く階段が闇を纏いながら
『……私が先頭?』
『
『勿論よ。ただ、今日は弓だから至近距離はちょっとね』
『……いいわ』
一歩一歩、そろそろと踏みしめながら3人が並んで降りていく。拳銃と懐中電灯を交差させるような射撃姿勢の儘、ミエコが辺りを照らし出す。
『変な造りね』
『……洋式のガレージ、ですね。
壁面も天井も床面も、剥き出しの土や岩が木枠や
四方5メートル程度の広さであっても辺りには何もない。塵も、紙も、布も、生活痕が一粍も感じられない。ただ降りた正面、真っ直ぐに伸びる通路を除けば……。
『見て、あれ』
ヒノエが通路の先を指差す。
――光。
淡く儚く頼りなく、寂光がドアの形に漏れ出ている。白い、薄ら白い。白熱灯のような暖かみなど微塵もなく、最早青白いとも言うべき蛍光が瞬く。
どうせ
じりじりと
少女の手から僅かに溢れ出す白い気は、清祓の願いを込めた悪鬼討滅の力。
『……開けるわ』
ギギ――、と軋む。
音に反して扉は流れるように開け放たれる。淡い光が3人を照らし出し、俄に覚えた眩しさに眼を細めると、一瞬の
「……なによ、
扉の向こう、開かれた異空間。地上建造物の家屋と全く異なる趣を湛える洋風の小部屋。天井からぶら下がる真白き電灯――
四方十
「怪異ですね」
にべもなく伊沢が呟いた。
眼前に佇む異形。
如何繕っても『異形』としか言いようがない。
黒く鈍く輝く甲殻が全身を
でも確実に敵だろう。初めて見る異形の造形は、自然とミエコの背筋に怖気にも似た戦慄を走らせた。
しかし――。
「気味悪いカマキリか何かかしら」
「
怖気に冷や汗が流れるミエコに比べ、見たこともない化け物を眼前に対面しながらもヒノエと伊沢は余りにも飄々としている。
「ふ、二人とも怖くないの?」
僅かに小型拳銃の銃口がぶれる。ヒノエが嫌らしく口の端を歪めた。
「今まで色んな怪異を見てきたのよ。
「我が国にはもっと
余りに不遜な態度に、ミエコはあんぐりと口を開けるしかなかった。
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